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子供の心に焦点を当て真正面から共感する 2

ガス漏れの原因を突き止める

家庭内の暴力はまず親から
水中で息を止めて潜っている苦しさは誰しも経験があるだろう。その息苦しさも自分の意志で潜るのであれば恐怖感がないのだが、友人に頭を押さえつけられて沈められたりすると、遊びだとわかってはいても、真剣にもがいてし まう。

また、子供の頃に悪ふざけでふとん蒸しなどをして遊んだが、された方は息が出来なくなるという恐怖感から思わぬバカ力で暴れ回ったものだ。
人は息が詰まって呼吸が出来なくなる瞬間、理性では、 おうよそ考えられないような行動に出てしまう。

自殺の場合もそうである。私は十二階建 てのマンションに暮らして いるが、この屋上から時たま飛び降り自殺がある。夜中に遠方からフラフラとやって来て屋上に登るらしい。自殺する人は死に場所を求めてウロウロすると言われているが、むしろ死ぬ瞬間を求めているのではないか?
息が極度に詰まった瞬間だからこそ思い切って飛ぶことができるのではないか? 私は時々屋上から下をのぞいてみてそう思う。息に余裕があれば見下ろすのも恐ろしくて、到底飛び降りる勇気など出て来ない。

家庭内暴力はこの息苦しさから起こる。暴れる子供は肩甲骨と肩甲骨の間が詰まっています。 肩身の部位を極端に詰めている。自分が受け入れてもらえない不満や切なさが積もりに積もって、体の内からギュッと肩身を狭めているのだ。肩身は呼吸器官の場所だから、 ここを詰めると息は重く苦しくなる。

家庭内暴力は暴力行為そのものを押さえようとしても解決はしない。ガス漏れに例えて言えば、暴力行為はガス漏れ監報器である。ガスが漏れているから鳴っているのであ る。それをうるさいからと止めてしまっては肝心のガス漏れを防ぐことはできない。

むしろ警報器は鳴るがままにしてガス漏れの原因を突き止めることが第一である。ガスが出なくなって初めて警報器も鳴らなくなるのであって、即ち警報器は原因究明の道案内なのである。「ピーピー」音は決して騒音でもなく敵でもない。

このように考えれば、暴力行為は家庭内に或いは親子間に重大な問題があるぞという警報である。初めの警報は小っちゃなものである。本当はその時点で親は子供に心を開き、まともに向かい合わなければならない。親の主張は一旦差し控えて、先ず子供の言い分を徹底的に理解しようと努めなければならない。

前回より述べているA青年の場合は、親は警報器を止めることに躍起になってしまって、ガス漏れを放置してしまったのだ。日々ガス漏れは大きくなるので警報器は更にうるさく鳴り続ける。一年間もエスカレートし続けた場げ句、思い余って警報器を壊してしまったという結末である。

この悲劇的な、善良な両親には非常に酷であるが敢えて言おう。息子の暴力行為の原因は親にあるのだ。そして問題解決の糸口は圧倒的に親の側にある。 子供の非行問題で相談に来られる方があるが、親は非行のみに心を奪われ ていることが多い。

「まず親がボディートークに通いなさい」と言うと、「いえ、悪いのは子供ですから、子供を来させます」と答える。親 が変わらなければ子供は変わらないのに・・・。

従ってA青年の場合には、ボディートークではまず 母親の「背中ほぐし」から始める。肩身をほぐし、息の道をつけると、母親は息子を受け入れる余裕が出て くる。母親の息が和らげば、息子の息も少しづつほぐ れる。

母親の息が変わるだけで息子の暴力行為は少しづつ小さくなると思うが、次に父親の「背中ほぐし」に入 る。原因は父親の頑固さにあるので「ガンコほぐし」には少し時間がかかるだろう。

父親の心や体がほぐれ、息子の話も聞いてやろうという姿勢が出てくれば、家庭内暴力は収まる。その頃には親子でボディートークに 通いながら、体ぐるみのコミュニケーションが出来るようになっているだろう。

こうして息をほぐして緊急事態を切り抜けた ところで、いよいよ親子の話し合いによる、本当の問題解決が始まる。




どんな声かけをしようかな?

皆さんは、金魚すくいは得意ですか? 蝶々採りは? この2つ には共通のコツがあるのですが… 。

金魚すくいは、自分の全身を水の精にしたイメージで、そっと金魚に枕をしてあ げるように網を金魚の頭の横にすべらせていくこと。蝶々採りは、全身を風の精にして、風のように親指と人差し指をフアッと蝶の羽根にとまるように置くことです。 そうすると、金魚は気持ちよく昼寝をするように、網の上に静かになってくれますし、蝶々も風のお風呂に入るかのように、手の中に入ってしまいます。つまり《息》と《内動》を相手と同じにすると、普段、難しそうに思えることが、楽しくスムーズにできるようになっていくのです。 

これは声のレベルでも同じことが言えます。今回は声かけの大切さについてお 話してみましょう。1才5ヶ月になるR子ちゃんが、お母さんと一緒に体ほぐし講 座に来ました。どうも部屋の隅に置かれた 白板の脚(幅5cm、高さ10cm 位)の上に乗ることに興味を持ったようです。お母さんに 右手を支えてもらいながら右足で上がり、白板の脚の上でバランスをとると、今度は左足 から降りるという動作を何度も繰り返し始め ました。

そうしている内に、今度はお母さん の手を離し、一人でやってみたくなった様子です。でも、どう考えても、まだ一人でバランスはとれそうもないので、お母さんはつないだ手を離すわけにはいきません。私はそっと二人の傍により、R子ちゃんの左手を、然り気なく白板の支柱のところへ持って いきました。すると「あ〜、支柱を握ればいいのか」と分かった様子で、自分の左手で支柱をしっかりと握り締め、脚に上がりました。 

しばらく見ていると、もう充分に一人で支柱を持ってバランスがとれてきました。 そこでお母さんに「少しずつR子ちゃんとつないでいる手を、緩めてあげて みたら?」と、小さな声で言いました。すると数回後に、もう立派にお母さんの手離しで、一人でやれるようになりました。

「R子ちゃん、すごい!できたね!」と、 拍手をすると、とっても誇らし気で嬉しそうです。そしてまた、何回も何回も、飽 きることなくやり続けています。 

実は、私はR子ちゃんがこの動作を繰り返し始めた時、少し離れたところから、 一回ずつ「ドッコイ」(上がる時) 「ショ」(降りる時)と、やわらかな声でR子ち ゃんの動きに合わせて声かけをしていました。もちろん動きをよーく見ながら、動きやすい速さと声の強弱を加減しながらです。ちょっと危くなりそうな足取りになると、声の調子を変え、動きやすくなるよう声で支えるのです。そして1回成功する度に、「R子ちゃん、すごいね!できたね!パチパチ…(拍手)」すると、R子ちゃんも一緒に、パチパチ…と、笑顔で拍手します。これを繰り返す度 に、R子ちゃんの顔はイキイキと喜びにあふれていきます。 

でも、傍らにいるR子ちゃんのお母さんからは、ほとんど声が出てきません。 「日頃、あまりこんな風に声かけしたり、拍手したりしないの?」と尋ねると、 「そうです」との答え。そこで私は、「赤ちゃんが新しいことをできる様になった らしっかり誉めてあげてね。赤ちゃんは大好きなお母さんに誉めてもらうことが、 一番嬉しいのよ」と説明しました。 

子どもは、1、何度も何度も同じ動作を繰り返すことで、神経回路 (ニューロン)をつないでいく。 2 、失敗しながらも、どうしたらいいのか自分で工夫していく中で、 成功する毎に、ニューロンは強い結びつきになっていく。 3、 そのような動作学習などの時、体が動きやすいような他からの声かけや、自分で自ら声を出すことで、大脳皮質からの体への余計なコントロールが取れ、動きをスムーズにすることに効果がある。

母親が赤ちゃんの心と体と一緒になって応援してくれ、その成功を喜んでくれること。それが赤ちゃんの大きな喜びになり、次の 新し行動へ挑戦していくエネルギーとなっていく。 

でも、そういう声かけにあまり慣れていないお母さんには、ちょっと最初は抵抗 があるかも知れません。

そこで、「ホラ、赤ちゃんがウンチする時、『ウーン』、オ シッコする時『シー、シー』と言うでしょ?それと同じ要領で、他の動作の時にもちょっと声をかけてみて」「もちろん、声かけは赤ちゃんの成長のためにはとっても大切なこと。日頃、子育てであまり他の人とも話す機会が少なく、昼間は赤 ちゃんと二人きりというママは、自分でも気付かない間に息をつめている事が多い の。そんなママが、赤ちゃんと一緒に積極的に、暖かくやわらかい声を出して楽しんでいくと、自分も元気になっていくよ」と、アドバイスさせていただきました。 

皆さんも、《声かけの効果》に興味をお持ちになり、まずは自分の心と体や動き をスムーズにしてくれるのは、《どんな声かけかな?と、工夫してみて下さい。 きっと色々な発見があると思いますよ。 




「チキンちゃん」と呼ばれる赤ちゃん

両手を後方に引いて、前に出さない赤ちゃんを「チキンちゃん」と呼んで います。このような赤ちゃんの話をチラホラと耳にするようになりました。ウデとムネの間を「ウムネ」と野口体操の野口三千三先生は言っていますが、 「チキンちゃん」と呼ばれる赤ちゃんはウムネが固いので、手が前に出ないの です。

このような赤ちゃんはうつ伏せを極端に嫌います。手で前を支えられな いので苦しいのです。手が出ないので 10 ヶ月になっても寝返りやハイハイは もちろん出来ません。どうしてこんなことになったのでしょうか?

原因の一つに正しくない前抱っこがあります。そういえば最近、前抱っこが目に付いて、昔のように背中におんぶしているお母さんを見なくなりましたね。
前抱っこによく利用されるものとして、背板の硬い抱っこ紐やスリングがあります。

スリングはアメリカから入ってきた、赤ちゃんの前抱き用の袋です。スリングは、別名カンガルーの袋と言われています。赤ちゃんが子宮の中にいるような感じで大事にしよう、という考えです。 赤ちゃんの脊髄をCの字型に保ち、保育できるので、首が据わるまで大切な姿勢が保てるものです。しかし意外と正しい使い方が伝わっていないようです。

必要なことはスリングと並行 して、赤ちゃんをうつ伏せにして遊ばせ、首を持ち上げたり、両手や両足で体重を支えたりする動きをさせることなのです。
首が据わっていない0~4ヶ月くらいまでは、特に赤ちゃんをヤモリのよう に体を母親に沿わせる必要があります。また、首がダラーンとスリングの外に出ることが無いように布の中で保護する必要があります。

すなわち、股関節の動きを制限しないように赤ちゃんの体をリラックスさせることと、背骨をCの字型に保てるように、両手ないしは片手を添えることが大事です。ところがスリン グを使うことで、一時的にせよお母さんの両手が 空く、と考えることが問題の始まりです。

と言いますのは、首が据わり、赤ちゃんが大きくなると、 お母さんは片手に携帯電話、もう一方に荷物をぶ ら下げてスリングをずらして、お腹の前で赤ちゃ んを支えたりする人もいます。こうなると、赤ちゃんはいつもお母さんのお腹に押し付けられている ので、手が前に出せなくなり、ウムネが固くなっ てしまいます。

そんな赤ちゃんをほぐした時のことです。お母 さんに抱っこしてもらったまま、ほぐしました。 この赤ちゃんを仮にF子ちゃんとしましょう。F子ちゃんの腕を前に出させようとしましたが、出す事を嫌がります。ウムネが固まっているからです。そこでそっと触れた手で、背中から腕へ、腕から手へと流します。F子ちゃんの腕が内から動こうとする方向を援助する流し方です。そうすると、知らず知らず のうちに手が前に出るようになります。

次に、お母さんが膝の前でF子ちゃんと向かい合うように床に足をつかせ、 体を支えます。F子ちゃんはお母さんの膝の上に倒れてきて、モゾモゾと動きます。私はF子ちゃんの腰に手を添えて、モゾモゾ動きがしやすいように手助けをします。あくまでも本人がやっている気分にさせることが大切です。

F子 ちゃんは「アーアー」と声を出しながら動きますが、私も同じ声を出すようにして、一緒に体に手を添えたまま遊びます。同じ声を出してもらうと、F子ち ゃんはさらに、体の内部を動かすようになるのです。

やがてお母さんの膝から降りて、寝返りを打つようになりました。「すご~ い!ひとりで出来たね。すごいね!」と声をかけながら、両手でパチパチと手を叩き、バンザイをするように手を添えました。それを何回か繰り返すうちに、 F子ちゃんは、一人で拍手をし始めるようになりました。

赤ちゃんは体に不自由を感じると、様々に蠢きながら楽な姿勢を得ようとします。赤ちゃんをほぐす時は、このような動きを保障しなければなりません。 そのためには動きを促すことも必要ですが、動き出すまで待つことも大事です。 又お母さんもどなたかの手を借りてほぐしてもらえるようになると、子育 ての不安もずいぶんと軽くなりますね。




子供の心に焦点を当て、真正面から共感する1

家庭内暴力は何故生まれるのか。 更に親子の対立が何故殺人事件にまで発展したのか。引き続き、この問題をボディートークの見地から解明しようと思う。

殺された息子は二十三才になるA青年である。大学は一年だけ通い、後はアルバイト生活に四年が経過していたようだ。殺害さ れる一年ほど前から家庭内で暴れ出したということだが、A青年が狂暴な性格であった訳ではない。むしろ友人間では誰からも愛される気さくな人柄であったようだ。

その彼がどうして冷蔵庫を ひっくり返すようになったの か。それは彼の両親に対する 悲痛な叫びの表現である、と私は考える。自分の生き方を認めてくれない父と母に対して、話し合いでは埒があかないもどかしさが積もり積もった上での最後の手段なのである。その 証拠に彼は社会に対して暴力的なのではない。ただ父と母だけを困らせる方法をとっているのだ。

A 青年はプロのミュージシャンになることを夢みていた。しかし両親は、彼が四年制の大学を卒業することを最良の道と考えていた。

双方は互いの言い分を認めないままに日々を過ごしていたいの だろう。そうすると「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の例えのように、両親にとって息子の生活態度その全てが気に入らなくなる。きっと母親は息子のすること為すことことごとく気に障り、 言わなくてもいい些細なことにまで文句をつけていたのではないか。あるいは文句を言わないまで も、気に入らないという重い息をあらわにしていたのではないか。

実はここに大きな擦れ違いがある。A青年は体は大人であっても精神的にはまだ子供であった。 親の元を飛び出す自立心はまだ育っていない。自立していない子供にとって、親が自分を認めてく れるという絶対的承認は欠かすことのできないものである。彼の場合はこれが得られなかった。

親の絶対的承認ということは言葉を変えて言えば、親が子供の心に焦点を当て真正面から共感するということである。前回述べたデパートの自動ドアで言えば、子供のビックリの息に親が気付き、その息をまず共有するということである。

従って、A青年がミュージシャンになるということを親が認めるという以前の問題なのである。つまり親の側に「なるほど、お前の主張する生き方も一理あるね」という共感がまず必要であったのだ。その上で反対すればよかったのだ。

前回の自転車の母子で言えば、子供が「降りたい」と 言った時、母としては「どうして?」と尋ねる心の余裕がまず大事であったのだ。
かくしてA青年と両親との心の擦れ違いはますます大きくなる。彼にとっては親に文句を言われる毎に、自分が承認されないという切なさが積もり肩身を狭くして息を詰め始める。

ちょっとし た日常的な小言にでも感情がウッセキし、息が極度に詰まった時、彼は止むに止まれず家具を壊す。ところが両親は彼の心に直面しないで家庭内暴力という、この現象の方に動転してしまっていたのだ。 幼ければせいぜい駄々をこねる程度で済むのだが、スポーツマンのA青年が暴れれば、それは想像に余りある。

しかし本質は、親にこっちを向いてほしいという子供のアッピールなのだ。
「目には目を、歯には歯を」という対等の被害であれば親も納得しただろうが、「いつまで寝てるの? 早く起きなさいよ」と言ったとたんに電話が飛び、冷蔵庫がひっくり返るようだと、母親は異常な恐怖感を覚えて、息子をどう扱えばいいのかわからなくなるのは当然である。

言い知れぬ恐怖が一年間も続いたからこそ、 母親はモデルガンの柄で息子を何度も殴打したのだ。

また教育者としての実績もあり評判の高い父親は、ひとしお肩身を狭め極度に息を詰めていただろう。だから、暴れまわる息子を前に思わず包丁を振ってしまったのだ。余裕があれば善良な人間は人を殺すことなど出来ないし、愛 する息子であれば尚更である。

このような不幸な事件を未然に防ぐにはどうすればいいか。次回はボディートークによるカウン セリングの方法を述べよう。




赤ちゃんのサインを内感能力でキャッチしましょう

7ヶ月になる女の子を抱いて、若いお母さんがやって来ました。赤ちゃんの名前はI ちゃんと言います。賢そうなキリッとした顔立ちの赤ちゃんです。 少し一緒に遊びましたが、こちらのやることをジッと見つめて、目を離しません。

このような赤ちゃんは、好奇心いっぱ いで次から次へと真似したり、考えたりしていますから、物の名前や行うことの意味を、その都度声を出して伝えることが大切です。例えば「これはスプーンよ」とか、くまのぬいぐるみを持ってたら手を小さく振りながら「くまさんがバイバイしているよ」
など、いっぱい語りかけてほしいのです。

どのお母さんも赤ちゃんの指を持って、目や口へ近づけて「おめめ、おくち」と何度も教えますね。赤ちゃんに物には名前があることや、客観的に物を認識することを伝えているのです。

こういうことは、マメに行えば行うほど、 赤ちゃんの頭の発達には大きな成果があります。ヘレン・ケラーは女教師から ポンプから溢れ出す水を手に触れさせられることによって、「水」を客観的認識し、そのものに「water」という名前があることを知りました。 感動的な場面です。

赤ちゃんとお母さんは、そういう場面を、毎日毎日積み上げ ているのです。五感をフル回転して、学習して初めて身についていくわけです。

Iちゃんは、さかんに舌打ちをして、音を楽しみ始めました。私は同じように舌を動かして真似をしました。Iちゃんは私の口を熱心に見つめながら、 次々と音を変えていきました。赤ちゃんが自然に出す声や舌打ちなどを、周りの大人が同じことをすると、赤ちゃんは客観的に発音を意識するようになりま す。このような積み上げによって、赤ちゃんは言葉を獲得するのです。

「離乳食を始めたいのですが、いつ頃からがいいでしょうか」とIちゃんの お母さんが質問しました。厚生省では生後5~6ヶ月になれば、と指示しているそうです。これも一つの目安ですが、外の条件だけで判断すると、その絶妙なタイミングをのがすことになります。

ボディートーク会員の助産師さんによ ると、ヨダレが滝のように流れ出るようになったり、食事の時に大人のお箸の動きを恨めしそうに見たりするようになれば、離乳食を始めればいい、ということでした。

I ちゃんは、同じ時期の赤ちゃんと比べるとハイハイのスピードも早く、つ かまり立ちへの動きもしっかりし、あっという間に立ちます。小さな歯が、歯ぐきからチラッと顔を見せています。こうなると本能的に物をしっかりと噛み たくなっているのです。いっぱい噛むことによって、歯も歯ぐきも丈夫になる のです。離乳食を始める時期にもう来ているようです。

「快食・快眠・快便」は。赤ちゃんに限らず全ての人の健康のバロメーター ですが、赤ちゃんの排尿、排便について、最近、少々気になることがあります。 私が子どもの頃は、和式トイレしかありませんでしたから、幼児にオシッコ やウンコをさせる時には、大人が膝の間に抱いて、しゃがみ込んで声を掛け、 尿意や便意を促しましたが…、最近の赤ちゃんは小さなオマルに座らせられて、 出るまで待つという方法を強いられているようです。

子ども達が大好きな童話「モチモチの木」の中でも、夜中に一人ではオシッコに行けない五歳になる豆太を、おじいさんが抱きかかえてオシッコをさせる場面がありますおじいさんが「ああ、いい夜だ。星に手が届くようだ。奥山じゃア、シカやクマめらが、鼻ちょうちんだして、寝っこけ てやがるべ、それ、シィーッ」と豆太に声をかけて、オシッコをさせます。ほ のぼのとした、暖かい心の交流が感じられます。

私の子どもの頃も、母親が 「シーッ、コイコイ」と言いながら、させてくれました。その時は母親も下腹部を収縮させていて、それが子どもの体に伝わるのです。 大好きな母親の体と声のぬくもりが直接伝わり、気持ちよく排尿できた喜びが、 親子の絆を強くしていきます。

育児の中での赤ちゃんの様々なサインを、母親や周囲がどう受け止めていけばいいのでしょう。それには、赤ちゃんと同じ動き、同じ姿勢、同じ表情を、 同じ声(息)で真似してみて下さい。きっと赤ちゃんの内側が少しず つ感じられるようになっていくと思いますよ。




子供の心に焦点を当てて感情を共有

驚いた子
デパートの出口で見かけた母子の一シーンである。両手に買い物袋を下げた母親が自動ドアの外へ出た。後から四 才位の子供が母親を追いかけて走って行ったのだが、その子供の目の前でドアが閉じてしまった。子供はビックリして立ちすくんだ。そして大声で泣きだした。

声に気付いた母親はすぐに戻ってきたが、「何をグズグズしているの早く来なさい!」と促すものの、子供はガンとして動こうとしない。私は、どうするかな、と思って見ていた。すると母親は荷物を持った手に更に子供の手を掴んで、強引 に引きずっていった。もち ろん子供は泣き叫んだまま、 両足を踏ん張ったままで ある。

こんな場合、母親は子供 にどのように接すればいいのか。まず、子供の息を収め てやることが必要である。ビックリした子供の息は固くなっていて、足はすくんでいるのである。この息を変えない限り、子供は次の行動に移れない。

そこで母親として は、一先ずしゃがんで子供と顔をつき合わせて、「ビックリしたねえ。急にドアが閉まるんだもんねえ」と子供の心に焦点を当て、感情を共有する。そして子供の息が緩んだところで、「さあ、行こう」と立ち上がればいいのである。

もうひとつ、街角で見かけた母子の一コマである。一人の母親が自転車の後ろの荷台 に小さな男の子を乗せて走ってきた。男の子は両手にメンコを持って数えていたが、そのうちの一枚をポトリと落としてしまった。すぐさま子供は母親に「降りたい」と言っ た。「降りなくてよろしい!」と母親はペダルを踏みながら言いかえした。「降ろしてくれえ!」と子供は母親の背中をたたいた。母親は無視して走り続けた。子供の叫び声が遠ざかっていって、呼びとめる間もない一瞬の出来事であった。

その子は母親を恨むだろうな、と私は思う。「降ろしてくれと言ったのに、どうして、 自転車を止めてくれなかったのだ。あのメンコは大事にしてたのに・・・」というのが 子供の言い分。母親は多分、こう返答するだろう。「どうしてメンコが落ちたって言わないの。そうすれば止まったのに。アンタがちゃんと言わないからよ!」と。

子供は客観的に事情を伝える術を知らなかったのだ。しかし、自分の思いだけはしっかりと母親に伝えた。それに対して母親は子供の真剣な声を察知できなかった。またはしようとしなかった。例え察知できないとしても、「どうしたの?」と尋ねかえす、ほ んのちょっとした余裕があれば、と思う。この一言さえあれば子供は「メンコを落とした」と言うだろう。

この二例の母子のやりとりは、日常茶飯事であって、私達も知らず知らずに行っていることである。ところがこの親子の擦れ違いが積もり積もってとんでもない大惨事を引 を起こすことになるのだ。

・ 記憶の方も多いと思うが、埼玉県で起こった悲劇的な事件である。

大学を中退してアルバイト生活をしている二十三才の息子が、その日も母親にコードレス電話を投げつけ、冷蔵庫を引っ繰り返して暴れ出した。母親は父親の勤務先である高校に電話をした。急いで帰宅した父親は台所の出刃包 丁で息子を刺し、母親はモデルガンで息子を殴打して 死に至らしめた。

父親は明るく温厚な評判のいい先生であり、母親も家庭を大事にする人であった。息子もスポーツは出来るし、頭も切れ楽器の腕も抜群で友人受けも良 かった。その家族に何があったのか。

父親も母親も共に息子を大学に進ませるのが最良の道であり、また唯一の道であると信じていたようだ。 しかし息子はプロのミュージシャンになりたいと願っていた。マスコミの記事では ミュージシャンが軽音楽なのかクラシックなのか定かではないが、おそらく彼の場合は ロック・ミュージックかニューミュージックの 分野であったのだろう。

このような親子の対立なら私たちの周りに、 それこそいっぱいある話だが、それがどうして 殺人事件にまで発展したのか。次回に述べるこ とにしよう。




もの言わず我慢すると胃腸が固くなる

「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」とは兼好法師の言葉であ る。言いたいことを言わずに我慢していると、本当におなかがふくれてくる感じがする。これは実際、胃や腸が固くなって腹の皮を引っ張るからであって、決して妊婦さんのようにおなかが出 てくる現象をいうのではないが、兼好法師の実感から出た言葉であろう。

人間は大脳が発達しているため、その働きによって感情をコントロールすることができるが、感情を押さえ込むと確実に腹が固くなる。だから逆に、おなかのどの部位が、どのようにしこっているかを調べることで、 どのような感情を押さえ込んでいるかを判断することがで きる。

ボディートーク会員のJさ んは、大阪へ単身赴任している中堅のサラリーマンであるが、ボディートークの定例会の最中におなかが痛いと言いだした。一週間ほど前から右腹にキュッと痛みが走ることがあり、病院で診察してもらったが、特に異常はない、とのことだ。

そこで仰向けに寝てもらっておなかに触れてみると、十二指腸の周りが固くなっている。十二指腸は胃の幽門に続く小腸の始まりの部分だが、そこが痛むのだ。十二指腸にはどのような心の問題が出るのかというと、実はホームシックなのである。私はこのことを教師時代の経験から得ていた。

Jさんにホームシックのしこりだと告げると、「なるほど、そうでしたか」と周りの人達と一緒 になって笑った。早速、本人に「アー」と発声してもらいながら、しこりの部分を揺すった。すると、みるみるうちに固さはとれていって、痛みも無くなった。心の問題が何であるかに気付きながら、 そのしこりをほぐすのがボディートークのコツである。

このように、おなかに表れる感情のしこり を知っておくと、心の問題を解きほぐすのにとても有利になる。
昨年の夏に、子供ミュージカルの合宿を行った。小学一年生から大人まで、およそ百名ほどの団体である。二日目の朝、小学三年のE子ちゃんが練習に入らずに片端でしくしく泣いている。付添いの先生が「ホームシックなのね」と言いながら慰めている。いつまでも泣き止まないので、 休憩時間に私はE子ちゃんの体を調べてみた。

おなかを触ってみると十二指腸の周辺は固くない。ということはホームシックが原因ではないの だ。固くなっているのはおヘソのすぐ下あたりである。ちなみに背中を調べてみると背骨の胸椎九番の横にしこりがある。これらのことから、E子ちゃんは悔しさの感情を押さえ込んでいると判断 した。

しこりをほぐしながら「誰とケンカをしたの?」とE子ちゃんに聞いてみると、重い口をやっと開いてくれた。同室の女の子と些細なことでケンカになり、言い負かされてしまったのだ。体がほぐれ、感情のしこりがとれるとE子ちゃんはケロッとして線習に参加した。

ところで、ホームシックのしこりは家に居ても生じることがある。それは現在の家族関係を拒否する感情である。そして、かつての居心地のいい家庭環境に戻りたい、と切に願っている心の葛藤の表れである。このストレスが嵩じると十二指腸に潰瘍ができるのではないか? 私は医者でなく患者を診ているわけではないが、もし十二指腸潰瘍と感情との因果関係を研究している人があれば、ここのところを是非教えてほしい。

ボディートークで更に言えば、胃の上部を固くしている人 はイライラである。下部にしこりを持つ人はクヨクヨである。 共に我慢のしこりではあるが、イライラとクヨクヨはどのように違うか。

物事が進む可能性があるにもかかわらず、目の前に何らかの障害があって足踏みしている時の焦りの気持ち がイライラである。反対に、物事が進展する可能性がほとんど無くて、諦めざるを得ないと頭ではわかっているものの、 感情としては未だに未練があるという時にクヨクヨの気持ちが起こるのである。

ともあれ感情の動きは如実におなかに表れる。そして胃や腸を固くし、歪ませていても、意外と自覚症状がないものだ。イライラしているな、クヨクヨしているなと感じたら、その場でプルッとふるわせて、おなかをスッキリさせることをお 勧めする。




雑巾がけって楽しいよ!!

福岡のある保育園で、園長さんがボディートークを勉強しています。ご自分も2 才と5才のお子さんを育てていらっしゃるお母さんです。子どものために良いものは園の中に取り入れようと考えているので、ボディートークのプログラムも入りはじめています。今日は、そのブログラムの中から「雑巾がけ」をご紹介します。お すすめのポイントは、四ツン這いの姿勢にあります。 

● 最初は片手拭きからはじめましょう 

1 四ツン這いで両膝をつき、片手に持った雑巾で、左右前後にユラユラと床を拭 きましょう。

2 「アー」と声を出しながら、ゆったりと全身が気持ちよく揺れるのがコツで す。時々手を変えて やりましょう。四ツン這い姿勢をすると苦しい人や、背骨が思うように揺れない人は、ずいぶん と体が固くなっている証拠です。そんな方は焦らず、少しずつ慣れていきましょう。 

《効果》 

四ツン這いの姿勢は、頭や内臓がぶら下がるので、直立姿勢から生じる緊張が取れ、心身ともにリラックスできます。妊婦さんは、お腹の赤ちゃんがゆりかごの中で揺れているような状態になりますので、下腹部の圧迫感が緩和されていきます。 

● 両手をつき一直線走り拭きへ続けましょう 

1 四ツン這いで腰を上にあげ、両手、両足で全身を支えます。母指球(足の親指の付け根)を使って、シッカリ床を蹴りながら前進します。

2 「ホッホッホッ」と声を出してやりましょう。体力がある人は、「ウァ ―」と一気に進んだり、仲間と競争するのも楽しいでしょう。 掃除でなくても、1の姿勢でトントンと足踏みするだけでも効果はあります。 

無理をしないでやりましょう。血圧高めの人は、片手拭きをどうぞ。 

《効果》 

両腕、両足は体重を支えながら床を押し続けるので、筋肉ポンプの働きが活性化されます。(心臓への静脈還流が多くなり、その結果、全身へ 送り出される血流の量が増える) 頭、上半身を下げたり、上げたりの運動は、血圧変化が大きいのですが、 そういう運動を繰り返すことで血圧耐性も高くなり、また全身のバランス能力や筋力アップにもつながります。 

久しぶりに雑巾がけをして、フラついた人もあるでしょう。考えてみると、以前 は頭をぶら下げる姿勢などは生活の中にたっぷりとあったのに、この頃は便利さにかまけて、こまめに我が身を動かすことが少なくなっていると思いませんか?そんな時代だからこそ、雑巾がけをおすすめしたいのです。 

今でも僧侶になるには、〈掃除〉〈五体投地〉(頭を地につけおじぎをすること) 〈お経を唱えること〉などの修行が必要です。昔は様々なプロの道を目指す人も、 〈技〉を磨くには、まずは弟子として入門し、師のもとで全身全霊で汗を流し、ミ ズカラ掃除、雑事に励むことから始めるのが普通でした。無心に修行に励めば、オノズと身が清められていき、頭、心、体が「素」となり、すこやかな境地に達することができる。体づくり→心づくり→人づくり。それから物づくりは、昔の人が無意識の中で生み出した「素晴らしい生きる知恵」だったのですね。 

ゲームづけで、夜更かしをして体内リズムが狂い、朝からボー ッとして食欲も気力もなく、集中力をなくし、すぐにキレる子。 問題は山積みです。でも、毎朝、冷たい水に手をつけ、しっかりと雑巾を絞り、両手、両足で大地を踏みしめ雑巾がけをする。

自分の手できれいにした部屋で 一日を過ごす。そんなことから始めれば 「古きをたずねて、新しきを知る」これからの時代を担う子ども達が、先人達の 知恵を享受し、本来の生命を育む生き方のひとつとして、「雑巾がけって面白いね。気持ちいいね」と、喜んで掃除をする光景が、増えていくといい なぁと思っています。




それぞれの息がその人の生き方

生きている人間は例外なく息をしている。しかも息の仕方は人によって異なる。顔や姿が十人十色であるよう に、息の在り方も実に個性的なのである。そこで私は、 人それぞれの息がその人の生き方であると考えている。

心の暖かい人は息も暖かい。暖かいということは実際 に温度が高いのである。なぜ高くなるかというと、暖かい心の人は、他人を受け入れる息なので気管がリラックスしている。その気管を息はゆったりと通って体温を充分に保ちながら出てくる、だから暖かいのである。

反対に心の冷たい人は息も冷たい。冷たい心の人は他人を拒否する息なので気管が緊張している。その気管を息は早くスッと通り過ぎるので体温をあまり拾うことができない。 だから温度が低いのである。

このことを見抜けなかったばかりに一人の少年の運命が大きく悲劇へと変わってしまった実例を述べよう。
ずいぶん前の朝日新聞に掲載された記事で「子供に体罰は必要ない」と題された手記である。手記の主をOさんとしよう。現在は六十歳代の理容業を営む男性である。 話はOさんの少年時代にまで遡る。

O少年は両親に先立たれ、身寄りもなく近所の人に面倒を見てもらっている、寂 しい子供であった。小学校に入って間もなくの頃、体育の授業が終わって先生に 「マットを片付けてくれ」と頼まれた。先生に初めて声を掛けてもらってO少年はすごく嬉しかった。ところが思わず口に出た返答は「チェッ」という舌打ちであっ た。「チェッとは何事か!」とその場で往復ビンタを張られ、O少年は吹っ飛んだ。

心はうれしくて仕方がなかったのに、どうして「チェッ」と言ってしまったのか、 未だに解せない、Oさんは書いている。私の解釈はこうだ。O少年は愛情に恵まれず、他人を警戒しながら育った。また喜びを素直に表現できる環境でもなかったようだ。

だから思いがけず、先生に声を掛けてもらった喜びが大きければ大きいほど、 その気持ちを押し隠そうとする自己規制が働き、その言葉が「チェッ」だったのだ。
ビンタだけでは収まらず、放課後、職員室の前でバケツを持って立たされた。 夕暮れになってやっと帰宅を許された。少年の心はズタズタだった。悔しさのあま り夕食の茶碗を壁に投げつけ、そのまま泣き寝入りしたのだそうだ。

翌朝からは学校へ行く気はせず、そうかといって世話をしてくれている近所の人 の手前もあって、ノロノロと学校の裏山に登った。そして校庭をぼんやりと眺めて 一日を過ごし、下校時になると人目を気にしながらコッソリ帰宅した。そんな日が半年ほども続き、やがて転げ落ちるように悪への道を走っていったとOさんは綴っ ている。

教育の難しさを考えさせられる事例であるが、この先生が少なくとも子供を表面 の言動で判断せず、奥にある本音を捉えようとする人であったなら、このような悲劇は起こらなかっただろう。そのような先生であっ たなら「チェッ」と発せられた声が、喜びの息であ ることを見抜けた筈であるし、例え見抜けなくとも、 子供の目が、仕草が指示を受け入れていることを容易に直感できたことであろう。

鈍感な言動が繊細な心を傷つけるように、冷たい 心は暖かい心を傷つける。そして冷たい心はその固さ故に、柔らかい幼い心の微妙な振る舞いをキャッチすることができない。 幼い子供への体罰がこれほどまで悲惨な人生へと追い込んでしまう実体験から、 Oさんの結論は「従って、子供に体罰は必要ない」ということになる。Oさんの青年期はともかく、現在はお店を持って立派に暮らしておられるのが、せめてもの救いである。




見て! ぼく歩けるよ!!

K君は、生まれて1年と2ヶ月です。お母さんと一緒にマタニティ・子育て教室 に通っています。「Kは、今日元気ですが、一週間前に 39度の高熱で突発性発疹が出たんです」というお母さんの報告。K君を見ると、両手をあげて ニコニコ顔で歩いています。

「エーッ! K君歩けるよ うになったの!! すごいねぇ~!!」と、私は声をかけました。だって一ヶ月前は、伝い歩きがやっとでしたから。でも10 歩ぐらい歩くとヨロヨロとなり、 片膝付きになったり、ハターンと尻もちをついてしまいます。でも、そんなこと平気だよっ、とすまし顔、 「すごいねぇー。すごい!すごい!歩けるようになったんだよねぇー」と拍手をすると、自分もパチパチと立ったままで、嬉しそうに一緒に拍手をします。

立ちたいのに自分では立てず、 いつも悔しさをいっぱい溜め込んでいた、一、二ヶ月前の表情とは大違いで誇らし気です。 「ちょっと背中をみせてね」とK君にふれてみました。この一ヶ月でずいぶんしっかりと太い骨になっています。

重い頭を支えて立つというだけでも、背骨には大 きな負担がかかります。ましてや、生まれて今までずっと背骨はほぼ横向き状態で抱っこされたり、四ツン這いで過ごしてきたのに、今度は一気に重力の負担がグンとかかる立位姿勢になるのですから。しかも立つだけでなく、歩いていくという重心移動動作になったのです。更にレベルアップの複雑な身体機能の調整が必要となったわけです。 

K君の背骨は、重い頭の揺れを最小限に止めるために、頚椎の2~7番をギュッと固め、両腕の重さでバランスをとるため、両肩は力が入って、 エーッ!と驚くほどガチガチです。

また、腰椎の 3・4番、仙骨も、上体を支える為にとても固くなっていました。でもこれは、背骨をS字湾曲に変化させていく為には、どうしても通らなければならない過程なのです。筋肉をこんなに固め、背骨もギュッと上から押さえられた状態では、確かに高熱は出ると思えます。

大人の体で例えるならば、ウエイトリフティングで重いウェイトを持ち上げたまま支え、歩いているような状態です。歩き始めたばかりのK君も、それに似た体になっていると考えられます。

筋肉は強度の収縮状態が長く続くと固くなりすぎて、もたなくなるので熱を出して筋肉をあたため、緩めて体を守っていると思われます。また高熱になると、体内にあった異物が汗とともに体外へ出やすくなり、それが発疹という形になったのかも知れません。 

「突発性発疹の出る前頃から、ちょっとでもKの傍を離れるだけですぐに泣くようになったり、怖がるようになりました。どうしてですか」とお母さんの質問がありました。「それはきっと、K君が仙骨を固 めているからだと思いますよ」(ボディートーク では、怖いことがあると、カメが首やシッポをすくめるように、人間も同じようにしっぽを巻く状 態になると考えています)と言いながら、K君の首と背骨と仙骨をほぐし始めました。

すると、ものすごい勢いで全身をもがくようにバタバタさせ ながら、大声をあげて泣き出しました。「歩き始めだからね、こんなに固くなったんだよ。固くなっ たから怖い心になったんだよ〜。もう大丈夫よ」と、K君に声をかけて《体ほぐし・心ほぐし》をしました。バタバタ動くのは、 本能的に自分でも積極的にほぐそうとしているのです。 

人は生まれ、こうして一人の人間になるために懸命に立ち、全身全霊の力で歩き 始めるのですね。生命が大きく変化していく時には大きなエネルギーを内に内蔵し、 その力によってミズカラその時を越えていくのだなぁ~と、生命の健気さがK君の体から私の手に伝わってきました。

そして、それはそのまま人類が越えてきた進化の過程の姿であることをK君が、私に教えてくれた感動のひとときでした。K君、帰りは「バイ!バイ!」と、すがすがしくサヨナラしてくれました。