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花のある人生

♪真綿色したシクラメンほど  すがしいものはない 

     出会いの時の 君のようです~♪

花に囲まれて

シクラメンの花が光の中に美しく咲いています。 今あなたの傍に咲いている花はどんな花でしょう。

茶室に飾られる花は、ほんの一輪です。一輪であっても、静寂の中の花を見ていると、心が清らかに穏やかになっていくのを感じます。

以前にも書きましたが、私の幼い頃、 花の大好きな叔母は、色とりどりの花を庭いっぱいに咲かせてくれました。

その花を、ママゴトにたっぷりの花を使い遊ぶことができました。 手に触れる花びらのやわらかさや花の香りに包まれて育っていきました。

小学生になると、 庭の花を手に、 まだ誰も来ていない教室へいそいそ出かけ、黒板の両はしにかけられた竹の筒に花を飾るのです。一日中その花が私を見守っていてくれていたのが、嬉しい思い出です。

中学校や高校は、教室に花を飾るというような校風はありませんでした。生徒会の役員になったとき「花のある校庭にしませんか?」 と提案したとき「賛成!それはいい!」 となり、 生徒たちの手によって、見るみる花のある校庭に変わっていきました。

大学時代、まわりは汗臭い男子ばかりの体育学部でした。全員男子という運動生理学のゼミ室と研究室に入室すると、どの部屋にもお花がニッコリ。お小遣いで買った花でしたが、 「あ~、気持ちいい~」 と花に囲まれ、毎日毎日明け方まで運動処法作成の実験を楽しむことができました。

● パリの夕食会

明先生も、お花が大好きです。 ロンドンに毎年ボディートークのセミナーに出かけ ていた頃の、こんなエピソードがあります。
セミナー期間の合間の三日間をとって、 ちょっとフランスまで小旅行をしようと いうことになりました。

急な思いつきでしたので、 準備もそこそこに駅へ向かいま した。 ところがキップを買う時に 「どうしよう?」 という事態発生。 必要経費の計算ミスで、キップ代金を片道分しか考えていなかったのです。 手元にあるのはホテル代と食事代と少しの予備費。 それ以外は全部、 滞在しているロンドンのホテルのフロントに預けてきたのです。

もう予約列車の出発までに時間がありません。 とにかく乗車したものの、それからは電卓片手に「あといくら?」 と、にらめっこです。予定していた食事代を帰りのキップ代に当てると、 残るのはわずかなお金です。レストランの食事はもちろんキャンセルしました。

市場で果物とフランスパンと飲み物を買って、ホテルの部屋のテーブルに、お気に入りの大判の花柄のハンカチを拡 げ、 ピクニック気分です。 「ささやかだけど、こんな旅行も素敵だね」 と、二人でドキドキワクワクの三日間を過ごしました。

でも何より嬉しかったのは、明先生が 「もちろんお花も買おうね」 と、何の躊躇もなく数本のバラの花を買われた事でし た。 花を飾ってのパリの夕食会。 懐かしい思い出 です。

● 花のある女性

花のある生活はいいものです。 でも花が無くても 「花のような人」 がいてくれるだけで、その場の息がふんわり華やぎますね。 私の友人に 「花のある人」 この言葉 が似合う女性がいます。 特別にきらびやかに着飾るわけでもないのですが、彼女の 佇まい、声、 生き方が 「花」 なのです。

若い頃、 結核を患い、 その後しばらくは元気になって一緒に 「光月の舞」 も踊っていた仲間です。 今は肺の病気でほとんど寝たきりの生活です。 身の周りのお世話は優しい御主人と息子さんがなさっています。

「ゴメンネ、手紙を書くのもしんどくて」の状態なので、もっぱらお互いにメール交換です。 「元気ですか?」 ではな くて、「生きていますか?」 「生きていますよ〜」 「よかった、 生きててくれてありがとう」 「生きててね」。 ちっとも深刻ではなく、 いつもさわやか、電話の声もすっきり、元気でユーモアにあふれています。

時々彼女を訪問している友人に、「一日ひとつでもいいから感動することを見つけて生きているのよ」 と笑顔で話してくれたとか、 メールで送られてくる写真に写る彼女の微笑みは 「なんて 明るくて美しいの?」 と魅かれるのは、彼女の内にある心のすこやかさ、 しなやかさから来るのだなと胸が熱くなります。

ふと気付くと、忙しい日々に、ついついドライフラワーのようになっていきそうな自分を感じた時、彼女の姿を思い出します。 彼女は私にとって≪心の花≫のような、かけがえのない友人です。 年ごとに自分も年を重ねていきますが、老いても 「花のある人生」 を、心がけたいなと思うこの頃です。




青い鳥はいつもあなたの中に

♪ うさぎ うさぎ  何見てはねる   十五夜 お月さま見て  は~ねる♪

<踊ることが大好き>

月の光に照らされ、嬉しくなってはねる、 うさぎさんたちの姿。 微笑ましいですね 。このうさぎさんのように、私たちも美しい自然を前にすると、思わず歌いたくな ったり、踊りたくなってきませんか?

ところで、もし「あなたの寿命があとわずかと分かったら、何をしますか?」と問われたら、私は「朝から晩まで踊り続けたい!」 と、迷わず答えることでしょう。 それほど私にとって「踊ること」は大きな意味を持っています。

< 自分の生命を守る内なる体の声>

私がバレエを始めたのは3才の時でした。 内息だった私は、いつの間にか自分の悲しみや怒りの感情を外に出さず、踊りの中で表現しながら自己解決していくような子どもに成長していました。

しかし、ボディートークに出会う前の20代、大学を卒業した頃、色々な悩みが重なり、 生きている実感が日々乏しくなり、 魂が抜けたようになった姿で教壇に立っていました。

その頃のわたしは、まだ陽の昇らない明け方に起きて、始発の電車で勤務先の福岡女子短大へ向かうようになっていました。 大宰府の丘の上に立つ短大の坂を登り、誰一人いない薄暗い体育館のサブコートの鏡の前で、 レオタード姿でバレエの 基礎レッスンを始めたのです。雪降りつもる凍えるような寒い冬の日も欠かさず毎日、ひたすらにレッスンを続けました。

(もちろん暖房はありません) 手や足の指先まで、全身の隅々まで繊細に神経を行き届かせながら、ゆっくりゆっくりと自分の体を感じながらのレッスンです。 す
ると自分の体全体が空気のように感じられてきて、周囲の気体との境目が取れ、その部屋の空気の一部に自分がなってしまう感覚が生まれてきました。

自分が自然の一部になれている心地よさは不思議な感覚でした。
太陽が昇ってくると、サブコートの窓から差し込んでくる朝の光が部屋いっぱいに拡がっていきます。その光は生命の全てを受け入れ、母親の胎内の羊水のようにあたたかく、やわらかく私を包んでくれました。

するとどこからか「あきこは今ここに生きているよ」 「生きていていいんだよ」 という声が聞こえてくるようになりました。 涙が溢れてきて「そうだ、 私は生きているんだ」という実感が蘇っていくのです。 そんなレッスンを来る日も来る日も続けながら、私はこの時期を乗り越えることができました。

(私は踊りながらボデ ィートークをしていたのですね) そしてこの声こそ、 自分の内にある≪自分の生命を守 る体の声≫だったのです。

● 危機を乗り越えていく生命の力

私たちの生命は進化の過程にストレスがあったからこそ、様々な適応力が膨らみ、これまで生命を繋いで来れたことは皆さんもご存知のところです。 これからは災害や事故、また高齢になっていくなど、 自分の体や心が大きく変化してくことが増えていく時代になろうとしています。

でも私たちの生命の奥には、普段はほとんど使われていない“山”ほどの素晴らしい生きる力が内在しているのです。 それは生命が非常事態になった時にその力を発揮してくれる生命の力です。

今年はリオでのオリンピックの年でもありました。 感動的なシーンがいくつも放映されましたが、私の心に最も残ったのは、パラリンピックに出場したある選手の言葉 でした。 「足を失ったからこそ、私の隠されていた素晴らしい力を発揮するチャン スを得ることができたのだ」 「失ってはいない、 得たのだ」 と。 この選手の目は、どの金メダルよりもキラキラと輝いているように私は感じられました。

● いつもいつも、 あなたの内に青い鳥はいるよ

≪ボディートークとは体のおしゃべり≫です。 あなたはどんなおしゃべりをしていますか? 自分の生命の終わる、その最後の日まで、こよなく自分の生命をあたたかくやさしい息で包み、 「よく頑張ったね」 「えらかったね」 「よく生きてきたね」 と声をかけてあげて下さい、 すると、自分の内なる青い鳥の幸せの声が、どこから かきっと聞こえてくる、 と思いますよ。




アメリカでリスに噛まれた?!

人さし指が臭っ白に

アメリカン・ダンスセラピー年次大会に参加したときの事です。 11月初旬のフィラデルフィアは急に冷えこんだのか紅葉が鮮やかで、整然と区画された街並みに落葉がたくさん舞い、 晩秋の深い色わいでした。 ボディートークの講演もおかげ様で大好評で、これからアメリカでも着実に広がる気配です。

講演をする日の朝に、日本から共に参加したAさんにハプニングが起きました。 リスに指を噛まれたのです。野生の小動物の牙には、どんな雑菌が付いているかわかりません。 まして外国の地です。 日本で得ている体内の免疫では役に立たないこともあるのです。

以下はその顛末です。フィラデルフィアの公園には、木の一本一本にリスが住んでいます。とても人に馴れていて、 パンやお菓子を手に持っていると、遠くからでもピョンピョンと跳びはねてやってきます。 そして小っちゃな手を胸に当てて、おねだりをします。

あまりの可愛い仕草にAさんは少しずっちぎっては口先へ与えていました。
ところが数回与えるうちに、リスも大胆になったのか一度にたくさん奪おうと
ばかりにバンを持っている指先も一緒にかじったのです。 反射的にAさんは手
を振りました。

リスはその反動で宙に舞いました。指先には歯型が2つ付いていて血がにじんでいます。 ホテルに戻ってすぐに水洗いをしました。 痛みもなく腫れもこないので、何も処置をしないでしばらく様子を見ようということになりました。 後で気付いたのですが、その直後に口で毒を少しでも吸い出しておけばよかったと思いました。

その後、Aさんはボーカル・ダンスの発表をしましたので、傷のことはすっかり忘れていましたが、 夜になって指先が少し痛み始めました。 そして翌朝になると指先はしっかりと腫れ、痛みも強くなりました。そして昼には全身がだるく重くなり、レクチャーも聞けず、ベッドに寝込むことになりました。 微熱と頭痛と吐き気です

この時点で、私はAさんの体ほぐしをしました。 背骨を揺すると見事に胸椎9番 にヒリッと痛みが走ります。 これは「しまった」という後悔の気持ちの表れてす。 もちろん「あきらめ切れない焦りの下腹部を固めています。 薬を使うこともチラッと頭をかすめましたが、自力で何とかなりそうに感じましたし、Aさんもここ は免疫力をつけようと決心した様子なので、 安静にして症状の経過を見ることにし ました。

夕方になると、痛みは手のひらから全身に広がり、 特に首や脇下のリンパ節が激 しく痛みます。 そしてシビレか身体中に次々と移動していきました。 水分も食物も一切受けつけられず、すべてのエネルギーが菌と戦っていると感じたそうです。

夜には噛まれた指全体が真っ白になったので、指でこすって神経をほぐしたり、 ベッドの中でモゾモゾと動く動きで、痛みを逃したりしているうちに、急にストンと憑き物が落ちたように体が楽になったと言います。 ピークが過ぎたのです。

一眠りして起きてみると、 指先に少し腫れと痛みが残っている ものの気分はスッキリとし、 食欲が出てきました。

こうしてAさんの体にはアメリカのリスに対する免疫力が出来たと考えられます。 免疫とは、ご存知のように外部から侵入した毒素に対して、リンパ球と白血球が退治してくれ、一度退治した毒素はリンパ球が記憶し、次に同じ毒素が侵入しても直ちに防御してくれるので発病しないという自然治癒力です。

私たちは生まれてこの方、 経験をした無数の雑菌の毒素に対して免疫力をつけているのですが、 発病に際して自然治癒力を発揮させないで抗生物質などに頼り過ぎていると、O-157のような弱い菌にも太刀打ちできないで、免疫力低下から 生命を落とすところまで行ってしまうのです。
今回のハプニングで貴重な気付きがいくつかありました。




直感力を磨こう

振動数を言い当てる能力

マツタケを見つけ出す名犬がテレビで紹介され ていました。 飼い主と共に山に入ると、 さかんに 匂いを嗅ぎまわってマツタケの生えているところ へ急行し、見つけるや否やバクッと食べてしまい ます。 飼い主はあわてて犬を引き戻し、 近くのマ ツタケを掘り起こすという段取りです。

犬の嗅覚は人間の1000倍ほど鋭いと言われてい ますから、この能力に関しては私たちは全く脱帽せざるを得ないのですが、 人間だってなかなかど うして、動物にはできないすばらしい直感力を有 しています。

今、仮に空気中に起こる空気の振動数を、機械で測定している宇宙人がいるとします。 彼は色々装置の工夫をしてやっと今の空気の振動数は、1秒間に440回で
あることを知ったとします。 ところが私の耳なら、今の振動数は440回だったか445回だったかぐらいなら、一瞬にして判断することができます。

即ち空気の振動は音となって私たちの耳に響きますから、1秒間に440回振動すればバイオリンの上から二番目の弦、ラの音が鳴っているのです。 このラの音は国際標準ピッチで440振動と定められていたのですが、 第二次世界大戦後から少しずつ高くなって、現在ではオーケストラの演奏会ピッチは445になっています。

だからピアノで同じラの鍵盤を押しても440振動に調律してあるのか445に高めてあるのかは響きで認識できるのです。 音を感じなくて、振動数だけを測定できる宇宙人にとっては、この人間の能力は不思議以外の何物でもないでしょう。

人間の思考能力も、 空気の振動数と音現象との関係に似ていると私は思います。高校時代に数学の問題を解いていて思い当たったことなのです。 ひとつの 問題を丁寧に解いて、その論理の道筋が頭の中できれいに整理されると、次に数値は違っていても同じ論理で解ける問題は直感的に 「解ける!」 と判断できます。

この時、私の頭の働きは、数式で、或いは言葉で、ここはこうなって次はこう展開して、 従って答えはこうなるというようには巡っていないのです。

AからB、BからC、Cから・・・と行く論理が、 例えばひとつの色合いとなって浮かんでくるのです。 だから新しい問題を解く時はこの色 (という論理)を足してこの色合いで解ける、 というように進みます。 するとまた新しい色という論理体系を身につけたことになって、次の問題へ一瞬にして応用できる、ということになります。

頭のひらめきが豊かな人は、 何がどうしてこうなるという直感の色合いをた
くさん持っているのです。 だから難問にぶつかった時も、一瞬にしてこうすれ
ばいいと判断できるのですが、 何故そうなのか説明してほしいと頼まれると、
色合いをもう一度言葉に直さなければならないので、 大変な作業を強いらこ
とになります。

ボディートークの体系も同じです。 私の中に、 これはボディートークという色合いがあります。 だから一つの動きや考え方に出会った時、ボディートークの色合いに合わなければ、 それはボディートークではない、と即座に言うことができ
ます。

しかし、それを説明するとなると、言葉の論理を引っ張り出すのに四苦八苦することになります。人は飛び降り自殺をする時に、飛んでから地面へたたきつけられる数秒間に人生の全てを思い出すと言われています。 奇跡的に助かった人がそ
う言うからです。

ひとつの色合い

本部のマンションを改装してくれた大工さんが若い時、 オートバイに乗って
いて車に追突しました。 その瞬間、 体が宙に舞ったそうです。 「俺はもうダメ
ダ」と思った時、子供から今までの記憶が全部よみがえってきて、地面に落ちて気を失いました。

ほんの一、二秒の間にそんなにたくさん思い出せるものかと、 信じられないかも知れませんが、 思い出の連なりがひとつの色合いになっていると考えれば
2、3年がひとつの色になっているのですから脳裡にいくつかの色が次々と現われたと考えれは充分に納得できます。

その意味で、人生のひとつひとつの出来事を丁寧に味わって、ひとつひとつを自分の色として深く身につけたいと思っています。




目を注ぐ、 心を注ぐ

子守歌は歌の原点

♪ ね~むれ ね~むれ 母の胸に
ね~むれ ね~むれ 母の手に ♪

子ぎつねは、そのうた声は、きっと、にんげんのおかあさんの声にちがいない と思いました。 だって、 子ぎつねがねむるときにも、やっぱりかあさんぎつね は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。

これは新美南吉の≪てぶくろを買いに≫ の一節ですが、このシーンを読んでいると、 毎日を慌しく過ごしている自分の息が、スーッといつのまにか清らかで、穏やかな息になっていくのが感じられます。

「子守歌は歌の原点ですよ」 と明先生 がよくおっしゃいますが、それは「私の声キレイ でしょ? よく出ているでしょ?」 とか、 「上手く 歌えているでしょ?」 というレベルのものでなく、愛し子を胸に抱きながら〈目を注ぐ、心を注ぐ〉 母親のあたたかく深い思 いが、そこにあるからなのでしょうね。

● 特別な感覚、感性が冴えわたる時

久しぶりにエンゼルハンズセミナーを大阪で行いました。 このセミナ 一のメインプログラムは、もちろん〈赤ちゃんを抱く手〉。 今回も実習に、こ の中から≪あたたかく、やわらかい手≫を実習しました。

実は、〈赤ちゃんを抱く手〉のプログラムは、10 年前、明先生が糖尿病で入 院され、生命が危ういという状態で、頭が働くのは一日ほんの数十分というよ
うな状況の中で発案されました。

人は、そういう生命が極度に繊細になっている時にだけ感じられる特別の感覚・感性があるのです。 まさに先生の〈その特別の感覚・感性〉で生み出されたものが、 〈赤ちゃんを抱く手〉 なのです。 ですからセミナーで〈あたたかい手や、やわらかい手、 繊細な手、 包む手、 溶ける手〉を伝えさせていただく度に、一日一日を先生がお元気になられますようにと、ひたすら祈りながら看病させていただいたその時のことが思い出されてきます。

● やわらかい手の実習

やわらかい手の実習は、やわらかな直径7cmぐらいのゴムのボールを両手のひらに乗せ、それを投げ上げ、 落ちてくるボールを両手で受け止めるというパ フォーマンスです。 皆さんも、ボールでなくても片手に乗るくらいの軽いものを、手に乗せ、まずやってみて下さい。

セミナーでは、最初に私が「このようにやってみて下さい」と師範し、 次に受講する方達が同じように(?)トライします。実は、これまで数回開催したセミナーで、一回でこの「やわらかい手」 がOKになっ た人は、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。

実は大切なポイントは≪本当の赤ちゃん≫だと思って、 ボールとお付き合いすることなのです。 だって、赤ちゃんを抱く手の実習ですからね。

私は動く時に、
1 ボールを赤ちゃんだとイメージします。 ボールの中に赤ちゃんの顔や目があるとイメージします。

2 投げる前に、「高い 高い~、やってみる?」 とボールに尋ねます。

3 そっと投げ上げ、 落ちてくる時には、なるべくふんわりと真綿の上に落ちてきたと、赤ちゃんが思ってくれるようにと、 全身で受け止めます。

4 手のひらに戻ってきたボールに、「怖くなかった? 楽しかった? もう一
度やってみる?」と尋ね、次の投げ上げを行います。

そうやってボールとお話しをすると、おのずと自分の息はあたたかく、動きはや わらかく変わっていきます。 ボールを投げている私自身が、 いつしか、まるで赤ちゃんになって「高い高ーい」とやってもらっているかのように、 心も体も弾んでくるのです。

● 心を注がれた生卵は···

もうひとつ、生卵立てのエピソードをお話しましょう。短大のボディートークの授業で、 ≪生卵立て ≫をした時のことです。 「必ず卵は立ちますよ。 決し てあきらめず、 信じて立ててみて下さい。 必ず立ちますからね」と言い、卵を渡しました。1時間近く真剣に、 あれこれ工夫をしながら、ツルツルする机の上で生卵を立て続ける学生達。

やがて、 「ウワァ~立った!」 「立った!」 とい う歓声が、教室のあちこちから聞こえ始めました。すると「ア~ッ!」と言う声がしたかと思うと、 突然、 一人の学生が泣きだ したのです。卵が転げ落ちて、割れてしまったのです。

一生懸命、「立ってね、 立ってね、立つよね」 と願い、 祈りながら手を添え、心を添え、関わっていたのですね。授業後の感想には、「自分でも、あんなに悲しいなんて思ってもみませんでした。 割れた卵が愛おしくて、可哀そうでたまりませんでした。心を込めて関わることの大切さを、卵から教えてもらいました」と書かれていまし た。

私は、この学生はきっと素敵なお母さんになるだろうな、と嬉しくなりました。学生達は自分の関わった卵に、可愛い目や口を書き、携帯で写真を撮り、 割れないようにと大事に大事に卵を持ちかえっていました。 微笑ましい光景で した。

ボールも卵も、 そこに≪目を注ぎ、 心を注ぐ≫と、まるで、 《生命がそこに あったかのように変化していく≫。 自分の心や体が、繊細にやわらかく、あた たかく変化していくその喜びは、クリスマスツリーにつけた星あかりが、 スイ ッチを入れた途端にきらきら輝き始めた時、「あ、嬉しい」と感じる、あの感 動と似ているように私には思えます。
今年も一年が終わろうとしています。 一年間頑張ってくれた、 もの、 人、そ して何より自分の生命に改めて心を注ぎ、「ありがとう!!」 と言ってあげま しょう。
Merry Christmas!! Happy New Year!!




真実の姿はどこに

黒沢明監督の凄さ

学生時代の一時期、私は脚本を書くことに夢中でした。テレビ局に就職をしてドラマを作りたいと思っていました。 だから脚本片手に映画もよく見ました。 すると映画監督の腕がよく分かります。脚本通りに作っている人と、脚本を超えて内容をふくらませている人とがあります。

感服したのは黒沢明監督です。 例えば 「椿三十郎」の始まりは、脚本では素浪人が遠くから歩いて近づき、アップになったところで、 タイトルを出す。というようになっています。ところが、黒沢監督は素浪人の歩く後ろ姿で、それも大きな刀を肩に乗せて、肩から上だけをアップにして始めました。

椿三十郎に扮する三船敏郎がズンズン歩くので、 画面は上下に揺れます。 観客はまるで三船敏郎の背中におぶさって前方を見ているような錯覚に陥ります。

力強く歩く音楽に乗せられて、観客は始まりから主人 公の背中のぬくもりを感じ頼もしく思ってしまいます。そして三船敏郎がほどけかけた後髪をボリボリと掻くところで、タイトルが堂々と出ます。
脚本をあらかじめ読んでイメージしていただけに、 始 まりから強烈なショックで、あとは夢中になって観たのを覚えています。

その黒沢監督の作品に「切腹」 という名画がありました。 江戸時代も中期になって戦さがなくなり、職につけなくなった武士の悲哀を描いた作品です。
ある武家屋敷に一人の浪人が訪れ、武士として人生を送れないことを嘆き、切腹 をして完結したい、 ついてはお庭を拝借したいと頼みます。

屋敷の主はその武士精神に感心をして、切腹するには及ばないと何がしかの金子を与えます。 その話が生活に困窮している浪人たちに伝わります。 そこで浪人たちは、次々と武家屋敷におしかけ、切腹したいと申し出ては金をせしめることに味をしめます。

そのような風潮を苦々しく思っている、とある武家屋敷の出来事で気の弱そうな 若い浪人が切腹をしたい、と訪れます。 家族に食べさせる明日の米がなくて、 窮余の策でしたが、 浪人の予測に反して主はどうぞと庭に招き入れます。 申し出たからには切腹をしろ、という訳です。 浪人の刀が竹ミツであることを見越してのこと です。 追いつめられた浪人は、竹ミツで自分の腹を突き、無残な死を遂げます。

刀を命と考えていた古武士の老義父は、三船敏郎が扮しているのですが、やはり 傘のノリ付けの内職をしている浪人です。 娘ムコが刀を売ってまで家族を支えようとしていたことに愕然とし、悟るところあって武家屋敷に乗り込みます。

主は、切腹したいのならどうぞと庭に招き入れますが、 老義父は本物の刀を前に、 自分の愚かさを恥じ、竹ミツの浪人を武士の名のもとに、切腹させることこそ 武士道に反することではないかとなじります。 そして主のマゲを切り取り、 暴れまわり屋敷の奥座敷に恭しく飾ってあるよろいカブトの前で古式通り切腹をし、壮絶な最後をとげます。

物語はそれで終わりですが、 黒沢監督がその後にちょっと付け足したシーンが素
晴らしい。 庭そうじをしているおじいさんが、後始末をしながら落ちているの マゲに気づき、 ひょいとつまんでゴミ箱にボイと捨てる。 その場面に武家日誌をつけている主の声がかぶさります。 「本日の午後、 浪人が訪れる。 何事もなかった」と。

私はこのラストシーンを観た時、 歴史の文献は表面を鵜呑みにしてはいけないのだ。その時代背景、書いた人、書かれた状況から、その奥に潜む真実を見抜かなければならないのだ、と痛切に感じました。

ステレオグラムという、平面的な絵が左右の目の焦点をずらすことで、立体的に見える見方が数年前に流行しましたが、本音をさぐるということは、このステレオグラムに似ています。 この絵は目の焦点を合わせて普通に見ますと、 模様がゴチャゴチャとして何だかよく分かりません。 ところが絵のもっと奥の方をみるようにしてボンヤリと絵を見ると、 模様の中から例えばウサギだとか、 ハートだとか、 文字だとかが立体的に浮かび上がってきます。

ボディートークでは言葉の奥に潜む息こそが、本音を表すと言っていますが、言 葉の表面上の意味だけにとらわれていれば、本音は見えてこないということです。画家が描く対象を目を見開いてしっかりと見るというよりは、 半眼にして、より深い姿を見ようとするのも同じことです。

映画も、そのものだけを見ていれば、 私はひょっとして黒沢監督の凄さに気付かなかったかもしれません。 脚本にちょっと目を通すだけで、 黒沢監督が意図するものがより鮮明に見えてくることが面白く、 私はそれからは意図して、物事の奥にあるものが何であるかを見るようになりました




知恵をしぼるには?

♪ もういくつ寝るとお正月~ ♪

しぼる・ひねると力が出る?
今年も残すところわずかとなりました。お正月の準備はいかがですか?ところでお正月に飾られるしめ縄は、何本ものワラをよりあわせ作られていますが、 誰がどこでいつ頃からこういうことを始めたのでしょうね。 縄をなうという知恵は、植物たちのツルを見て、人がここからヒントを得たのでしょうか?人 間の知恵はたいしたものです。

体も筋肉をより合わせ、ひねると強い力を出せることを無意識に知っていま す。例えば、ウンコが固いと「ウーン」と声を出してキバリ、 自然に身をよじっています。これは教えられなくても、誰もがやっていることです。

ところが、 昔は生活の中に必ずあった洗濯物や雑巾を絞るなどの動作は極端に少なくなり、それに代わって軽いタッチで、しかも手先だけでトントンとかスーとか、パソコンやスマートフォンなどを操作する動きが圧倒的に増えてきています。

実は、手先・足先を細やかに、しなやかに動かす様々な動きは、 脳を活性化するにはとても効果のある動きなのです。水道の蛇口もひねらないで手をかざせば水が出てくる時代。 子どもの脳はどうなっていくの? 《身をしぼらないと、 ひねらないと知恵もしぼれないし、ひねり出せないよ ! ≫と危機感を感じている人はいるのでしょうか?

私の家には今も洗濯機はありません。90歳になる母も、洗濯物は手で洗い、手で絞ります。 驚く人もいるかもしれませんが、これが素晴らしい効果につながったお話をこれからいたしましょう。

10年前、明先生が糖尿病で右足先からバイ菌が入り、生命が危ないと言われ、入院された時のことです。その手術をするのにも体力が落ちているので、少し体が安定してからとなりました。 それでも日毎に足は更に腫れていき、 病室には死臭が漂っていました。切断することになっている足は、ただ1日1 回、消毒液につけ洗浄するだけの処置でした。

その足が、 まさか生き残れるとは医者達は考えていなかったのです。でも私はどうにかしてその足を守りたい、 切られるのであっても最後まで大切にしたい、その一念でした。
救急病院ですから、付き添いはできない ルールでしたが、必死のお願いで特別に簡易ベットを入れ、泊り込みの看護が許されました。そして更に私は、「洗浄回数を増やしていただけませんでしょうか?手が足りないようでしたら、代わりに私にやらせて いただけませんでしょうか?」と懇願しました。

主治医の計らいで、これもまた異例でしたが日に3~4回の洗浄をすることができるようになったのです。 洗面器に消毒液をたっぷり入れ、右足をその中に入れます。 病院の処置は数分つけてそれで終りですが、私の手はその足をつけた時、先生のふくらはぎを両手で包むように持ち、 クルクルとまるでコヨリをよるような要領で、中の膿を搾り出す動きを始めていたのです。

何故そうしたのか自分でも分かりませんが、 自然にその動きが出てきたので す。するとたちまち足の膿が次から次へとあふれ出てきて、あっという間に洗面器が真っ白な膿でいっぱいになっていったのです。

こうして丁寧に、時間を かけてやり続けました。そしてその後のウジ虫療法が始まっても、この方法で 足の腐っていく速度を緩和させることができ、一方ウジ虫達は、せっせと腐りかけのところの肉を食べて、新しい肉を再生してくれたのです。その結果、右足は切断することなく、 今先生は、しっかりと自分の二本足でたち、歩くことができていらっしゃるのです。 私は今でも、 洗濯物を絞る度にその事を思い出し「よかったなぁ~」ってニッコリ顔になります。

今年も元気で一年を終わることができそうです。暮れの大掃除、気持ちよく雑巾を絞り、部屋も体も心もスッキリしてお正月を迎えたいと思っています。
(来年はこのしぼり、ひねり効果を使っての体ほぐしセミナーも企画する予 定です)では、皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。




恐がるのもひとつのチャンス

お化け大会がキッカケに表現の道がついた Iちゃん

毎年8月には2泊3日の子供ミュージカル合宿を行っています。 子供たちは広い体育館で一日中 歌い、踊り、夜通しおしゃべりに花が咲いて、気 がつくと夜明けけ、という元気いっぱいの内容です。

その中でも子供たちが楽しみにしているのが、 お化け大会です。 お化け役の中高生たちは夕食もそこそこに森へ準備に出かけます。 火の玉がとぶ仕掛けや、おどろおどろしい飾り付け、髪の毛をふりみだしたユカタの女おばけに蛍光色のお面をつけた走るユウレイ等々、 いろんなアイディアが盛りだくさんです。

外が少し暗くなった頃に、他の子供たちは懐中電灯と虫除けスプレーを持ってスタート地点に集合します。 そこで全員の懐中電灯を集めます。「ええーっ、 真っ暗の中を行くの?」と叫び泣き出す子供もいます。

何しろ森の一本道は明かりが全くないので道の区別すら つきません。そこで懐中電灯を道端に置いていって道しるべとするのです。

三人ずつ三分間隔で出発しますが、 先に私が怪談をし「骨と皮の女」の歌を聞かせてムードは作ってあります から、もう泣きながら出掛ける子供もいます。 あんまり恐がる子供はオンブしていきますから、リーダーのお姉さんたちも大変です。
ある年、 こんなに子供を恐がらせるのは良くないのではないかと考えました。 お化け大会はもうこれっきりにしよう。 私は気の進まないまま、スタート地点で子供 たちを送り出していました。

その中に小学5年の1ちゃんがいました。 Iちゃんは1年生からずっとミュージ カルに出演をしていましたから、 お付き合いは長いのです。 しかし、 人前ではほとんどしゃべりません。 しっかり者なのですが、 舞台での表現はあるような無いような、無愛想に突っ立っているという感じです。

ところがその夜は様子が違っていました。 一緒に出掛ける友達と 「お化けなんか恐くないもん。 やってきたらたたいてやる!」と強い口調で言い合っています。 その声は恐がってビクビクなのですが、 必死に強がっているのがほほえましい。

あとでお化け役に聞いたのですが、 I ちゃんたちは大声で歌いながらやって来て、 ギャア ギャア叫んで、 すごい反応ぶりだったようです。
すると翌朝のミュージカルの練習で1ちゃんは変身しました。 積極的に声は出す し、踊りもよく動けているのです。

いつもは後ろの方で踊っていたのですが、 どんどん前に出てきます。 これはお化けで心がふっ切れて、表現の道がついたな、と直感しました。

Iちゃんほどの変身ぶりでなくても、気が付くと自分を出すようになっている子 供たちがちらほら見うけられます。 お化け大会のいい意味でのショックを契機として、互いに親しくなったり、ふざけ合ったり、言いたいことが言えたりしてくるのです。こういう子供たちのためにお化け大会も大きな意義がある、と私は考え直しました。

表現の道は何をきっかけとして生まれてくるのでしょう。 人にもよりますし、時期もあります。 しかし表現の道をつけようと意識すれば、 チャンスは幾らでもあるものです。ただ偶然を待っていると、 そのうちに人生は終わってしまうかもしれません。 少しだけ積極的に行動をしてチャンスをものにしたいですね。

ボディートークでは声を出しながら体の内部を揺することを原則としています。 ところがふと気付くと声が止まっている人が多い。 これは精神的なところに起因しま す。声を出すと自分の内部が表れるのです。 正体が出てしまうのです。 それで無意識の中で口をつぐんでしまう のです。

日頃から自分を隠そうとしている人は、無意識に息をつめています。 詰めているから気楽に声が出せない。 パーティなんかでゲーム的にボディートークを行うことがあります。

そうすると、 格好をつけている男性は「こういうことは苦手でね」 と会場をそっと抜けます。 特に人前で胴ぶるいなんかをすると格好がつけられなくなるからです。まして 「アー」と言いながら行う と心まで丸裸になる感じがするのでしょうね。

表現の道はつけなくても生きてはいけます。 しかし折角授かった一度きりの命ですから、私は充分に心も体も頭も活かして創造的に生きたいと思っています。 ボディ ートークはそのような弾む生命の中から必然的に生まれてきたのです。 表現の道へ のチャンスを逃がさないためにも、声を出しながら体を揺することを是非心掛けて下さい。




どうして涙が出るの?前回の続き

● 自分で自分の心や鍵を開くには、ちょっと練習が必要です。

もちろん、この自分で行なう心ほぐし・体ほぐしとしての《あったかハンド》最初はなかなか反応が表れず難しく感じますが、諦めず繰り返して下さ い。徐々に上手になってきますから。コツは、ぬくもりのある手でそっと置くこと。出来るだけ赤ちゃんに語りかけるように、優しく暖かい息で自分の心に声かけをすることです。

声を発することによって、自分の暖かい息が自分の体を包んでくれるからです。反応のない人の中には、自分では 気づかないけれど、もう失感情症や失体感症のレベルまで進行していっている人もいます。

そんな時にはボディートークのブライベート・レッスンを是非受 けてみて下さい。

● 卒業していくあなたたちに贈る言葉

私はかつて、30年近く短大で女子学生の教育に携わってきました。3月には卒業していく彼女達に必ずこの言葉を贈っていました。「これからあなた達が歩いていく人生には、いくつもの困難があるかもしれません。そんな時、これだけは忘れずに思い出して欲しい。自分の生命の灯を自分の息で暖かく灯し続けて生きていって下さい」と。その、これだけというの が、《ボディートークあったかハンド》なのです。

● コウノトリさんにもお願いしたいこと

自殺する子どもは必ず胸椎3番を詰めています。その子らは自分の痛みを誰にも分ってもらえず、自ら自分の生命を絶っていきます。親にとって“我が子 が生命を絶つ”こんな悲しいことはありません。母親になる人は、我が子の死にたいほど苦しい息づかいに気づく力を持っていて欲しい。 これが私が短大教育の中にどんなことをしてもボディートークを入れていきたいと願った理由で した。(その夢は見事叶いましたが・・・)

誰にでできる簡単な方法の《あったかハンド》。今はできることなら、全世界の妊婦さんにも伝えしておきたい・・・と、夢は膨らみます。みなさんもお知り合いのコウノトリさんに《あったかハンド》を伝えてはいただけませ んでしょうか? どうぞよろしくお願いします。

<ボディートークあったかハンド応用編>

● 胸元をふんわりと包む工夫をしてみよう!

先月号に続いてのあったかハンドの紹介をしましたが、プライベート・レッ スンなどで胸椎3・4番を詰めていらっしゃる方にあったかハンドとともにこんなアドバイスをすることがあります。

それは胸元を《ふんわりとしたもので包んであげる》ということです。あっ たたかハンドを胸の上に重なるような感覚で、女性であれば絹や毛のふんわりとした素材のスカーフを胸元に重なるようにして装うのです。男性であればアスコットタイなどもお洒落ですし、胸もああたかです。外に装いが見えるのを好まれない方は、 服の下にふんわりとしたスカーフを置くのです。

自分の身は自分で守るという意識を持つあったかハンドは、とても効果的ですが、いつも両手を胸に重ねたままで生活することはできません。ですからその代わりにふんわりスカーフをするわけで す。

いずれにせよ、胸椎3・4番が温かくなり、息が楽になるというのは効果のひとつですが、《自分で自分の身をいつも守り続けていてあげる》ということを意識し、それを積極的に行動に移していくことが大切です。このアドバイ スを実行された方から「息が楽になりました」とか「自分にも他の人にもやさしくな ったような気がします」という報告をいくつも受けています。

でもこんなことをしなくても、日本の着物を着るだけで私達の胸元は幾重にも重ねられた布であたためられ、体全体がすっぽ りと包まれるのですから、こんな生命にやさしい装いを見直して、生活の中に取り入 れる工夫もいいかもしれませんね。




どうして涙が出るの?

● カウンセラーの胸の痛み

かなり前になりますが、毎年夏の終わり頃になると、音楽家、舞踊家、医者、カウン セラーなど、様々なジャンルの人達が集まってボディートーク・ロンドンセミ ナーを開いていました。増田先生のボディートーク流英語(時々は大阪弁も 交えて)でのセミナーは大好評で、いつも会場には笑い声が絶えませんでした。

セミナーの終わりに、そっと私の傍に来て「この頃胸の辺りが苦しく、何をしても気持ちが晴れないのです…」と、暗い声でつぶやかれた女性は、ロンドンでも有名なカウンセラーと評判の方でした。そのもの静かで理知的な顔立ちのEさんは、「家へ帰り一人になると、もうグッタリで何だか悲しくなってくるのです」との事。

「それは大変ですね。沢山の方々の悩みを、相手の身になって立て続けに聞いていかれるお仕事ですから、そのつど相手の方の苦しい息が、あなたにも伝わってきているのかもしれませんね。気づかない間にあなたの息も詰まってきているのではないでしょうか。そんな方におすすめしている方法がありま す。一度試みてみられますか?」と尋ねながら、《ボディートークあった かハンド》の説明をさせていただきました。

● あったかハンドの方法

① 自分の両手に「ハァー」と暖かい息をかけながら、しっかりこすり合わせ暖めていきます。

② 暖かくなった両手を、胸椎3番の胸側に重ねて、そっと置きます。

③ 手のぬくもりが体の奥に染み渡っていくイメージをえがきます。

④ そして「悲しかったねぇ~」とか「言いたいことが言えなかったねぇ~」などと、自分に優しく声をかけながら 語りかけます。

具体的に説明をしながら「このように、ふんわりとそ~っと置いて下さいね」 と、まず、私の手を彼女の胸に置かせていただきました、するとEさんの口から「フーッ」とため息が漏れ、それと同時に全身を緩み始め、やわらかくなってきたのです。

「このまましばらく暖め続けてみましょうね。一緒に 『悲しかったねぇ、辛かったねぇ、よく頑張ったねぇ』と声に出しておっし やって下さい」と言っているうちに、今度は彼女の目から大粒の涙が流れてきたのです。「不思議ですね。泣くつもりなど全くなかったのに、こんなに涙が出てくるなんて」と、自分の体の反応に驚かれ、ボディートークの体ほぐしの仕組みに感動されたのです。

手をあて、もう一度《あったかハンド》をされていると、涙がとめどなく次から次へ溢れてこられていました。そして、帰り際にはすっかり別人のようにスッキリされ、ほほえみを 浮かべたEさんになっていらっしゃいました。

● 赤ちゃん育て一年生ママの心と体

自分では何ともないと思っていても、E さんのように《あったかハンド》をやってみると、胸のところに異和感や痛みを感じてきて、「エーッ!どうして 涙が出てくるの??」と驚かれる人は、出産後間もない赤ちゃん育て中のお母さんに特に多いのです。

10ヶ月の妊娠期や生死をかけての出産と、心と体の大変化をようやく通過したのに、ホッとする間もなく、疲れを回復しないままに授乳、家事が待っている。そんな赤ちゃんを育てる一年生ママの生活は苛酷です。

昔から母親になる人は誰もが通る当たり前の道とはいえ、あまりの辛さ、 痛さに「泣きたいのは私の方よ!」と叫びたい時がいっぱいあるはずです。で もその辛さを誰にも言えずに一人じっと我慢し、毎日を過ごしている間にママは強くなって(?)いくのですが・・・

その強さは、悲しみや苦しみをなるべく自分では感じないように内に押し込め、《心や体に鍵をかけている》状態でもあるのです。ところがそれが暖かくホッとする手のぬくもりと自分の心をそのままに分ってくれる暖かい言葉(息 づかい)に包まれると、閉じていた鍵が開いて日頃押し込めていた感情がドッ と泉のように溢れてきて、ため息や涙が出てくるのです。

すると辛い状況 は変わらなくても心と体も楽になり、元気さが戻ってくるのです。こうして 《心と体の鍵をほどき息を楽にすること》は、ママの心や体のためでなく赤ち やんのためにもとても大切なことです。ガマンが限度を超えてくると、《マタ ニティ・ブルー》が重い症状となって出てきたり、時には《赤ちゃん虐待》へ と繋がっていくこともあるからです。(次回につづく)