ボディートークコラム

人生五十年は古代中国の名残り

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「初老」という語を辞書で引いたことはありますか? 開いてみてショックを受けること間違いなし。どの辞書にも「初老とは老人の始まりで四十才のこと」と記されているから。

四十才が老人とは何たることか・・・。しかし憤慨するには当たらない。これは人生が五十年と考えられてい た古代中国の名残なのだ。
古代中国では人生の各々の時期を四季に例えていた。 即ち春に始まって冬に終わると考え、各々に人生の色合いもイメージして味わい深い表現を創出した。

それでは、若々しく希望に満ちた人生の春は一体、何色か?講演会場で尋ねてみると、圧倒的にピンクという答えが返ってくる。この色は主に女の子の服や持ち物に配される色で、大切にされ可愛がられるイメージだから、現代の 若者はそれだけ苦労もなく幸せだということであろう。

古代中国では若者を未熱と考え、青の色に冠した。即ち「青春」である。
次に夏は何色か? 心身共に充実し、最も活動的な時期である。会場で問うと赤という答えが返ってくる。生命が燃えるイメージは昔も今も同じで、古代中国でも夏は赤と考えた。ただし赤色の顔料が朱であった関係で「朱夏」と称した。

秋の色は少し難しいかもしれない。現代の人は枯れ葉をイメージして黄色と答え ることが多いが、古代中国では白である。「白秋」と言うと、日本人ならすぐに詩人、北原白秋を思い浮かべるだろう。彼は若い頃より、人生をしみじみと振り返り始める時期、白秋という名をもって詩作にふけったのだ。

冬はやはり暗いイメージである。灰色や黒色と考える人がほとんどだが、古代中 国では黒の中でも真っ黒、すなわち「玄冬」である。幽玄とか玄妙などからもわかるように奥深く、とらえ所のないニュアンスがある。

「玄冬」は人生の酸いも甘いも噛み分けた時期で、玄人という語も人生の達人の
意である。玄以外は未だ色とは言えないという思いもあって、素人とは生きることに未だ色も付いていない人という意味である。

さて、人生を五十年と考えた時代では、四季は各々何才に該当するのであろうか。 生まれてから十才までは人生の準備期であって四季には入っていない。そして青春 が十代、朱夏が二十代、白秋が三十代。初老が四十才で従って玄冬は四十代となる。 やがて五十才に達すればあの世からお迎えが来て当然の年齢だったのである。

今、日本は世界の先端を行く長寿国となった。そのこと自体は大変喜ばしいこと であるが、反面、高齢化社会がますます深刻な問題となっていることも事実である。

この問題を解決するには、高齢者が元気に生活を送り、病死ではなく自然死を迎える、 いうことに尽きるのではないだろうか。
どうすれば自然死を迎えられるかについては別の機会に譲ることにして、生物学 的には人間は百二十才まで生きる可能性を持っているようだ。

現代日本は人生八十年というところまで来ているから、今後どこまで延びるか楽しみだが、ボディートークの自然体健康法 「人生百年 を身につけている人については、私は既に人生は百年と考えている。

人生百年となると、四季はどのように配分される か? まず人生の準備期は二十才まで延びる。大人になるまでにそれだけ長い年月が必要になるという ことだ。現に、今の大学生達は自分のことを大人と考えているだろうか? 親掛かりの点からも生活態度の点からも未だ子供時代に甘んじているようだ。

かくして青春は二十代、三十代。朱夏が四十代・五十代。余裕の世代の白秋が、六十代、七十代。そしてやっと初老を迎える。八十才である。

ボディートークでは八十をもって老人と考 える。そして八十代・九十代の玄冬も元気に 楽しく過ごそうと秘策を練っている。

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