皆さんは、ボディートークに出会うまでに「ふんわりと立つ・ふんわりと座る」 というようなイメージをお持ちになった事がありますか?このイメージを持ち、この感覚が身につくと、まるで自分の体が気体になったように軽く、自由に動けるようになるから不思議です。そしてふんわりと動いた後には、なぜか優しい気持ちが湧いてきます。それはきっと、ふんわりさは生命の原点だからなのかもしれませ ん。ふんわり立つことを身につけたい方へ、最初のステップとしてお勧めしたいのが「生卵立て」です。ではまず、私が体験した時のお話をいたしましょう。
● 生卵を立ててみよう
私がボディートークに出会ってまもない頃のことです。ホテルの朝食に出された生卵を、明先生がニコッと微笑みながら手にとって、テーブルの上にフウァッ と置かれました。しばらく両手でその卵を包んでいらっしゃいましたが、その手を そっと離されると「アレッ?」卵が立っているではありませんか?何かキツネに包まれたようで…。「やってみてごらん」と言われて、渡された生卵を立ててみま したが、手を離すとすぐにコロンと倒れてしまいました。
最初はどうしたら立つのかな?ぐらいの気楽な気持ちでやっていましたが、なか なか立ちません。次第に夢中になって卵と真剣に向かい合い、帰宅してもひたすら工夫・挑戦。でも悲しいことに、焦れば焦るほどますます分からなくなって いきます。「もう無理よ」とか「イヤ、きっとどこかに重心があるはず」とか。時計を見ると 20 時間経過。さすがに疲れ果てて、気が弛み、体と卵を支えていた両手からファ〜ッと力が抜けた瞬間、卵がミズからスッと立った感覚が全身に走りました。
「アッ、卵が立っている!! 一人で立っている!!」手を離しても、卵はオノズからスッと立っているのです。涙が流れてきました。そうか、私が強引に卵を立たせようと思っていたから立てなかったんだね。生卵の中に立つ力があったんだよね。 ミズから立った卵は何と美しいのでしょう。素で立つ、自然に立つ、ということがこんなにも美しく、優しく、穏やかなものなのかと私は感動で、しばらく身動きもできず、卵を見つめていました。
今までの私は何という傲慢な立たせ方を していたのだろう。ゴメンネと、自分の生命に謝りたい気持ちでもありました。ハ イハイしていた赤ちゃんが伝い立ちし、ついに一人で自分の足で立てた時の喜び、 また、それを見守っている親や家族の感動、まさにそれと同じなんだと思えました。
私は3才の頃から踊り続け、一軒家が建つほどにニューヨークでは費用をかけ、毎年「立ち方」の個人レッスンを受けていたのは何だったの?生卵が教えてくれた “ふんわり感覚”は、これまでの身体感覚と全く次元の異なるすごい世界でした。 生まれて初めて、生命を大切にして、生命を育む立ち方を、このとき教えて頂いたのです。
この日を機に、私の動き方は質的に変化していきました。それまで、コツコツコ ツと高らかに鳴り響いていたハイヒールの靴音がしなくなり、階段からうっかり滑り落ちた時もファ〜ッと体が羽のように軽くなりケガ一つしません。生活での身のこなしも良くなっていきました。もちろん、女子短大のボディートークの授業に、 さっそく生卵のプログラムが加わったのは言うまでもありません。学生の授業後の レポートに書かれた≪生命にふれるということは 心にふれるということ≫も「暖かいふんわり感覚」にたっぷりと包まれて生まれてきた、生命の言葉だったような 気がします。
さて、みなさんの「卵立て」はどんなことをあなたに教えてくれるのでしょう 。どうぞ楽しんで立ててみて下さいね。
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