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赤ちゃんは一人ほぐしの天才!! だけれど・・

「アヴァ〜 フム〜 フム~ ムゥ〜」かわいい声を発しながら、赤ちゃんはいつも全身をムズムズさせています。おっぱいを飲む時も足をピンピン蹴ったり…。 笑ったり、泣いたり、むつかしそうな顔をしたりする表情は、ずっと見ていても飽きません。

赤ちゃんはこのような動きをすることで、心と体に悪いものを積極的に体の外に出し(汗・尿・涙など)、体の内がいつもスッキリと楽になるようにしているのです。

最初は寝返りも一人では出来ず、大人から見たら、ずいぶん不自由に思えるのですが、それでも動かせるところはセッセと動かし続ける赤ちゃん。だから、すくすくと成長していけるのですね。 

ムズムズ運動だけでなく、時にはびっくりするほどの大声で、真っ赤な顔になって、 全身を震わせて泣くこともありますが、これもまた赤ちゃんにとって、とても大切な動きです。そう考えると《電動ゆりかご》ってどうなのかな?って思っています。

赤ちゃんを抱く時は、赤ちゃんの泣き声や表情を見ながら、これでいいのかな?と色々工夫してゆすったり、あやしたりします。電動ゆりかごには、そんな気持ちにはお構いなしに動かすのですから…。 

こうして便利さを装いながら、赤ちゃん の頃から誰もが持っていた《自分の身を守るための営みとしての、自然動(無意識レベル)》を奪っていく文明の利器が、私たちの周りには溢れています。ですから、も う大人になる頃にはすっかり、この蠢動レベルでの動きを忘れてしまっている人が多いのです。

でも大人になって、ボディートークで丁寧に一人ほぐしを続けていたら、 この眠っていた力が蘇ってきたという嬉しい報告がありましたので、お伝えしたいと思います。 

数年前、熊本県宇城市で、町主催のボディートーク・リーダー養成講座が始まりました。当日 40~50 名の参加者の中に、年配の女性がいらっしゃいました。 

重度のリウマチで、体は硬くなってほとんど動けなくなり夜眠っていても、あまりの痛さのため、すぐに目が覚めてしまうという状態だったそうです。病院でも「薬以外、もう治療法はナシ。他人が体をほぐすなど、かえって動きすぎて危ないので、自分で動くところだけでも動かして下さい。」との指示を受けていたそうで す。

「よ~し、それじゃ、私にはボディートークの動きがある!! 声を出しながら一人でセッセと動かしてみよう!!」と、その時、明るい気持ちで決心されたそうです。ほんのわずかに動くところを探し出し、ゆっくりゆっくり、焦らず、 少しずつ少しずつ、気楽にあきらめずに暖め、揺すり、蠢き続けられたそうです。 

そしてこの4月、「先生お久しぶりです。ホラ!見て下さい。こんなに動ける様になったんですよ。ホラ!こうやってココも、ココも、よく動くでしょう」と、次 から次へと、喜びにあふれた笑顔で動いて見せて下さいました。「本当にボディー トークに出会って良かったです」6~7 年前を知っている仲間達も、彼女の変身ぶりに感動、脱帽です。

「私は一人暮らしです。ですから、家族が体ほぐしをしてくれるということはありません。でも、一人でセッセと動いたんですよ」と、その声はとてもすっきりと、さわやかでした。

その後元気になられ、3年前からは町のボディートーク・サポーターのメンバーに加わり、今年が再度始まるリーダー・ 養成講座に受講生として参加。マタニティを始めとする町の健康事業の担い手として、活躍される予定です。寝返り、ハイハイ、そして何十回、何百回と失敗し、転んでも決してめげず、懸命に立とうとする赤ちゃん、歩こうとする赤ちゃん。彼女の努力には、そんな赤ちゃんの姿と重なるほどの《体の奥底から燃えてくる生命の熱さ》を感じました。

そして、《苦しい時も、悲しい時もあきらめず、ひたすら自分の生命に暖かい息でよびかけ、やわらかい手のぬくもりで包んであげてごらん》そんなメッセージが、私の心に改めて拡がっていきました。




慌てると「息がアガル」

人間、慌てるとロクなことはない。火事や地震で飛び出たものの、肝心な物は持ち出せなくて、どうでもいいような物ばかり手にしていた、という話はよく耳にする。慌てるとどうして冷静な判断が出来なくなるのか。実は息が問題なのである。

私たちは突然、予期せぬ出来事に出くわすと、みぞおち(鳩尾)がキュッと縮んで一瞬息が止まる。一旦固くなった鳩尾は、 すぐには緩んでくれないから胸だけで呼吸することになる。 しかも驚きの感情は交感神経を刺激するから息も早くなる。この呼吸が慌てた行動を起こさせるのである。

慌てた息は考えるより先に体を動かせてしまうのだ。別の表現をすれば「息がアガル」という状態だ。

「水がめと子供」の話をご存知の人も多いと思うが、中国の昔話である。ある時、子供たちが身の丈よりずっと 「大きい水がめの上に登って遊んでいた。すると一人の子供が誤って中に落ちてしまった。 かめの中は水がいっぱいである。

溺れてしまった子供を、まわりの子供たちは、どうしよう、どうしようと大騒ぎしているだけで、誰も助けることができない。その時、一人の子供が大きな石をぶつけてかめを割り、水を抜いて救い出した、という話である。

これは咄嗟の時の気転を教えているのであるが、実はこの少年の息は下りているのだ。まわりの子供たちは息が上がっているので、救う方法が考えられない。つまり冷静に判断するに は、息を下ろすことが不可欠の条件なのである。

映画「007」のジェームス・ボンドは身の危険が目前に迫っていても、美女とキス などしている。現実にはこんなシーンはあり得ないだろうが、この悠然とした態度が カッコいいし、魅力がある。私の娘は映画にのめり込む方だから、「こんな時にキスな んかするな!」とやきもきしている。

この娘がまだ三才の時であった。音楽会に連れて行ったのだが、途中で声を上げ
ては困るので、私は会場の一番後ろのドアに立って聴いていた。娘は壁にもたれて右へ 行ったり左へ行ったりして遊んでいたが、急に泣きだした。

見ると半開きになったドアの、回転軸が固定されている側と壁の間に手をはさまれている。遊んでいるうちにツルッと手が入ってしまったらしい。防音用のアルミサッシの大きな扉である。ドアを閉じれば娘の指はちぎれてしまう。
まわりにいた人が気付いて、突嗟にドアを動かないように持ってくれた。私は娘の手を引っ張ったがなかなか抜けない。手のひらにアルミサッシの緑が食い込んでいて、泣き叫ぶばかりだ。騒ぎを聞きつけて管理人がやって来た。

どうしても抜けないので、救急隊を呼んでドアをはずしてもらおう、と彼は提案した。この時、私は大きくひとつ、息を吐いたのを覚えている。そのとたんに冷静になった。

手は入ったのだから抜けないはずはない。柔らかく、リラックスした手だったから入ったのだ。それが今、びっくりして固くなっている。だから抜けないのだと判断した。

私はしゃがんで娘の背中を包み込むようにしてさすってやった。そして手首をそっと持って、「力を抜 いて手を柔らかくしてごらん」と耳元で囁いた。する と、手はそろりそろりと抜け始めた。抜いてみると手 のひらには紫色の太い線がくっきりと残っていたが、 大事には至らなかった。

緊急時には、まず、息を落とすことが大切である。 「落ち着いて行動しましょう」と日頃どんなに口を酸っぱく言ってみても、イザという時、息が下りなけ れば落ち着くことは出来ないのである。

息を下ろすと更にいいことがある。冷静な判断ができる、ということはもちろん、実は、体の反応も違うのである。例えばヤケドをしたような時も、その瞬間に、まずひとつ息を落とすことを心掛ける。それから落ち着いて 水で冷やす。そうすれば治りはずっと早くなる。




血が上ると石頭、引くと豆腐頭

新幹線でうっかりと忘れ物をした。座席の前の荷物棚の上にノー トを入れ忘れて下車してしまったのだ。ホテルに着いてカバンを開いて気が付いた。仕事に関わる大事なノートである。一瞬にし て頭から血の気が引くのを感じた。

血の気が引くというのは、まるで頭のテッペンから水が流れ落ちるかのような感じをいう。ただし、水といってもほんの僅かな量である。私の頭は周囲に髪の毛を残して円く禿げているから、 西洋のお坊さんか河童のお皿をイメージしてもらえばいいが、そのお皿から一瞬にして水がこぼれて干上がったという感じである。

これは本当に頭の血が少な くなったからで、このような 頭を触るとプヨプヨした柔らかさがある。反対に頭に血が上ると、血管には血がいっぱ い詰まっているので、触るとカチカチである。まるで石のように固いので、このような頭を昔から石頭と呼んでいる。

気力を失っている人は、頭の方へ血があまり行かないから、 やはりブヨブヨとしている。これを私はトウフ頭と名付けてい るが、人の頭がトウフ頭か石頭かは触ればわかる。一番いいのは血流が程良くてスッキリした頭である。この場合は触ると柔らかくて弾力があるから、コンニャク頭と呼んでいる。

話を戻そう。忘れ物に気が付いて頭から血の気が引いて、次に私は胃がキュッと縮むのを感じた 肩の上部を片手で握ったという感じである。これは、イライラはしているものの、目を突き上げるような焦りまでには至っていないことを表している。困ってはいるが、たとえノートが出てこなく ても何とかなるだろう、と体は判断しているのだ。

一般的に胃の上部が固くなる時は苛立ちである。反対に胃の下部が固くなればクヨクヨである。 既に望みがないにもかかわらず、あきらめがつかないとクヨクヨのしこりが顕れる。だから人のおなかに手を当てて、肩を揺すってみれば心の状態がわかるのである。

さて、駅に連銘をとって、忘れ物を見つけなければならないのだが、その前に為すべき事がある。 「胴ぷるい」と「首まわし」のボディートークである。何故か。
大事なものを置き忘れたというショックを心も体も受けている。まず、そのユガミやシコリを取り除き、心身のシコりをほぐし、忘れ物をしたという事実を、心にも体にもしっかりと納得させなければならない。

私は、おなかをブルブルッと揺すって胃をリラックスさせ、「アー」と声を出しながら首をグルグルまわして、頭に血を戻した。その間、五秒ほどである。
こうして気が収まると、この忘れ物はきっと神様が必要があってさせたことなのだと思えてきた。 何かいい事があるのかもしれない。例えそうでなくても、起こってしまったことをさっさと認めて、 その解決の方に心を向けると行動は楽になる。

そういう訳で、散歩気分にして駅へ戻り、係の人に終着駅へ問い合わせてもらった。しかし届け出はない、とのこと。ノートには電話番号が記してあるので、後は拾ってくれた人が連絡してく れるのを祈るしかない。

その夜遅く妻からホテルに連絡が入った。ノートを拾ってくれた人から電話があったのだ。早速、 親切な人にお礼の電話をした。M氏という、ある著名な会社の部長さんであった。

電話でしばらくお話をしたが、M氏は私の席より三つ後に座っていた。そして私が時々背中を左.右に振る運動をするのを見て、おもしろい動きをする人だと 興味を覚えたということである。

この運動は「背骨の波送り」といって、背中を海の中のワカメのようにユラユラ揺する方法である。これを行うと背骨がよくほぐれるのである。ご存知のように背骨の一つ一つか ら、胃や腸や心臓などを働かせる自律神経が出ているから、 背骨の可動性をよくすると、自律神経の働きが活発になって 疲労が回復するのである。

人の縁とは不思識である。私の背骨の揺れがもしM氏の目 に入らなければ、ノートは別の運命を辿っただろう。ノートが戻ってくる喜びもさることながら、 私はM氏との出会いをとても楽しみにしている。




ウルトラパワーアップ!!

空を越えて~ ラララ星のかなた~ ♪

とメロディーに乗って、心優しい科学の子・鉄腕アトムは、昭和の時代を夢に向かって、子ども達の心の中を飛んでいま した。今の幼い男の子のあこがれのキャラクターは、「ウルトラマン」。全身でウルトラマンになりきるその姿は、真剣そのものです。

K君は2才の男の子。お母さんは、保育園の園長さんです。ある日、保育園での ボディートーク学習会の時間帯が、ちょうど園児達の昼食時間と重なり、K君と一 緒に園児と同じ給食のお弁当をいただくことになりました。嬉しそうに、大好きなふりかけをご飯にかけ、口いっぱいにモグモグ。

でも何故か、野菜にはちっとも手 が伸びません。特に煮た野菜のごぼうは残されたままです。「K君、お野菜が残っているよ。ホラ食べて!」とお母さんが何度も言っていますが、一向に関心を示し ません。

「これを食べないと、デザートをあげないよ」とかいうような手口には決して乗らないタイプのK君。お母さんの声が次第に苛立ちになってきます。
そこで、私は『ねぇ、K君知らなかっ た?ごぼうを食べると、ウルトラパワー アプするんだよ、知らなかった?』と、 小さな声で、耳元でささやいてみました。

『あのね、ごぼうはね、外から見えない 土の中でドンドン大きくなっていくでし ょう? だから、これを食べると見えない ところで、どんどんパワーアップしてい くんだよ。ちょっとだけ食べてみる?』 と説明すると、私の目をジッと見ながら 真剣な顔になり、「ボク食べてみる」と口を開けました。ほんのちょっぴり、口の中にごぼうを入れてあげました。モグモグ、モグモグ。これまた真剣な顔つきで、味を噛み締めている様子です。

『ねぇ、どう?ホラ、パワーが湧いてきていない?』私もK君の目をジーッと覗 きこみながら、真剣に尋ねます。「ウ~ン… あ、湧いてきた!」と、K君は息をいっぱいに吸って体を膨らませ、大きくなっていく姿勢をとっています。『わぁ~ すごいねぇ〜!もう少し食べてみる?』「ウン」『どう?』「ウン、パワーアップし てきた!!」もう見事なウルトラポーズです。

こんな調子で一口ずつ口の中にごぼうを入れていくと、いろんなウルトラポーズと変身のための声が発せられました。 あっという間に、ごぼうは食べ終わりました。『このことは、K君のお兄ちゃんも知らない秘密のことだからね。内緒だよ』嬉しそうに、K君ウルトラマンは更に パワーアップして部屋を走り回り始め、止まりません。(おうちに帰っても、寝る まで動いていたそうです)これにはお母さんもビックリ。

「これまで何を言っても 食べてくれなかったのに…」と。
子ども達はいつも、心の中にキラキラした夢を抱いています。その夢の実現のた めには、心も体も総動員して大きなエネルギーを出せるのです。そして少々困難な ことも、その夢に向かっていくエネルギーにホイッと乗ると、子ども達は全身で喜びながら信じられないほどの力を発揮していくのです。

ただその時、周囲は安全を確保してあげること。また、それがその子が自ら自分の生命を成長させようとする力につながるかな?という視点で支えてあげることが必要です。

こぼうのような根菜類を食べると、根気が出ると言われています。固いものをよ く噛むことで、顎関節もよく動き、消化液もよく分泌され、免疫力が高まり、脳の血流量も増えるのですから、いいことだらけです。

見事なK君の変身ぶりに驚いて いるお母さんに、ちょっとアドバイス。『これは、子どもを目先のことで騙したの ではありません。ごぼうを食べると本当に体が丈夫になるという本当のことを、彼の夢に向かってK君にわかりやすく、スイッチを切り換えただけですよ』と。

大人になっても、いつも大きな夢や希望を持ち続けたいですね。だってそういう 人は、火の上でも火傷せずに渡れるほどの力も出て来るほどですから。その後、K 君は、「ごぼうを食べる~」と毎食、自分からごぼうをおねだりするようになり、朝から晩までパワー全開だそうです。




生命を守る知恵、伝えよう

●ビックリ大地震

水はつかめません   水はすくうのです ♪

    指をぴったりつけて   そっと大切に ♪

これは以前にもご紹介したことのある、水のこころという歌ですが、数年前に起った熊本地震の時に、熊本や大分の会員の皆様の心の痛みを少しでもこの両手にそっとすくい、あ たためてあげられたらと、そんな思いでこの歌を歌わせていただきました。
偶然の一致とも言えるように、会報のカメさんは怖い時どうしてる?の原稿を書き上げ、ペンを置いた瞬間、突然、携帯電話の音が鳴り響き、グラグラッ〜。その時、 福岡にいた私にもかなりの揺れにビックリでした。

●頭はクルクル体は石の防弾チョッキ

最初の数秒は何が起こっているのか、???の状態になりましたが、阪神大震災を 大阪の高層ビルで体験していたので、さほどパニックにはならず冷静でいられました。ところが夜中になっても連続する大きな振動に、これは今までとは違う、次の事態に備えて何をどうすればよいのか、と準備を始めました。頭はクルクルと超スピードで回転していきました。

90才の母と一緒に、どこへどのように避難するのがベストなのか? 母の薬は? 食料は? 衣服や貴重品は? 全速力で24時間openのマーケットに駆け込み、頭もクルクル超スピードで回転しながら一晩を過ごしました。

幸い福岡はその後もそれほど強い揺れはなく、避難所も解除されました。大きな揺れが来た時は安全な場所を探し、うずくまりました。「ウァ~!!」と、言いながら積極的に体を揺すると、 体が固くなりにくいと感じ、その動きを繰り返していました。

しかし、そうしたにもかかわらず、数日後に母に体ほぐしをしてもらうと、今までに体験したことのないほど体全体を固めていました。地震の翌日から何人ものプライベート・レッスンをしましたが、やはりどの人の体も普通の生活レベルと異なった石のような固さでした。

本人はそう感じていなくても、地震が続くと生命を守るために作る体の防弾チョッキはこんなにも固くなるのだと感心するばかりでした。

●生命の危機から自分を守るためにかけた体のカギ・心のカギ

私は今回の地震で、心を通して体をほぐすボディートークの体ほぐしのすごさを、 我が身を通してより深く、また新鮮に体験することができました。それは、

1 体のしこり・心のしこり(体のカギ・心のカギ)は、自分の生命を守るために  かけるものであること

2 カギを開くには、自分の内から開けたい強いエネルギーが湧き起こらなければ開きにくい

3 自分の力ではカギが開きにくい時、外からのあたたかい息と、手のぬくもり、そしてカギをかけた時の心の状態を表す明解な、しかも共感レベルでの言葉が必要であるということでした。

また、2のステップになると、私はガタガタと体が震え始め、どんなに熱いお風呂や熱いシャワーを浴びても寒さが続き、その後に急に高熱が出始め、そうなると涙が次から次へと流れ出し、「怖かった」「助けて欲しかった」との言葉も出しながらカギを開けようとしていきました。

● フラッシュバックして大掃除

そしてもう一つの新しい貴重な体験をもすることができました。地震のことで掛けたカギだけではなく、心の奥の奥に押し込めていた、もう自分ではほとんど忘れてい た幼い頃の心のカギまでが開き出し、一緒に揺れ動き出ていったのです。

内なるエ ネルギーが火山のマグマのように噴き出してくると、フラッシュバックが起こり、「怖かった」「助けて欲しかった」「傍にいて欲しかった」などと言葉に出しながら、一気に心の大掃除をしていったのです。まだ他にも発見がありましたが、 それはまたの機会にお話しすることにいたしましょう。

● あたたかい息と、手のぬくもりで生命を守るボディートークを届けよう

エコノミー症候群やメタボリックシンドロームにならないようにと、紹介されている動きの映像を見た時、皆さんはどう感じられましたか? 「ゴキブリ体操は声を出してやって」とか「足をほぐすには、温泉たまごをお互いにやって みて」と思わず言いたくなりませんでしたか?

今、これから全国どこにでも起こりうる災害のために、子どもも大人も誰も がやれる、もっと効率が高い即効性のある、より役に立つ心ほぐし・体ほぐしを 伝えていけたらと願っています。 すでに、もういくつかの新しいほぐし方も考え受講生の方々に実践していただいています。

これからもあたたかい息と手のぬくもりを添えて、生命を守る知恵がより多く の方へ届いていきますようにと思っています。




真実は体が直感する、背中占い

幽霊は存在するのか、しないのか。たいていの人は幽霊は人間の作り話だと思っているだろう。ところが実際に遭遇したという人は極めて具体的に、いつ、どこで、誰の幽話がどのようにした、 と語っているし、またその口調は妙に確信に充ちている。

幸いにして幽霊なら私も一度、はっきりとこの目で見、声も聞いたので、 その時の模様を述べよう。

私が学生であった、ある冬の夜、午前二時頃であったと思う。眠っていた枕元に人の気配がして私の名前をしきりに呼んでいる。 その声はとても苦しそうで、弱々しい。名前を呼んでは「ウー」 と呻くのだ。ぼんやりしていた私の頭が次第にはっきりとしてきて、これはてっきり姉だと思った。姉が夜中に苦しくなって私を起こしに来たのだと理解したのだ。

目を開くと姉が私の顔をのぞき込むように近づいていてい る。私は思わず「どうしたの?」と尋ねた。そのとたんに、白 い姿はスーッと遠のいて消えていったのである。

これは幽霊だ、と背筋がゾッとした。はっきりと姿を見たのは事実だし、声だって耳に残っている。今のは一体何だったのか。私は起き上がって考えることにした。

結論はこうである。当時私は風邪気味で興を詰まらせていた。従って口を開いて息をしていたから寝ている時に、気管支のゼーゼーという音がしていた。それを姉の声だと錯覚したのだ。

目を開くと姉がいたというのは、目の盲点のせいである。眼球の奥には視神経がつながっていて、 光を感じない部分がある。この盲点のために私たちは目で見ていても、風景はどこか一部分が白っぼくなっている。寝呆けた目を開いた時、暗い部屋の中ではこの白いモヤモヤの部分は大きい。

てっきり姉だと信じて目を開けたから、モヤモヤを人間の姿だと見てしまったのだ。次に私は声を発した。すると気管支のゼーゼーは当然、音がしなくなるし目の神経も急速に働き始める。モヤモヤがスーッと消えたのは、目が暗がりをはっきりと見たからだ。

つまり私の見た幽麗現象は、頭の中で作られた主観的なイメージと、体で感じられる客観的な感覚とが合成された結果である。他にももっと別の原理で幽霊が現れるかもしれないが、少なくとも私の遭遇した現象は充分起こりうることである。また私の一生でも一度きりのことであるのかもしれない。

私はそれまでは幽霊の話などバカバカしいと一笑に付していたのだが、このことを経験してからは、心霊現象などの話も真正面から受け止められるようになった。そして自分なりに、その奥に潜む客観的事実や科学的根拠を探ることに、興味を持つようになった。

ボディートークの「背中占い」についても、幽霊の話と同じく初めは半信半疑の人が多い。

「背中占い」とは背中のしこりを触診して心の問題を知る方法である。
初対面で、何の予備知識もない、ある大学の医学部教授の背中を触った時のことである。私は三十秒ほど指を軽く走らせてから、こう言った。

「あなたは最近、大きなイベントを終えてホッとしていますね。肩の荷を下ろした状態が胸椎一 ・二番に表れています」「また、部下に一人、とても扱いにくい人がいて、そろそろ決着をつけなく ては、と考えています。」

「それは胸椎七番の右にしこりとなって出ています。」
それに対して大学教授は真顔でこう答えた。
「驚きました。そのことは二つとも当たっています。しかし背中を触ってわかるなどということを、私は信じませんね」

借金のしこりが首の付け根に出て首が回りにくくなること や、失恋のしこりが胸椎三番に出て肩身を狭くすることなど を、私は人の背中を触ることで経験的に知った。そして様々な心の問題が、その悩みの種類に応じて体にそれなりのしこりを作ることを私は確信している。

真実は先ず体が直感する。その真実は経験的に確かめられている。心と体の具体的な結び付きが、やがて医学的にも証明される日がきっと来るだろう。




カメさんは怖い時、どうしてる?

ある時、親子のボディートーク教室で「カメさんは、雷が鳴ったり、地震が起き たりした時、どうしてる?」と尋ねると、あっという間に部屋の隅に四つん這いで 這って行って、手や足、首や仙骨を縮め、丸まった姿勢で震え始め、全身を使って答えを私にくれました。

私はそこで「そうよね。カメさんはそうやって自分の生命を守ってるね。エライねぇ。人間も怖いとそうするよね。でもね、そのままの姿勢でずっといると、体が苦しくなってくるでしょ?ご飯も食べられないし、うんこやおしっこも上手くできなくなるし…。そんな時に、首やしっぽをあったかい手であたためながら 『怖いね』とか『怖かったねぇ。でも大丈夫だよ』って体 に言ってあげると、体と心があったかくなって、怖い気持ちが消えて元気が戻って 来るんだよ」と言いました。

怖い時に首をすくめ、しっぽを巻いている部分を、また怒っている時に腹を立て ている胃のところをあたため、心をあたためる、そんな体を通して心をほぐす方法を、子ども達が幼い頃から生活の中で自然に身に付けていけるには、どんな工夫をした らいいかな?と、私の夢は膨らんでいきます。次回号には、人間関係法のパフォーマンス「電気ショック」の楽しみ方をご紹介 させていただこうかなと思っています。




息は伝染するもの、あくびはその好例

息は伝染する。会議などで一人がアクビをすると、次から次へと伝染して会場に気怠さが漂う。その意味で息はその場の空気を支配する、とも言える。

狭いエレベーター内ではお互いの息遣いが聞こえる。それで聞こえないようにと息を殺すものだから、窮屈な思いをしてしまう。こういう時は口を少し開くのがコツだ。ロを開くと音がしないように息を足下まで落とすことがで米るから、楽に深い呼吸ができる。

窮屈な息といえば、お葬式もその典型である。悲しみの 思いは気道を締めるから参列者の大半は息を詰めている。その中に故人と縁がなく、義理で参列している人もいるだろうが、その人も開放された明るい声でしゃべることは憚られる。全員が声を潜め、息を詰めることで会場の空気が悲しみ一色に 統一される。
悲しみを更に深めるために、昔は葬儀専門の泣き女という風習さえあった。

また、飛行機事故で亡くなった坂本九さんのお葬式では、会場に流れるバイオリンの音が、かすれ気味に震えながら、とぎれとぎれに演奏されているのが印象的であった。共に会場の空気を支配する力を持っている。
そして会場の空気とは、その場にいる人たちの息の仕方に他ならない。従ってお葬式に参列する時は、会場の近くまで行ってから胸を押さえて、数回、息を詰めておくのがコツである。そうすればお悔やみも言い易くなる。

妻の息が夫に伝わる

夫人は四十代後半の上品な奥様である。夫婦間の悩みがあってボディートークの個人レッスンに来られた。夫は温厚な人柄で会社の管理職でもあり、特に問題がある訳でもない。ところが結婚以来、いまだに打ち溶けて話し合ったことがないのだそうだ。いつも礼儀正しくよそよそしくて、他人と暮らしているようだ、とおっしゃる。

早速、O夫人にうつ伏せに寝てもらって背中を調べた。すると背中が石のように固い。 特に両肩甲骨の間である肩身をギュッと詰めている。これは切ない思いを溜め込んでいるしこりである。また、その下の胸椎九番に強いしこりがある。これは憎しみを表す。

しかし他のしこりとの関連から、夫へのではなく、どうやら両親へ向けられた憎しみの感情である、と私は直感した。「ご主人のことより、ご両親のことで憎しみが出ていま すが・・」と説明すると、O夫人は思い詰めたように語り始めた。

両親から、今のご主人との結婚話を勧められた時、彼女には他に意中の人がいたのである。そのことをご両親に打ち明け、辞退したいと懇願したけれど聞き入れられず、無理矢理、結婚させられてしまった。自殺未遂事件まで起こした揚げ句、夫には決して心を許すまい、と決意して結婚生活に入ったのだそうだ。

「結婚以来二十数年、そんなことはすっかり忘れていた。」と0夫人は寂しく笑ったが、 そのあと肩身をほぐすと、泣きたいと思っていないのに止めどなく涙が流れ出た。しこりや憎しみのしこりは、本人がそのことに気付きながらほぐすと柔らかくなるものである。固くしていた神経がほぐれてやっと涙も出るのである。

しきり泣いて彼女は帰ったが、その夜、びっくりすることがあったと、次のレッスンの時に報告があっ た。夫が口笛を吹いていたというのだ。今まで聞いたこともなかった夫の口笛とリラックスした態度に彼女はびっくりしたのだが、それは彼女の息が緩んだからである。

変わったのは彼女の方の息である。心をほぐし体 をほぐして、わだかまりを取っていったので、夫を許す息になったのだ。妻の息が夫に伝わる。
妻のわだかまり消え和やかに開放された息が、夫の無意識の息に伝 わり、家庭の空気が和んで、彼の方は思わず口笛が出た、というのが本音だろう。

夫人から「お蔭様で、電車に乗っても、やっと夫と隣同士座れるようになりました。 この分だと、これからは少しづつ近づいていけそうです」という、うれしい便りをもらった。




心の動きと息との微妙な関係

心の働きはすぐさま息となって表れる。相手に対して悪感情を抱いていると、気道は微妙に収縮して息を詰まらせる。詰まった息でしゃべれば、どんなに丁寧な言葉遣いをしても、声は重く曇ってしまう。

時間オーバーの訪問客がようやく重い腰を上げてくれると、そのとたんに自分の息がほぐれ、気分が軽くなって思わず声が大きくなった、という経験を誰しもお持ちだろう。相手をする側は自分の声の重さを感じているのに、来訪する側は意外とそのことに無神経なことが多い。
商談の席でも本音は、声の調子や息遣いに表れるから、相手の言葉に振り回されないで、言葉の奥にある息そのものに焦点を当てることが肝心である。

かつて我が家が引っ越しをした時の話である。二社の引っ越 しセンターに依頼をして、とりあえず見積もりをしてもらった。 まずやって来たのは大手の引っ越しセンターである。若い営業マンが各部屋の家具や荷物を見て、トラックの大きさや荷作りの手順を手慣れた様子で 説明してくれた。そして最後に値段の交渉に入った。

すると今までの流暢なおしゃべりはどこへやら、急に横を向いて咳込み始めた。こちらに言いかけては、咳が出てしまうので話が進まない。
この場合の咳は心の働きに起因する。営業マンとしてはなるべく高い額を言いたい。しかし契約が成立しないことには仕事にならないから、自分の裁量に任されている範囲で値引きをしなければならない。

言いたいことが言えないと、背中の両肩甲骨の間(正確に言うと背骨の胸椎4番左側)がキュッと締まってシコリが出来る。シコリとは筋肉が固くなることだから、その中を通っている神経も圧迫される。胸椎4番から出ている神経は気管に関係しているから、その働きが鈍くなり収縮させてしまう。その収縮をとろうと咳をして緩まそうとするのである。

あまりに咳込むので、私は助け舟を出した。「あなたが本当に欲しい額はいくらなの? 上限 は? そしていくらまで値引きできるの? これ以下じゃダメっていう値段は?」すると若い営業マンは意を決したらしく、上限は十八万、下限は十五万、とスラスラ答えた は上の値段が言えれば止まるのである。

次にやって来たのは見るからに力持ちで機敏に動きそうなオヤジさんだった。引っ越しの段取りの説明も合理的であったし、値段の交渉も一瞬にして終わった。
「うちはこの規模なら十五万。ただしお宅の希望の日は既に午前は仕事が入っている。もし、その後からでもよければ十二万で結構」オヤジさんの息は単純明快、一点の曇りも迷いもない。その道一筋という心意気が気に入ってその場で契約をした。

気が合うとか合わないとかは、実は息の仕方の相性である。どうせ仕事を頼むなら、この人と思う人の方が良いに決まっている。契約後にそんな話をしていると、オヤジさんが引っ越しの話をしてくれた。

お客さんによってはどうも気に入らない人がいる。そういう時は仕事の段取りも妙にチグハグになって疲れがドッと出る。そうかといってお客さんに仏頂面をする訳にはいかないから、外面はニコニコしているもの内心はイライラが高じている。イライラ解消はイジワルをするに限る、というのである。

例えば冷蔵庫に卵のパックだけを残して運ぶ。そうする 卵が割れて後の掃除が大変だ。また引っ越し先に着くなり、冷蔵庫の電源プラグを然り気なく差し込む。そうすると冷蔵庫の冷却がうまくいかなくなる。コンプレッサー内の液体
が安定しないうちに圧力がかかるからだそうだ。

オヤジさんは気付かれないようにイジワルをして秘かに溜飲を下げているのだ。この溜飲を下るというのも、気に入らない人に対して詰まったのを、その人が困っている様子をイメージすることによってほぐしている、と言えるだろう。
いよいよ引っ越しの当日、冷蔵庫を運び出す段になって、私はソッと冷蔵庫の扉を開いてみた。幸い 卵のパックはなくて、きれいに空っぽであった。




ふんわりと立ってごらん

皆さんは、ボディートークに出会うまでに「ふんわりと立つ・ふんわりと座る」 というようなイメージをお持ちになった事がありますか?このイメージを持ち、この感覚が身につくと、まるで自分の体が気体になったように軽く、自由に動けるようになるから不思議です。そしてふんわりと動いた後には、なぜか優しい気持ちが湧いてきます。それはきっと、ふんわりさは生命の原点だからなのかもしれませ ん。ふんわり立つことを身につけたい方へ、最初のステップとしてお勧めしたいのが「生卵立て」です。ではまず、私が体験した時のお話をいたしましょう。

● 生卵を立ててみよう
私がボディートークに出会ってまもない頃のことです。ホテルの朝食に出された生卵を、明先生がニコッと微笑みながら手にとって、テーブルの上にフウァッ と置かれました。しばらく両手でその卵を包んでいらっしゃいましたが、その手を そっと離されると「アレッ?」卵が立っているではありませんか?何かキツネに包まれたようで…。「やってみてごらん」と言われて、渡された生卵を立ててみま したが、手を離すとすぐにコロンと倒れてしまいました。

最初はどうしたら立つのかな?ぐらいの気楽な気持ちでやっていましたが、なか なか立ちません。次第に夢中になって卵と真剣に向かい合い、帰宅してもひたすら工夫・挑戦。でも悲しいことに、焦れば焦るほどますます分からなくなって いきます。「もう無理よ」とか「イヤ、きっとどこかに重心があるはず」とか。時計を見ると 20 時間経過。さすがに疲れ果てて、気が弛み、体と卵を支えていた両手からファ〜ッと力が抜けた瞬間、卵がミズからスッと立った感覚が全身に走りました。

「アッ、卵が立っている!! 一人で立っている!!」手を離しても、卵はオノズからスッと立っているのです。涙が流れてきました。そうか、私が強引に卵を立たせようと思っていたから立てなかったんだね。生卵の中に立つ力があったんだよね。 ミズから立った卵は何と美しいのでしょう。素で立つ、自然に立つ、ということがこんなにも美しく、優しく、穏やかなものなのかと私は感動で、しばらく身動きもできず、卵を見つめていました。

今までの私は何という傲慢な立たせ方を していたのだろう。ゴメンネと、自分の生命に謝りたい気持ちでもありました。ハ イハイしていた赤ちゃんが伝い立ちし、ついに一人で自分の足で立てた時の喜び、 また、それを見守っている親や家族の感動、まさにそれと同じなんだと思えました。

私は3才の頃から踊り続け、一軒家が建つほどにニューヨークでは費用をかけ、毎年「立ち方」の個人レッスンを受けていたのは何だったの?生卵が教えてくれた “ふんわり感覚”は、これまでの身体感覚と全く次元の異なるすごい世界でした。 生まれて初めて、生命を大切にして、生命を育む立ち方を、このとき教えて頂いたのです。

この日を機に、私の動き方は質的に変化していきました。それまで、コツコツコ ツと高らかに鳴り響いていたハイヒールの靴音がしなくなり、階段からうっかり滑り落ちた時もファ〜ッと体が羽のように軽くなりケガ一つしません。生活での身のこなしも良くなっていきました。もちろん、女子短大のボディートークの授業に、 さっそく生卵のプログラムが加わったのは言うまでもありません。学生の授業後の レポートに書かれた≪生命にふれるということは 心にふれるということ≫も「暖かいふんわり感覚」にたっぷりと包まれて生まれてきた、生命の言葉だったような 気がします。

さて、みなさんの「卵立て」はどんなことをあなたに教えてくれるのでしょう 。どうぞ楽しんで立ててみて下さいね。