* ご機嫌ほぐしの時計
♪ 大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計
100年いつも動いていた ご自慢の時計さ
おじいさんの生まれた朝に 買ってきた時計さ
今はもう動かない その時計 ♪
明先生発案の、ご機嫌ほぐしの<大時計>は、まず胸の前で赤ちゃんを抱くような姿勢を取ります。次に両手のひらでソッと両肘を包み、時計の振り子が揺れるようなイメージで、この歌に合わせて動きます。動きの途中で「ボォーンボォーン」と発声しながらの胴震いも入りますが、太く、ゆったりとした温かい息で歌うと、まるで温泉に入っているような心地よい気持ちになっていきます。
「歌は語るように、セリフは歌うように」と、明先生はおっしゃいますが、心を込めて、語るように口づさみながら大時計の動きをすると、不思議に昔のことが思い出されます。
私はおじいちゃんっ子でしたから、♪おじいさんの時計~♪のフレーズになると野花の咲く田舎道を、祖父の背中におんぶされて歩いていた感覚が蘇ってきます。みなさんの大時計の思い出はどんなものですか?
* 日直の日はご機嫌
私の生まれた昭和20年代は、戦後のベビーブームで団塊の世代と呼ばれるベビーが次から次から生まれ、国中に子どもがあふれていました。そのころ小学校の先生をしていた母は、私がまだ眠っている早朝に出かけ、帰宅するのは夜遅くという毎日を送っていました。母と顔を合わせることが出来るのは、唯一、日曜日だけ。ですから当番制の日曜日の日直には、私も一緒に連れて行ってもらっていました。
小学校はマンモス校で、海外視察までして創ったと言う、今でも建築物として高い評価を得ている、美しく立派な校舎でした。何棟もある校舎の中央は大ホールとなっていて、小さな展示会も催されていました。
広くひっそりとした休日の廊下を歩くと、足音が響きぞくっとするくらいでした。二階につながる広い階段は、映画「風と共に去りぬ」で観たレッドパトラーがスカーレットオハラを抱きかかえ、一気に駆け下りるシーンに出てくるようなオシャレな建物でした。
階段の途中に、左右に分かれるためのスペースとなっていました、その中央の柱に大きな柱時計がかけてあったのです。時間になると「ボォーン、ボォーン」と誰もいない校舎中に響き渡っていきます。「いいなぁ~」その音を私は一人占め。いつもは母のクラスの生徒さんに取られている母も一人占め。それに一人占めの図書館で好きなだけ本を読んだり、一人占めの音楽室でピアノを弾けたり御機嫌いっぱいの日曜日でした。
その学校に母は10年近く勤務していました。私は赤ちゃんのころから、日直の毎に大時計に出会っていたわけです。その大時計もひょっとしたら100年休まず動き続けていたおじいさんかもしれません。
母の生命の時計もずいぶん古くなっていて、今は92才。日々認知症が進行しています。でもデイケアで「城石先生!」と呼ばれると、パッと表情が晴れやかになります。すると再びネジを巻いてもらった生命の時計がチックタック、チックタックと動き出します。すっかり昔の時代に戻って、周りの若い人たちは、みんな自分のクラスの生徒さんたちに見えてくるのです。その頃が母の人生の中で一番充実して輝いていたのでしょうね。
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