1

輝く冬の星座のように

● 心の奥の宝石が輝く

♪  木枯らし  とだえて  冴ゆる空より
    地上に  降りしく  くすしき光よ
 ものみないこゆる   しじまの中に
   きらめき揺れつつ   星座はめぐる♪

これは「冬の星座」という歌ですが、寒い冬の夜空の星たちを見ていると、自分の心の奥にある何かキラキラしたものが星の光に照らされ、輝き始めるような感覚が湧いてきます。

自然の美しさが届けてくれるプレゼントは格別ですが、≪人の言葉≫も又、心の内に眠っている宝石を輝かせる光になってくれることもありますね。あな たもきっと、そんな大切な、かけがえのない言葉をお持ちだと思いますが…。

● 生命の種に水を注ぎ続ける

大阪のボディートーク・ミュージカル「しらゆき姫」は、1才と3才の幼な子、そして、幼なじみ同士という70代のおじいちゃんエイジ男性二人も 出演者に加わりほのぼのとした、あたたかい舞台でした。まるで夢の絵本が再現されているかのようでした。

ラストソングの「ファンタジー」の曲が流れ出すと、鳴りやまない拍手が会場に響き、私の目から涙が次から次へとあふれていきました。花束贈呈を受け、ご挨拶される明先生を見ながら、「よくぞこの日まで元気で生きていて下さった。 そしてこんな素晴らしい生命のきらめきを私たちに下さって、ありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。

18年前の冬、『生命が危ない状態です』と医者から告げられながらも、車椅子に乗り、ミュージカルの練習会場に通われ、本番のステージにも立たれた先生。どんな 時も、一人一人の子ども達の生命の種が膨らみ、その子らしい花が咲くことが何よりの喜びで、惜しみなく水を注ぎ続けられた先生でした。

晴れやかにライトを浴びて、ご挨拶されている先生のうしろ姿。それは様々な困難があろうとも決してあきらめず、いつも明るい心で進まれている姿でした。そんな先生を私は心から尊敬し、我が師として誇りに思っています。

● みんなの生命が輝く

さりげなく、楽しく、スーッと心の中に溶けてきて、演じる人も、観ている人 も、いつの間にかワクワク、ドキドキし てくる先生のミュージカルのセリフや動 き。それに演じる人の本気の心がプラスされると、突然にキラキラと輝きはじめ る生命。それが舞台の魔術、舞台のすごさです。

出演者と裏方さんの生命の輝きがひとつに合体してできあがっていく舞台だからこそ。しかもみんなとても仲良しで兄弟のように、家族のように寄り添える仲間だからこそ、そのあたたかさが演技を通して客席にも拡がっていくのです。

私は思い切っ て全身で、手が痛くなるほどの拍手を送りながら、かつて私のモダンダンスの先生で あった、ジェン・モーリス・ジャン先生の言葉を思い出していました。

● 私の心を照らしてくれる光

「Akiko、たとえ周りの何千人もの人が、その踊り、演技、音楽に対して大きな拍手を送っていたとしても、あなたが感動しないものには決して拍手をしてはいけません。それと反対に誰一人拍手をしない時でも、あなたが本当に素晴らしいと心から 感じた時は、ためらわず全身で、自信を持って拍手を送りなさい」と。「そういう姿勢こそが、本物の素晴らしい芸術を育てていくのです。そしていつも自分に厳しい目を向け、自分の感性を磨き続けていきなさい」とも。

私は新たな感動に出会う度に、 何故かいつも、私を育てて下さった先生方の言葉が蘇ってきて胸が熱くなります。それらの言葉は、まるで夜空の星座のよう私を見守り続け、その光の輝きで私の内にある感性が更に目覚め、前へ進んでいく力を生み出していってくれるのです。

● いつか、ある日…….

明先生のミュージカルに散りばめられている幾つもの心に染みるセリフは、やがて出演者の子ども達が成長し、大人になった時、彼ら、彼女らの心の中にきらめき始めることでしょう。

しらゆき姫のミュージカルはもう終わってしまいましたが、今夜も私の心の中に は、たくさんの星たちがまたたいています。あなたもそっと目を閉じて、あなたの心の中の星たちのお話を聞いてみません か?

―広島エンゼルハンズセミナー 感想よりー

生きているのは奇跡
曽根 智子(広島会員)
エンゼルハンズセミナーは、あたたかく柔らかな雰囲気の中、行われました。そ の中で印象に残ったのは、「生きているのは奇跡」という言葉です。それを聞い た時、兄弟たちの事が頭をよぎりました。

生後一月くらいで亡くなったので、写真なども残っていないのですが、両親から何回も、生まれた時の事や、その後の治療の事等を聞いていたからだと思います。私は5つ子で生まれました。その中でも一番小さく生まれたので、本当に今生かされている事、生きている事がすごい事だなと思っています。だから、一日一日を大切に生きていこうと改めて思いました。

他に、赤ちゃんと話す時には、赤ちゃんの口に言葉を入れるようにしてお話していく事を学びました。そんな事を考えて話す事がなかったので、最初はよくわかりませんでした。しかし実際に意識して行うと、自然に体が柔らかく、声が暖かくなっているのを感じました。

音無しボールをすると、初めは受け止める時に少し音がしてしまいましたが、体全体をしなやかにして、ボールを赤ちゃんだと思うと教わり、意識してやってみると、少しずつ音がしなくなってきました。 続けてやっていくとしなやかになるのかなあ、と思いました。毎日少しずつやっ ていきたいです。




人間だからこそ理想的な自然死

ボディートークを身につけ、生命を育みながら充実した 日々を過ごせば、人生は優に百年となるのではないか。古代中国では人生を四季に重ねてイメージし、各々の季節に 色を冠していたことは前回述べたが、人生百年となると、 各季節は何才に該当するのであろうか。

生まれてから大人になるまでの人生準備期を経て、「青 春」は二十代・三十代である。希望に満ち、好奇心一杯に社会人としての自分を確立するこの時期は、失敗を恐れず困難にもどんどん挑戦する意気込みが欲しい。そして奮闘の甲斐なく事が成就できなかった時は、さっさと敗北を認め、謙虚に教えを請う爽やかさが欲しい。即ち「颯爽と」生きる姿が精神面でも身体面でも青春の基本的な在り方ではないかと思う。

「朱夏」は仕事面でも家庭面でも先頭に立って最も活動できる時期である。四十代・五十代がそれに当たる。 自分の差配で面白いように世界が開かれていく時期でもあるが、責任もしっかりと両肩にのしかかり、そうそう失敗もしていられないので、最もしんどい年代でもあるだろう。「堂々と」進むべき時であると考えている。

その点、「白秋」は体力的にも「堂々と」できなくなる年代である。もはや若者と競う時ではない。むしろ肉体面でも人間関係の面でも見事に身を処すことの範となる時期である。六十代・七十代がこれに当たる。少し人生を振り返る余裕を持って、後継者を育てる年齢でもある。「悠々と」仕事もこなし、人とのお付き合いもゆったりと 楽しむことのできる、ゆとりの季節である。

人生五十年の時代では、初老は四十才であった。人生百年ともなると、年齢的には倍生きることになるから、四十の倍、即ち八十才をもって初老と考える。年をとったかな、 と言えるのはこの時からで「玄冬」の始まりである。
「玄冬」の八十代・九十代は第一線を退くものの、まだまだ元気だから、いよいよ自分自身の楽しみに没頭できる時期である。

ただし、生命の泉は日に日に細く、清らかな 流れになっていくから無理は禁物である。力まずしなやかに全身をこなすボディートー クの整体運動を身につけていれば、まだまだ海外旅行やスポーツを楽しむことができる だろう。更にうれしいことに百才に近づくにつれ、孫や曾孫もグンと増えるだろう。運良くいけば曽々孫にも会えるかもしれない。

そしてある日、ふと死を予感する。自然死とはそういうものであるらしい。普通どおりに元気に生活を送っていて、ある日突然、自分の命もあと数日だな、と静かに確信す る。動物界でも、天敵のいないライオンなどが自然死を予感することはよく知られている。

ライオンは草原に群れを作って暮らしているが、ライオンを襲う他の獣がいないので、 日がな一日のんびり寝そべっている。特に牡ライオンなどは体も大きく立派なたてがみを持っているのに、狩りは牝ライオンにさせておいて、獲物は一番に食べるというグウタラ亭主ぶりである。

その呑気なライオンがほぼ四十年ほどで天寿を全う する。そして死期を悟ったライオンはそっと群れを離 れ、プッシュに身を潜める。もう食欲は全く無く、た だうずくまって息を引き取るのを待つのみである。

このまま数日が過ぎれば、ライオンは理想的な自然死である。ところが九十九%まで完成にこぎつけた自然死が、最後の一%でどんでん返しに会ってしまう。
ハイエナ達が目ざとく見つけるのだ。無抵抗のライオンを寄ってたかって食いつくし、骨までしゃぶる。

その点、人間は安心である。誰も自分が食べられるなどとは心配はしていない。おだやかに臨終を迎えることが出来る。最後の日は家族や友人達に囲まれて、幸せであった日々を回想しつつ、眠るように息を引き取りた い。このような自然死は人間だからこそ可能だと思う。




無意識に押さえ込んでいる感情

失恋であれ、家族の死であれ、他の人のことであれ 悲しみのイメージが脳裡にとび込んでくると、悲しみの感情は意識の中で漂い始めます。

水面上を意識の世界、水面下を無意識の世界とします と、悲しみのボールが水面上に浮かんでいる時は、人は感情を露にします。この時点では悲しみから生じる体のしこりもほぐしやすいのですが、悲しみが更に重くなっ て、ボールが水面下へ沈み始めると大変です

悲しみに耐えかねて、自ら体を固め、ゆがめることで悲しみのボールを意識の世界へ上げないようにし始めるからです。この状況をボディートークでは「体に鍵をかける」と言っています。

そしてしっかりと水面下に押さえ込ま れた悲しみのボールが、自らもじっとして動かなくなることを「心に鍵をかける」と言っています。

鍵は自らがかけるのです。このことによって悲しみ は一旦忘れ去られるのですが、押さえ込んでいる体の重さ、気の重さだけはしっかりと感じ続けます。暗雲のたちこめたドーンと重い毎日となるのです。

因みにボケも最初は自分から積極的に起こすのです。疎外され尊敬されない自分 を意識するのが辛くて、現実を察知する脳の働きを自らストップしてしまうのです。 そして体に鍵がかかると、今度は戻そうと思っても自分の力では戻すことができなくなってしまうのです。

その意味でボディートークの体ほぐしは、まず「体の鍵」 を開放することから始めます。

五十名ほどの講習会で体ほぐしの説明をした時のことです。「この中で一番体の 固い人をモデルにしますから、しんどい人は挙手をお願いします」と言いますと、 十名ほどが名乗りをあげました。

それで一人づつ「アー」と発声してもらって、そ の中で最も声の詰まっている人に決定しました。五十代の主婦です。
うつ伏せになってもらって背中に触れますと、胸椎3番を中心に肩身がギュッと
詰まっています。家族関係の葛藤を表す胸椎5番にも強いしこりがあって、背骨より右側を固めています。

「家族のことで随分長い間悩み続けましたね。そして私がやらなきゃ 誰が面倒を見るんだってえらく切ない思いの中で気張ってきましたね」と言いながらほぐしていきました。

しばらくしてその人の目から涙がこぼれ始めました。体の鍵がはずれてきたので す。「泣けばいいのですよ、悲しみを押さえ込んではいけませんよ」と私は声をかけました。
そして仙骨に触れた時です。その人は迷いの気持ちをずっと溜め続けてきたので しょう。迷いのしこりが積もり積もって固まった仙骨だと私は直感しましたので、 「あなた、迷いに迷って辛い人生だったね」と言ったのです。

そのとたんに、仙骨がクリッと動いたのです。すると私の指先から私の体の奥にその動きが伝わって、 私の悲しみの感情を揺すぶったのです。思わず私は自分のために泣いてしまいました。自分も泣きながら体ほぐしをするなんて初めての経験です。

体ほぐしは全体で五分ぐらいだったでしょうか。 その人に「立ってみてください」と言いますと、「アレッ、まっすぐに立てる。ずっと腰痛で、今し がたまで前かがみでしか立てなかったのに・・・」 と本人はびっくりの面持ちでスッキリと立っていま う。会場には大きな拍手が起こりました。

体の鍵をはずし、心の鍵をはずして本来の自分に 立ち戻るというのがボディートークの体ほぐしの考え方です。

体の鍵

1 ウケテは仰向けに寝ます。

2  シテは立ったままウケテにまたがり、両手を持ち上げます。

3 ウケテの腕に抵抗のない角度を見つけながら前後左右と、タコの腕のように揺すります。
4 ウケテの「アー」という声が気持ちよく揺れるのを聞きながら、一声終われば両手を静かに下 ろします。




子どもが自分で身を守る為の取って置きの方法     ストップ→とろけ寝→ゴキブリ→まわり立ちをやってみよう

♪  雪やこんこ あられやこんこ
    降っても 降っても まだ降りやまぬ
  犬はよろこび 庭かけまわり  猫はコタツで 丸くなる ♪

● 思い切って駆け回るっていいなぁ

雪が降ろうと、風が吹こうと、ものともせず元気に駆け回る子どもたち。見ているだけで嬉しくなってきますね。
朝から夕方までびっしりのミュージカルやバレエの練習後も、疲れ知らずに仲良く「ウワァ~!キャッ!」とか、声をあげながら、仲良く走りまわっている子ども達見ながら、私はちょっと羨ましくなることがあります。

● 女の子はもの静かに

実は私は幼い頃、静かにままごとをしたり本を読んだりがほとんどで、あまり友達と駆けまって遊んだことがありません。明治生まれの、しかも和裁の先生をしていた厳格な祖母に育てられましたから、「女の子が声をあげながら走りまわるなんて、はしたない!」

ましてや「木に登るなんてとんでもない事です」 としつけられ、保育園から帰って来ると祖母の傍に座り、針を持ち、お人形の着物などを縫って遊んでいました。

でも「私もあんなふうにやってみたい」と いう憧れは秘かにありました。
そこである日、お宮の境内を囲ってある長い塀にこっそりよじ登り、近所の子ども達が忍者のように塀をカッコよく走る真似をしてみようと思ったのです。
その日は境内には誰もいませんでした。

生まれて初めて登り立ってみると、あっという間に1.5m以上もある塀から見事に「ドサッ!!」落ちてしまったのです。 一瞬息が止まるかと思うほど体を強く打ち、しばらく身動きできませんでした。でも誰にも言えず…。

それにコリたのと、元々病気がちだったことも重なって、それからのお転婆はストップになりました。そんな理由で運動神経を磨くチャン スは乏しくなっていきました。幸い3才の頃からバレエをすることになり、かろうじて踊りの動きだけはできるようになったのです。

幼い頃にどんな遊びをしたのか、どんな動きをしたかは、その人の心や体の成 長に大きな影響を及ぼしているのは、みなさんもご自分の過去を振り返ると、推し量ることがお出来になると思います。

そんな私が、自分の心の奥に眠るヤンチャな欲求に気付き、それを開発していけたのは≪ボディートーク≫のおかげです。特に≪あたたかい息と手のぬくもり、弾む生命≫の精神たっぷりに仕立てられている、ボディートークのミュージカルの出会いは、私に大きな変化をもたらしてくれました。

ここで思い切って子どもの頃に出来な かった、心と体が弾む体験をさせてもらっているからです。 最初、ボディートークの胴ぶるいの動きが紹介された時、バレリーナの感性としては、とてもこんな奇妙な動きは私には絶対できない、と思っていました。

今は犬の胴震い、オオカミの遠吠え、なんと自然で美しい動きと響きなんだろう、と感動するようになったのですから、≪ボディートーク≫ってすごい。

ボディート ークを学んだことで、私の人生は豊かになれました。それが少しずつ身についていったからこそ、赤ちゃんの心や子どもの内なる動きが感じれるようになっていった のです。

● ストップ→とろけ寝→ゴキブリ→まわり立ちをやってみよう

毎月、ボディートークの子育て教室に通う、親子の変化には目を見張るものがあります。先月、お話しをしたK君は、今月はもうすっかり自分の欲しいものは積極的に自分から行動してゲットできるようになり、生命がパワーアップして嬉しそうです。ママも一回りも二回りも心の余裕ができて、オロオロしなくなり、ふっくら素敵なママへ成長していかれています。

神戸教室に通うG君も2才5ヶ月になり、広いセミナー室に入るなりボディート ーク指導者のKさんとしばらく走りまわっていると、自分で「ストップ→トロトロ
→ゴキブリ→まわり立ち」と声を出しながら、ボディートークの一連の動きをしては、 また走り出します。

飽きることなく何回も何回も。Kさんの「ストップ」の声にもすぐ に反応できます。羽生結弦とまではいきませんが、穏やかでやわらかでしなやかな流れるような動きです。

G君は毎週ママと一緒にKさんの「子育てボディートーク教室」でこの運動をや っているのです。この動きは、G君ぐらいの子どもの心と体の成長にはとても有効です。 全力で走っている動きを自分の意志で瞬時にストップできる能力は心を自己コントロールできる能力につながっていきます。

これが身につくと、危ない時「ストップ!」の声をかけるだけで、その動きを止めることができるようになります。ママも 「ダメ!」という回数がグンと減っていくことでしょう。一言「ストップ」だけでいい のですから。

とろけ寝・・・ストップした時、固くなった体と心を一瞬にして溶かすイメージで柔らかくしていくパフォーマンスです。心と体の瞬間リラックスです。

ゴキブリ体操・・・仰向けで両手、両足を上にあげ「ア〜」と発声しながらストップされた心のしこりも、一気にほどこうというイメージで行えば、頭も心も体もスッキリとなります。

まわり立ち・・・しなやかに小エネルギーで立ちあがれば、また次の動きにスムーズにパワフルに移行できます。

Kさんは、G君の心と体の成長にどうしたらボディートークが活かせるかな、と日々楽しみながら工夫していっています。今、G君は全速力でダッシュして「ドーン」と人に ぶつかっていくことが快感になってきました。その動きが大好きです。さてこんな時、 どんなアドバイスをしながらその子の心と体を育てていけばいいのでしょうか?

それはまた、次回、お話することにいたしましょう。
月例会でも、人間関係法のパフォーマンスのプログラムを、更に工夫して紹介されていきます。

≪ 動きと心の関係≫に気付くだけでも、自分や周囲の人の関係がスムーズになっていくかもし れませんよ。 どうぞ楽しみにご参加下さい。




ホラ見て、僕できるようになったよ(赤ちゃんの泣き声をよく聞いてみて)      

♪ なの花畑に 入り日 うすれ
    見わたす 山の端 かすみ深し ♪

あけまして おめでとうございます

新たなスタートの年として新鮮な気持ちで迎えています。心はもう春めいて、ボディートークの花の蕾があちこちで膨らみ、喜びが湧いてウキウキしています。ボディートークの内容が、よりわかりやすく、より深く、より豊かなものになっている感覚があるからです。

例えば、東京での自然発声法もコーラスで≪おぼろ月夜≫を歌い始めると、 自分の体が、淡いおぼろ月の光や、菜の花の匂いに包まれ、かすかに響くお寺の鐘も聞こえてきてうっとり…、という感覚になれます。

一瞬にして心・体・頭を スッキリ、ふんわりまとめることができる≪ボディーメッセージ≫も月例会に 通っている人なら当然の事のように誰もがすぐに出せるようになり、ボディートークベイビーも去年ぐらいから全国で次々と誕生。三世代に渡ってボディートークが、生活の中で当たり前にある家族も増えてきて、嬉し い限りです。

● ママと一緒に毎月参加してるよ

ボディートークで子育てされているママの、嬉しい報告をさせていただこうと思います。

名古屋のK君はママのお腹の中にいる時から月例会に参加しています。
毎月、朝9時からの≪赤ちゃんのための歌≫のプライベート・レッスンから始ま
ります。その後の基礎講座、昼食もテーブルを囲んで参加メンバーと仲良く済ませます。

午後からは朗読講座を、3時までママと一緒に受講しています。去年の11月で 1才になり、伝い歩きもずいぶん上手になりました。穏やかで物事を深い息で 捉えることのできる集中力のある落ち着いたK君です。

● すぐに泣き出すK君

普段は一日中ママと二人っきりで過ごしているK君ですから、ちょっとでも ママが離れるとすぐに泣き出します。するとママは大慌てで走ってきて「K君。 ゴメンネ、ゴメンネ」と言いながらすぐさま抱き上げます。

≪赤ちゃんを泣か せてはいけない。赤ちゃんを泣かせては可哀そう≫と思っているからです。そこで私は質問しました。「泣き声をよーく聞いてみて~。急いで抱っこしなければ、いけない泣き方かな?それとも少しくらい泣いても大丈夫な声なのかな?」

ママは少し困った様子です。泣き出すといつもすぐにママが飛んできて抱っこするので、K君は自分から「ママ抱っこして!」と手を伸ばすことも、自分でハイハイしていって、ママのところへ動いていくチャンスは、ほとんどありません。

● ちょっと待ってみよう

「K君が泣いてもすぐに抱っこしないで、 ちょっと待ってみては?」ママはK君が 手を伸ばせば届くくらいの所から近寄って「『ホラ、ママはここにいるよ、ここにおいで』ってK君へ手を差し伸べ ながら言ってみて?」「最初は泣くけど根気よく『K君、さぁ~おいで!!』 って諦めず、やさしく暖かい声で呼び続けてごらんなさい?」

するとどうでしょう。しばらくするとK君は泣きながらもハイハイをして、 ママの手のところまで動いて来たのです。そしてしっかりママの手を掴みました。もうママは涙でいっぱいです。

● できたら、いっぱい褒めてあげましょう

「『すご~い!やったねぇ~!K君えらかったね! できたねぇ、ママの所まで来れたねぇ~!!』っていっぱい褒めながら抱っこしてあげましょうね。」K 君を待っている間は、ママはもう泣き出さんばかりの悲しい顔をしていましたが、大成功です。

K君は自分の力で出来たのです。私の方をチラッと見ているK君 に「できたねぇ~!」と手をパチパチたたきながら褒めるとK君はニコッ。そしてお尻をフリフリ、自分でもア~と声をあげながら拍手し始めました。「そうそうその調子、出来るようになって良かったね。ママもよく頑張ったねぇ~」と言うとK君もママもニコニコ。

セミナーを受講している6時間の間に、こういう場面は何回かありましたが、その度に、諦めずに「さあ、おいで」「よくできたね~」を繰り返しました。すると、もう帰る頃にはすっかり≪K君の力を信じ、K君が自分でできる≫という自信を育てていけるママへと成長していました。K君も沢山褒められ「ホラ、見て。僕、やれるようになったよ」と誇らしく、ご満足の表情です。

● 親を奴隷にしてしまう

「良かったなぁ~」と、私もひと安心。何故ならこのステップをクリアしないで成長していくと、いずれ子どもは親を奴隷化して「自分の言うことはなんでも聞 いてくれるのが母親」という方程式が脳に刻み込まれていくからです。

母親を奴隷にしながら、自分の望むもの、望むことを自分の努力なしにホイホイと手にすることができる体験を繰り返していく子ども達。そしてその子どもがそのまま思春期を迎えると、もうどうにも手がつけられない状況へと移行してしま うのです。

全てを親のせいにする、子どもへと成長していってしまうのです。

以前にも書きましたが、野生に生きる動物の鉄則≪自分のエサは自分の努力で得る≫ことはとても大切なことです。そして人間にとっては“自分の望むものは自分で行動し、努力しゲットするもの≫この喜びが、自分の生きる力を高めていくのです。

K君とママの今日の笑顔は、この喜びに満たされた心地よいものだったことでしょう。良かったねK君。




ふんわり すっきり しっとりと 生きるコツ

「ふんわりと」始まり「すっきりと」したお付き合いが積み重なると、やがて「しっとりと」した段階に到達します。ツーと言 えばカーと応える、すなわち以心伝心のレベルです。

馴染みになるとか、親しいお付き合いというのは、ここまで進んで初めて言えるのです。たとえどんなに気があっても数回出会っただけでは、うかつに親友と呼ぶものではないと私は考えています。

「しっとり」という語は「下垂る」から生まれました。水滴がポツリポツリと下へ落ちる様から、静かに安定して、無理なく確実に事が運ばれるイメージを表現しています。
話しは脇へそれますが「下垂る」と似た語に「したたか」あります。一筋縄ではいかない、とか踏んでも蹴っても自分を曲げない、とか現在ではあまり良い意味で使われていませんが、「したたか」とは元々「下確か」なのです。

竹が強風に押し倒されても、風が止めばキチンと元に戻る 「しなやかさ」が「下確か」なのです。どんなに周囲に流されても、最後は自分を失わない確かさなのです。

その意味でボディートークでは「しなやか」と同様に 「したたか」も良い意味として大切に使っていきたいと考えています。
さて、「ふんわりと」「すっきりと」「しっとりと」の三段階はキー・タッチに限らず人間関係、 生活、仕事、自己表現のあらゆる分野に当てはまります。数例を挙げてみましょう。

立居振舞いで言えば、例えば「ふんわりと」腰を下ろします。タタミを大事にし、座ブトンを丁 寧に扱います。そして「すっきりと」座ります。特に正座の場合は、足にお尻を乗せて微妙に上体を揺すり、居心地の良い上体の乗せ所を見つけます。そうすると、「しっとりと」腰を落ち着けることができるのです。

これが逆のイメージだと「ドシン」と腰を下ろします。座ったとこ勝負で「キュークツ」なままガマンをします。するとすぐに足にシビレがきて、体にユガミが生じ「ゴソゴソと」落ち着きません。

会議の在り方に例をとれば、「ふんわりと」和やかな雰囲気で始まります。みんながリラックス の中で集中するので「すっきりと」討論が進みます。無駄な時間なしに良い結論が出るので「しっとりと」喜びを分かち合うことができます。

これが逆だと「コチコチで」始まります。会話は「ギクシャクと」してかみ合いません。時間切 れで後味悪く「ガサゴソと」後始末します。

語学の習得なども「ふんわりと」楽しむうちに「すっきりと」理解できます。そうして「しっとりと」会話が続くのが理想です。しかし、たいていは勢い込んで「カンカン」になって努力し「ガッチリ」としゃべろうとします。それで何年勉強してもうまくいかなくて「ガッカリ」するの です。

私は「ふんわりと、すっきりと、しっとりと生きる」ことをモットーとして、人と接する時も、 物を扱う時も、この三つのイメージをクリアすることを心掛けています。

お尻ゆすり 「お尻ゆすり」と言えどもお尻を揺するのが目的ではありません。お尻の中には骨盤があります。その骨盤が揺れるようにするのです。

骨盤は腸骨と仙骨から成っています。そして両者をつなぐ仙腸関節は微妙に開いたり閉じたりして交感神経と副交感神経を調節しています。
人は行動を起こし、心が緊張しますと仙腸関節はキュッと締まって、交感神経の働きを活発にします。これが過緊張になると貝が殻を閉ざすように、ギュッと更に固くなってしまいます。すると仙腸関節が締まり容易にほぐれません。そうなると不眠症になってしまうのです。

気力が落ちますと、反対に仙腸関節は開いてしまいます。
指を当ててみますと、開きを感じることができます。そうす ると交感神経の働きが鈍くなって行動がおっくうになります。

締まり過ぎも緩み過ぎも「お尻ゆすり」で調節します。また女性の生理の時などは仙腸関節が開いていますが、体にしこりやゆがみがありますと、 仙腸関節がズレてしまいます。生理痛の一因ともなっています。このような時も「お尻ゆすり」をしてもらうと、その場で楽になります。  

お尻ゆすりの方法

1 ウケテはうつ伏せに寝ます。

2 シテはウケテにまたがり、片膝を立てます。

3 シテはウケテのお尻の両側面に手を当て水平に交互に揺すります。

4 その間ウケテは「アー」と発声します。




なま卵とお話し

 

♪  ヒヨコがね  おにわで  ぴょこぴょこ かくれんぼ . 

    どんなにじょうずに かくれても 

        黄色い あんよが みえてるよ~ ♪ 

人間の赤ちゃんも一人で歩けるようになると、もう嬉しさいっぱいであちこち歩きまわり「ア ア ア ア」と、ママたちはいつもハラハラ、目が離せません。 

人間の赤ちゃんが、自分の足で歩き始めるには、生まれて一年ぐらいかかりますが、それに比べヒヨコさんは、突然まんまるの卵が割れると、すぐにピヨピヨピヨ、歩き出すのですから、びっくり大変身です。 

●卵が立たないよ~ 

今回はこの卵を使ってのボディートークのプログラム≪なま卵立て≫についてお話しましょう。これは特にボディートーク指導者を目指す人には必須の学習内容です。 今年テストを受ける人の中に卵が立たず、「う~ん」と悩んでいる人がいます。

日頃の彼女の学習意欲はとても高く、人一倍の努力家です。努力しているのに立たないのです。私は「これはきっと神様が下さった彼女へのプレゼントに違いない」と その様子をニコニコと見守っています。すぐに卵が立たないからこそ、深く学べる絶好のチャンスなのです。 

● そんな時、あなただったらどうする? 

もう30年も前のことですが、熊本で20名ぐらい一斉にボディートーク、リー ダー養成講座をしていた時のことです。「卵は必ず立ちますよ。さあ、やってみま しょう」と参加者に一人一個ずつ卵を手渡しました。

しばらくすると「あ、立った !」という喜びの声がして、最初の卵が立ちました。「本当に立っている!」会場に思わず歓声が起こります。それをきっかけに「あ、立った!」「立った!」と次 から次へと卵が立ち始めました。立たない人は少し焦りながらも、どうしたら立つのかな? と色々工夫しています。私はただ「必ず立ちますからね」とニッコリしているだけ。 

一時間ぐらいすると、ほとんど卵は立ち、二個目、三個目を立てる人も出てきま した。卵が立たなかった人の方が少なくなってきたその時、突然、一人の女性 が「こんなことして何になるのよ!!」とすごい剣幕でイカり、立たない卵を置いて サッサと帰ってしまいました。 

● どの卵も一つずつ異なっている。 また、女子短大のボディートークの授業ではこんなこともありました。 「卵は必ず立ちますからね。そう信じてやってみて下さいね」とだけ言ってすぐに プログラムスタート。しばらくすると「先生、どうも私の卵は立ちにくいみたいで す。交換してもらえますか?」とたずねる学生が数人出てきました。予備に持ってきていた卵ケースを差し出し、「良いですよ。どうぞあなたの好きな卵を選んでみ て」と、やはり私はニッコリしながらOKしました。(授業後に、もしこの卵があなたの赤ちゃんだったら、出来が悪いからって取り変えることはできませんよね・ ・・とコメントをしました) 

でもさすがに、ボディートークの50人の背中叩きを実行し、背中叩きのテストに 合格した学生達です。卵とのボディートークも上手にできたのでしょうか?50分 の授業内に生卵は全部見事に机の上で立ちました。そして、一つ一つ卵の傾き方は、 すこしずつ異なって立っていました。学生達は「美しいねぇ~」とか「良いねぇ~」 とか言いながら、自分の立てた卵と一緒に笑顔で記念撮影会を楽しんでいました。

授業後での感想には —「あ~、私には必要だったことはこれだったのだと気づきました。もう自分は何をしてもダメなんだと自分のことをあきらめていました。

でも、無心にひたすら自分を信じ続け、‟自分の内にある良さを見つけようと努力”し続けることが大切だったのだ、と卵が教えてくれました。卵が立った時、自然に涙が出てきました」とか、「最初は卵が立つなんて信じられませんでした。でも先生が『必ず立ちますよ、あきらめないで』と繰り返される声に励まされて最後まで頑張ることができました。立って本当に嬉しいです。ありがとうございました」と感謝の気持ちが生まれてきた学生もいました。 

人は誰でも決して一人では生きていくことはできません。赤ちゃんから成長していく過程の中で、沢山の人の思いに見守られ、支えられながら、 これまで生きていくことができたのです。

当たり前のことですが、 いつの間にかそんな事、忘れてしまっていることが多いのかも? そし て、自分の中に生きていこうとする強い生命の力があるからこそ、生きていられ るというのも真実です。≪生卵立て≫は≪生きているとは何か、自立とは何か?  支えるとは何か? ≫ など、新鮮な感覚で体に蘇らせてくれる素晴らしいボディー トークのプログラムなのです。

 私は幸い(?)卵を立てるまでに数週間かかりました。そして立った瞬間、「ワァ ~立った!立った!」と大声で叫び、手が痛くなるほど拍手し、部屋中をかけ廻りました。物言わぬ卵を見つめ、ひとすら話し続けた貴重な時間。≪自分や他の生命との関わり方を誰からか教えられるのでは なく、ミズカラ感じ取り、学んでいく姿勢≫ 明先生はこのプログラムを通して、 ボディートークの本質を教えようとされていたのです。

私が卵に教えられたこと はいくつもありますが、それは次回号に引き続きお話させていただくことにしましょう。今、子育てや自分の生き方に迷っていらっしゃる方、生卵立てはお勧めです。




生命は3つのイメージで弾む

<ふんわり、すっきり、しっとりと>

「ふんわり」は人に接する第一歩 
私たちは生命に対してまず「ふんわりと」接しなけれ ばなりません。生命とは生まれたばかりの赤ちゃんのように、元々柔らかいものなのです。
「ふんわり」は「ふわっ」というふくらみや、弾力のイ メージを強調した言葉ですが、古代日本人は母のことを 「ふぁふぁ」と呼んだそうです。その響きが、やがて「は は」となるのですが、太古の昔から母は柔らかくて温かい存在であったのでしょう。

赤ちゃんを抱く母の手のように柔らかく、温かく、穏やかなタッチは「ふれあい」の大原則です。初めて出会って、いきなり固い握手なんかをされますと、ズカズカと心の中に入り込まれそうで、何と乱暴な人かと思ってしまいます。

日本のビジネスマンは、固い握手でないと握手ではないと思っている節が見うけられますが、契約が成立をして喜びを表現する時ならともかく、これからお近づきになろうという時は言葉も態度も「ふんわり」を第一原則としたいものです。

●「すこやか」とは流れがいいこと
キー・タッチを「ふんわりと」始めたら、次は「すっきりと」行う。「すっき り」とは「すこやか」ということばから生まれました。その語源を探ってみましょう。
「健康」という文字は漢語ですが、古来、日本人はヤマトコトバで「すこや か」という素晴らしい表現を持っていた。「すこやか」は「すくやか」という発音 が変化したものですが、それでは「すくやか」とは、もともとどういう意味だったのでしょうか。 まず、語尾の「やか」。これは接尾語といって、良い意味の言葉を強調する働きを表しています。

例えば、「さわやか」「しなやか」「にこやか」「にぎやか」などなど。 「やか」の付く言葉は全て良いイメージです。
従って健康という意味は「すく」の中にある。「す」「く」とは「素」「来」、即ち「素が来る」ということです。

「素」というのは織物のタテ糸のことである。タテ糸が、もつれないで真っ直ぐ に垂れている状態を言います。「素が来る」というのは、沢山のタテ糸が、もつれないいで、きれいに垂れていること。そうすると「ハハーン」と思いあたることがありますね。

髪の毛にクシを入れてもつれをとり、きれいに整えること。 畑を耕して、ウネを造ること。 すべて同じ語源です。さらには「空く」というのも、もつれや余計なものがなくなる、というように発展して使われるようになったのである。「スーッとした」と、言うのも、つっかえていたものが流れて通りのいい 「素」の状態になったことだし、「スクスク伸びる」というのもあれこれ問題をかかえないで順調に 成長するということで、「すくやか」の「スク」です。

私たちの祖先は「健康」の本質を見事に言い当てていたのです。 すっきり、しっとり、にっこりなど。従って、「すこやか」とは、何のもつれもなく、 流れの良いこと、の意です。血液、体液の流れが良く、また消化や排泄がスムーズであることなのです。 WHO(世界保健機構)では「健康とは、単に疾病や傷害がないというだけに留まらず、身体的にも、精神的にも、そしてまた社会的にも安寧な状態をいう」と定められています。

「健康とは、体や心はもとより、 社会生活に於ても流れが良い状態をいう」 と言い換えることができるでしょう。
この「すこやか」から派生した言葉が 「すっきり」です。「ふれあい」に余分 なことは要らない。その時々に何が大事かを整理し、必要なことを必要なだけ行えば 充分なのです。(次号につづく)




おっぱいほぐしパート3

ふんわりと生命にふれるには? 

3回目のオッパイほぐしシリーズです。今回はオッパイほぐしを、ふんわりと行なうためのイメージづくりについて、お話しましょう。 

皆さんの<ふんわり>のイメージって、どんなものでしょうか? 青空にふんわりと浮かぶ白い雲、風に揺れるシャボン玉、美味しい綿菓子、ほかほかのお布団、 桜の花びらなど、そのイメージは人それぞれですね。 

●ふんわり布使い ― 空気で包む 

全国展開しているエンゼルハンズセミナーの、ブログラムの中に <ふんわり布づかい> があります。大きな布、ゴース(薄い透明のファ~ッとした、長さ5mの布)の両端を二人が両手でもって、上下に動かします、布の中に上手く空気が入ると、ファ〜ッと風のように舞い上がり、舞い降りてきます、持っている人が荒々しく使うと、布は怒ったように動き、布に語りかけるように優しく扱うと、まるで風に舞う蝶のように動いてくれます、 

私は30年近く、バレエやミュージカルの舞台をやっています。赤ちゃんから幼児、高齢者までが出演しますが、このやわらかなゴースは欠かすことのできない、舞台セットの一つとなっ ています。衣装として使われたゴースは、時には 10m以上もの長い布がセットとして何枚も舞台で動きだすと、空気をたっぷりと含んだ布が、 独特の空間を作り出していきます。このゴース をふんだんに使うことによって、出演者の心が ファ~ッと穏やかにやさしくなり、たちまち舞台が夢のような幽玄の世界になっていきます。そして、布を動かす人の心の有り様を見事に表現してくれるのです。 

本来は人の手も、この布のようにやわらかくファ〜ッとしているものなのです。ところが、日常生活の中で重い物を持ったり、複雑な作業を強いられている手は、いつしか固くなり、また自然素材のものでない、固く冷たい人工の創られたものばかりに囲まれている現代の生活では、ふんわりしたものに触れる機会が極端に少なくなってしまっています。

エンゼルハンズセミナーでは、布を自分の心と体のつながりとして、<ふんわり>動かすコツを<メニューの中の‟手の原理”>で学習します。 

●手はどこから出ているのでしょう? ≪タコの手のイメージづくり≫

1 自分の手は、オヘソの後ろの部分(両手を後ろに回し、組みます。その手をウ エストラインの中央に置いた位置、腰椎の3.4番の位置です)から付いているとイメージします。 その部位から、背中→肩→腕→肘→指先へと、手が伸びているイメージをしま す。布を持って動かす時も、体ほぐしをする時も、「あっ!手は腰から付いている」と、いつも意識しながら練習してみて下さい。すると、最初は指先だけで体ほぐしをしていた人も、いつの間にか、ふんわりと全身で体に包まれる感覚が、身についていきます。

ボディートークの<マタニティー、子育て>の基本は、ふんわり、ゆったり、たっぷりと、 ですから、おっぱいほぐしも体ほぐしも、このイメージが体を通して実感し、「あ~、生命ってあったかいなぁ〜、良いなあ~」と、感じることで、生命が膨らんでいくのです。 

最後に ≪ふんわりタッチの手≫ でA子さんの体ほぐしをされたSさんは「私はただ、少しでも楽になってもらえたらと、寄り添い、ゆったりと 包むように全身を暖めながら、A子さんの体や心の流れがスムーズになろうとする力を、一緒に待ったのです。私も同じように出産、授乳、子育てと、辛い時期を 沢山ありました。

だから、A子さんも赤ちゃんも本当に辛いだろうなと思えました。 A子さんに、「辛かったねぇ~よく頑張っているねぇ~」と声かけしながら、全身に暖かさが伝わっていけるよう、何度もなんども、“温める、溶かす、 流れをつくる”動きを繰り返したのです。 

体ほぐしの後、A子さんに笑顔が戻りました。驚くほどに楽になられ、オッパイもよく出るようになりました。今は赤ちゃんと一緒に、元気で毎日を送っているそうです。 




膝痛の原因

実家の母から電話がありました。「膝が痛くて歩けなくなったので、病院で痛み止めの注射をしてもらったと」言います。母は八十歳 を過ぎたばかりで、まだまだ元気、と私は安心していた矢先でした。

実家へは車で二時間ほどの距離なので、すぐに飛んで行きまし た。正座ができないとのこと。膝頭を揺すると痛む。どうやら膝関節の位置にズレがあるらしい。私は、早速体ほぐしを始めました。

膝が痛いからといって膝ばかりみていてもダメです。人間の体は骨も肉もいっしょにしてひとつにつながっていますから、 節を正しい位臓に戻すにはまず全身をほぐす必要があります。否、 むしろ膝関節のズレの元凶は 体の別の部分にあることが多いのです。

例えば、背中の片側にしこりがあって、腰をゆがめて歩いたとしましょう。こういう場合は微妙な傾きなので本人は気が付きません。しかし傾いた側の膝には負担がかかり続けます。
背中のシコリある時に、疲労も加わり重さに耐えかねた膝関節が、ズレるのです。そのズレを戻すには背中のシコリにまで逆のぼらなければなりません。

案の上、母の背中には脊椎8番右に強いしこりがありました。芸術家である父親の世話にほとほと手を焼いて、怒りを溜め込んでいるのです。このシコリが腰を引っ張り、仙腸関節をズラし、股関節を歪ませ、膝関節に無理な角度の負担を与えていたのです。

何故そのような判断をしたかというと、仰向けに寝てもらって左右の足の長さを調べたからです。 すると右足が二センチほど短い。

調べ方はこうです。まず寝ている体を真っ直ぐにします。そして足元から見て、鼻、ノドボトケ、 胸の中央、恥骨を一直線上にそろえた延長線上で足の左右の顔を合わせてみます。腰の出っ張った部分がピタッと合うのが普通ですが、腰や膝にズレがあると出っ張った部分は、ズレてしまいます。

その、ズレた距離をもって何センチのズレと私は言っていますが、これは私独自の見方であって医学や整体ではどのように表現しているかは知りません。
母の背中をほぐして怒りを静めたところで“膝たおし”を行いました。すると足の長さは、きれいにそろって膝が軽く感じられるようになりました。正座も楽に出来て、母は「何ともなくなった」 と部屋の中をうれしそうに歩き廻りました。

膝たおしは、橋本敬三氏の操体法にヒントを得た方法ですが、ボディートークでは発声を加味します。更にやってあげる人が、自らの腰も調整できるように動くということを大事なポイントとしています。

膝たおしは、ウケテが膝を立てた状態を自ら外へ倒そうとするのを、シテが一旦手で止めて、膝に力がこもった途端、離すという方法です。膝が倒れた時に、膝関節や腸の内部が微妙に揺れて体が調整されます。

この際大切なことは、シテが手を離した後の、ウケテの膝のリラックスです。ウケテが膝に力を入れてシテの手を押すのは、決して押す力を高めるためではありません。膝が倒れた時のリラックスの揺れをより大きくしないように、一旦押し合いをするだけのことなのです。

ウケテの力がグッとこもった期間にシテは肩すかしのようにヒョイと手を離しますが、その瞬間は声を聞いていても判断できます。膝を押すウケテの中がグンと強くなったところが、手を離すタイミングです。

膝たおしのテクニックが進みますと、シテはウケテの力をうまく 受け止めて、自分の腰の調整ができるようになります。即ちウケテが押してくる膝を手で受け止め、その時、自分の立て膝で支えると、 シテにも一旦、力がこもります。そうして押さえている手を離した拍子に、自分の肩の力もフッと抜くのです。山陽関節が微妙に揺れて、膝関節が調整されるのを感じるでしょう。

相手をほぐしながら、ミズカラもほぐれる方法がボディートークの体ほぐしです。

<膝たおしの方法 >

① ウケテは仰向けに寝ころんで、一方の膝を立てます。

② ウケテの足元に座り、立った際に片手を当て、その手の肘を自分の立て膝で  支えます。

③ ウケチは「ウーン」と声を出しながら、立てた膝を倒そうとします。

④ シテはウケテの膝に力がこもったと感じた瞬間、手を離します。

⑤ ウケテの膝はパタンと外に倒れて、その波が膝関節や腰に波となって伝わるでしょう。

⑥ 片膝につき数回づつ行なえば足の長さはたいてい元に 戻りますし、また膝痛も軽減していきます。