赤ちゃんを迎え入れるために
北極の氷が溶けてしまう?森林が無くなる?渡り鳥がウイルスを運んでくる?―今や地球環境問題は、全人類や生物がのっぴきならない事態に陥っています。そして外的環境のみならず、私たちの《内なる自然》即ち、体や心の内部にも自然破壊が進んでいます。
新しい生命の誕生を身をもって創造する妊婦さんにとっても、例外ではありません。実は出産こそ純粋に大自然の営みなのです。その意味で、自然に反することは避けなければなりません。
そしてマタニティは自然を取り戻す絶好のチャンスでもあるのです。受精、受胎、妊娠、出産と、この時期は母子共に最も自然の力が活性化される、奇跡とも言える至福の時です。
そこで提案です。この《内なる自然》を実現する、大いなる知恵と体験を、地球環境を考える素敵なチャンスにして欲しいのです。こんな風に言いますと、そんな大げさなことを…。と思われるかもしれませんが、何も構える必要はありません。お腹の中の赤ちゃんに、育ちゆく生命を感じながら、妊婦さんがどう過ごせばいいのか、に気付き、実行していくことが大切なのです。ボディートークの見地から、いくつかの工夫をご紹介しましょう。
●上手に転びましょう
「妊婦さんは転ばないように、気をつけて!」と産婦人科では言われます。流産の危険性があるからです。似たようなことは高齢者の転倒防止でも言われます。骨折したり、寝たきりにならないための予防策です。しかし、この当たり前に思われる注意に、自然に反する原理が潜んでいるのです。
「転ばないように!」と注意されると、筋肉が硬くなります。そして心は緊張して、動きがギクシャクしてきます。結論を言えば、転倒防止を強調すればするほど、人は転びやすくなるのです。
大事なことは、上手に転ぶ道をつけることです。ボディートークの自然体法なら「とろけ寝」の運動です。軽く足を開き気味に、楽に立って体を左右にユラユラと揺すります。その動きの中で、膝、腰、背骨、首を緩めて、ゆっくりとしゃがみ込んでいって、仰向けに寝転んでしまいます。まるで美味しいアイスクリームが溶けていくイメージです。
体の固い人や、そういう動きに不安感のある人は、始めはお布団の上でやって下さい。「トロ、トロ、トロ~~」と言いながら。やわらかい声で寝転ぶと、道を歩いていて転びそうになっても、自然に心も体もゆったりとしていて、慌てずに対応出来るようになるのです。こんな「とろけ寝」なら赤ちゃんも安全ですね。
●触感を磨きましょう
赤ちゃんは何でもかんでも、口へ持ってきて舐めます。この行為は乳首を口にふくむ強い本能でもあるのですが、舌で物を確かめる、という思いもあるのです。そういえば動物たちのお母さんは、赤ちゃんをペロペロと舐め回しますね。あれは皮膚を整えて丈夫にする働きもあり、内臓を揺り動かして流れをスムーズにさせる働きもしているのです。
人間のお母さんは赤ちゃんを舐めませんが、赤ちゃんの舌を共感するためにも、妊娠中は舌の感覚を研ぎ澄ます絶好のチャンスです。食物を口にした時、味だけではなくて舌ざわりも意識して下さい。そして繊細な食感で料理の工夫をして下さい。キュウリやトマトも切り方ひとつで美味しくもなり、不味くもなるのです。
食物だけではありません。食器にも舌ざわりが大切です。赤ちゃんが初めて口にするスプーンやお皿なども、お母さんが舐めてみて、いい感じのものを選んでください。ちなみに私は、ヨーグルトを食べるときには、陶器の小さなスプーンを使っています。舌ざわりがとても柔らかで、スベスベして気持ちがいいのです。このスプーンを見つけた時は本当に嬉しかった。実は大きな声では言えないのですが、食器を運ぶ時には、お店の人に気づかれないように、そっと唇に当ててみます。
妊婦さんが食感を磨くと、更にいいことがあります。
食べすぎを防ぐことができるのです。ご存じのように、お腹の中に赤ちゃんが宿りますと、母体はその分の栄養を要求されますから、ついつい食べ過ぎるのです。この時、食感を磨くトレーニングをするだけで、一口一口ていねいに食べますから、食事に時間をかけることにもなり、唾液も十分に出て、小食でも満腹感が早くやってくるのです。そしてゆっくりの食事は、赤ちゃんを育てるときにも、赤ちゃんのペースにお付き合いできるようになるのです。
<五感を通して伝わる暖かい心>
赤ちゃんはかわいい口元をボッと開いてアクビをします。その仕草はとてもほほえましく、思わず優しい気持ちになって、見ている私たちまで頬ずりしたくなります。赤ちゃんは周りの気配に敏感ですから、暖かく柔らかい空気に包まれると、安心して眠りに入ります。でも面白いのは、テレビの映像の中のアクビは、赤ちゃんには伝わりません。もっぱら周りの生身のアクビに反応するのです。
赤ちゃんの神経はとてもナイーブです。その五感は、周りの人の声や動きをキャッチして、全身で自然に、素直に適応していきます。迷いも躊躇もありません。動物学で言われている「刷り込み」なども、その代表的な例でしょう。鳥の赤ちゃんが、生まれてすぐに目の前の動くものを見ます。その動く物体を母親だと認識するのです。その後、ずっとついてまわるようになる話は有名ですね。
世界中の赤ちゃんは、人種を問わず同じ声で泣きます。ところが大きくなる環境の中で、その周りの言葉を身につけていきますから、言葉をしゃべるようになりますと、どこの国の人だかを判別できるようになります。
また言語によって発声の方法が異なりますから、「アーアー」とか「ンマンマ」とか、未だ言葉にならない声を様々に出します。いわゆる喃語です。この発声はきわめてプリミティブにして、言語を獲得するための準備にふさわしいのです。赤ちゃんは喃語を発しながら、周りの人々の言語に全身全霊で反応していきます。そっくりそのままマネをするのですね。ですから、お母さんや家族の声に大変よく似るので、電話をしてもお母さんなのか、娘さんなのか、がよく分らなくなってしまいます。
2歳半になる女の子が、おばあちゃんに連れられてグループレッスンにやってきました。大人達が互いに行っている「体ほぐし」を興味深そうに見ていましたが、いつの間にか私の横にパタッとうつ伏せに寝ました。「みんなと同じように、背中をほぐして!」という無言の催促です。幼児の背中をほぐすには、特に繊細なタッチが必要です。私は、このタッチを《赤ちゃんを抱く手》と命名して、かつて女子短大生に教えていました。すべての人に習得してほしい「生命のふれあい法」なのですが、特にこれから母になる女性には必要不可欠な能力です。
帰ってから、おばあちゃんが女の子をほぐそうとしますと、その子はムクッと起きてきて、「おばあちゃん、城石先生はこんなにしていたよ」と言って、代わっておばあちゃんの背中を揺すりました。そのタッチの感触はもとより、手の当て方、座り方、雰囲気が、まるで私に生き写しのようだった、と後でおばあちゃんが報告してくれました。
私の手の感覚は、女の子の皮膚を通して、息づかい共々に正確に伝わったのだ、と思います。「脳皮同根」といわれるように、体で感じたことは、そのまま脳にイメージとなって刻み込まれるのです。
私は今、看護学校でボディートークの授業をしていますが、心配なことがあります。ナースの卵達は熱心に授業を受けてくれます。とても真面目なのです。けれど、熱意を込めて話しかけても、何だか機械に向かってしゃべっているような感覚になるときがあります。
彼女たちの眼は、確かに一斉にこちらを見ています。ですが、何か携帯電話のメールを見ていたり、映像の画面を見ているような眼差しに感じるのです。山びこは「オーイ」と呼べば、「オーイ」と返してくれます。しかし彼女たちは、私の呼びかけに対して、答える反応が気薄なのです。目の輝きが乏しいと言いましょうか、表情の底が浅いと言いましょうか、言葉は悪いのですが「のっぺり」とした印象を受けるのです。
これは一体どうしたことでしょうか。実は1990年以降に生まれた子供達に見られ傾向なのですが、育った環境が圧倒的に、作られた映像、作られた音、遊び方の決まっているオモチャ等々、反自然的なもに囲まれてきたのです。生身の人の声や動き、人間的なふれあいの場が乏しいのです。
マタニティ講座の中で、「赤ちゃんには毎晩、子守歌を歌ってくださいね」と言いますと、「わかっています。子守歌のCDを聞かせています」との答え。「いいえ、お母さんの声が必要なのですよ」と言いますと、「私が録音しておきましょう」と澄ましておっしゃる若いお母さんもいるのです。びっくりした私は「お母さんが毎晩、枕元で歌ってあげることが大事なのですよ」と《生身のふれあい》こそ赤ちゃんの心と体を育てるのだ、と説明しました。
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