日本人の声で日本の歌を
幼い頃から私は歌うことが好きでした。ヤン チャ坊主で外息で、その上にカン高い声が極立 っていましたから、おしゃべりしていないなら歌ってる、歌っていないならおしゃべりしてる、 というウルサさは、母の語り草になっています。
私の歌好きはその母親から来ています。
それこそ毎晩私たち姉弟が寝ている枕元で、縫針の手を休めることなく、いろんな歌を聞かせてく れました。童謡とか、昔から歌い継がれてきたものが多かったようですが、記憶に鮮明に残っているのは「♪笛や太鼓に誘わ れて、村の祭りに来てみ たが・・・」という悲しい歌です。
母がその 歌をうたい出すと、姉弟は平気で聞いているの に、私は決まって目に涙があふれてきて、それ がきまり悪くて、いつもふとんにもぐり込んで いました。
父親はバイオリニストでしたから、酒席では 「オーゼの死」とか「ローレライ」などの西欧ものか、軍歌を歌っていました。しかし子供に 歌って聞かせるということはありませんでした。
私はこれが幸いしたと思っています。と言いますのは、音楽の素養のない母が、自分の精神構造に合った日本の歌を、素朴な声そのままで歌ってくれましたから、歌の心は幼い私の胸にストレートに届いたのではないでしょうか。
日本の歌は日本人の本来の声で歌うこんな当 たり前のことが、日本の音楽界ではそうなっていないところに特別な事情があります。 日本の音楽教育は、明治政府の方針であった「西欧に追いつき追いこせ」に始まっていますから、当時の音楽家たちは イタリア人のベルカント唱法を最高のものと考えました。そしてその 発声をもって日本の歌も表現したのです。
ベルカント唱法はいわゆるオペラの発声です。口元は柔らかく、ノドの奥を大きく開いて、最大の呼気を使います。この発声で日本の歌をうたうとどうなるか。まず日本語がわからな い。日本人は緊張しやすい民族ですから、そのことばも口先を細かく働かせ、ノドもあまり開かずに、息も大きく使わずに発せられます。ベルカント唱法では、その微妙な緊張がコントロールできません。
次にイタリア人の開けっぴろげな声は、控え目を良しとする日本語の精神構造にそぐわない。あの大目玉と大口が個性的なソフィア・ロ ーレンが「♪叱られて、叱られて あの子は町におつかいに・・・」と歌う図を想像してみて下さい。おそらく彼女も表現がむずかしくて当惑してしまうでしょう。
それでは日本人の本来の発声で歌うにはどうすればいいか。自分の内からの声を出発点とすればいいのです。ボディートークの自然発声法で身も心もスッキリとさせておいて、「オーイ」でも「ワッ!」でも 何でもいいですから構えなしで、作ることなく、そのままで出た声から始めるのです。
このことは教育の原点だと思うのです。子供の内からの成長に合わせて食べること、立つ時期、しゃべる内容を考えていく。反対に、何ヶ月になったから離乳食にしなくっちゃ、とか、赤ち ゃんには幼児語を使わないで正しい日本語でしゃべりましょう、とかの発想は外の形から入っていく教育です。
子供がボール投げを覚える始まりは、子供の好きな格好で好きなようにたくさん投げ させる。そうすると子供はボールを投げる感覚を、からだの内部に素直な動きから身 につけていく。だから子供の投げたとこ がストライクと考える。
逆に外の形から入 る教育では、お父さんが構えているミットのところへ届けばストライク。そうすると 子供は内なる動きを歪めてボールを投げることを覚えてしまいます。
発声も全く同じです。自分が自然に出した声を良しとし、それを出発点に磨きをかければ自然発声法と言えますが、先に声の美しい見本があり、このような声を出しなさいと教えているのでは、自分ではない借り物の声をひたすら勉強することになってしまいます。
音程がよくつかまえられない人を通称オンチと言いますが、オンチ は音の高低が分からないのではないのです。その証拠に人の歌に関しては音の狂いがよく分かるのです。オンチはただ音程をとるノドの微妙な調整が難しいと言うことなのです。
オンチの矯正も内からの教育で入るとうまく行きます。まずオンチの人が、楽に出せる音の高さで長く発声します。「オー」でも「アー」 でも構いません。音が取れる人は、その声と同じ声を横でそっと出し て、オンチの人の声を支えます。
次にオンチの人が声の高さを変えて いきます。そういう練習を重ねると、オンチの人の声帯は安定して振動することを覚え、音量をコントロールできるようになるのです。誰もが自分 の声から出発をして「歌のある人生」を楽しみたいですね。
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