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積極的に目のリラックス!!

コロナ旋風で4月から始まったボディートークのオンラインレッスンですが、今では全国の会員さんがラインレッスンを楽しんでくださるようになってきました。10年前までには考えられなかった方法です。学校でも家庭でも、オンラインが常識になりつつあります。

でも、1時間から2時間のレッスンでタブレットを見続けていますと、けっこう目が疲れているのです。目の疲れをとるためには、眼輪筋やまわりの筋肉を小まめに動かして毛細血管の流れをよくする必要があります。そこでお勧めなのが、目の運動です。

● 目の「チラッ・ン・パッ」
①顔を正面に向けたまま、右横に立てた指を3回チラッ・チラッ・チラッと見ます。
②目玉を正面に目を閉じます。「ン」

③正面に大きく目を見開き、口も開きます。「パッ」

声とともに威勢よく行って下さい。左横目、上目、下目、グルッと右へ3回まわして「パッ」、左へ3回まわして「パッ」。最後に首をウワァ~と言いながら右へ一回転、左へ一回転、仕上げはパシパシパシッと何回か瞬きします。よくやったという意味の目による拍手です。

目の筋肉をリラックスさせることと、毛細血管の血流をよくすることで眼精疲労を解消する、抜群の「瞬間マメ体操」です。

(バリ島のケチャックダンスの踊り手たちが目の表情を豊かにするために行っているレッスンをヒントに考えました 。)           

☆ 目の「チラッ・ン・パッ」運動の方法 ☆ 

I 右横 

・顔の右側の目の高さで、人差し指を立てる。 

「チラッ・チラッ・チラッ」と立てた指を見る。 その時、顔は正面を向いたままにしておく。 

・一回ごとに、目を正面に戻して、「ン」 (軽く目を閉じる)そして、「パッ」と 目と口を大きく開く。 

Ⅱ 左横 

・左側も上記と同様に行います。「チラッチラッチラッ」 から「ン」「パッ」まで目の筋肉を細やかに使います。 

III 上 

・上にも行います。「チラッ・チラッ・チラッ」「ン」「パッ」 

Ⅳ 下にも行います。「チラッ・チラッチラッ」「ン」「パッ」 

V 目玉まわし 

・正面を向いて目を見開いたまま、右へ3回、左へ3回、目玉をグルンと回す 

Ⅵ  首まわし 

・首の筋肉をほぐしましょう。「ウワァ~」と声を出しながら、大きくまわして 

下さい。 

Ⅶ まばたきをする ・仕上げに「よくできました」と目で拍手をしましょう。 まぶたをパシパシパシと素早く瞬きをします。




声のかけ橋ってなぁに?

●《虹のかけ橋》って知っていますか?

大空いっぱいにかかる七色の虹を見た時、「わぁ、すごい!」「きれい!」と思わず叫びたくなりますね。すぐに消えてしまいますが、消えた後も「あ~、幸せ」というような気持ちに満たされていた、という体験をお持ちの方も多いと思います。そんな思いを増田先生はバイオリンの基礎レッスンの中に取り入れて下さいました。《虹のかけ橋》という方法です。

それを簡単にご説明いたしましょう。《虹の架け橋》
太さの異なった四つの弦を、順に太い方から細い方 へ、また細い方から太い方へと上下に弓を動かし続けます。すると四つの弦が互いに共鳴し続け、その音が重なりあって、まるで虹のような美しい共鳴音を奏でていくという方法です。

この練習を数人で一緒に行なうと、さらにその音が響き合い、その響きに全身がたっぷり包まれ、ふんわりと暖かくなっていくのです。それにこの練習をすると、初心者なのに何だかとてもバイオ リンが上手になって名演奏家になったような気分になれるのです。

《声のかけ橋》をやってみると… これにヒントを得て《声のかけ橋》というパフォーマンスを考えてみました、ご 紹介いたしましょう。

●《声のかけ橋》のレッスン

① 2人向かい合って座ります。まず、2人同時に相手に向かって「おはよう
ございます」と、声をかけ合います。(この時は普段あなたがやっている方法
で、声をかけてみて下さい)

② 今度は自分の両手のひらをこすって暖め、そこに「ハァ~」と暖かい息をかけてみます。

③その声で、2人同時にまた向かい合って、「おはようございます」と言 ってみます。その時自分の暖かい声を、互いに相手の口の中にフワァ~ンと まるで「美味しい食べ物をどうぞ!」というイメージで運びいれます。お母さんが赤ちゃんに、スプーンでそっと食べ物を口に入れてあげている感じです。

(※相手に声をプレゼントする前に、一度自分でもその声を食べ、美味しいかどうか味わってみることが大切なポイントです)

④3までの練習がスムーズにいくようになりましたら、今度はお互いに「ちょ うちょ~」の歌を歌いながら、やはり美味しい食べ物を次から次へ、相手の口の中にプレゼントするつもりで歌い続けます。(好きな歌であれば何でもOKです)

⑤このようなイメージでしばらく歌っていると、お互いの声がやわらかく溶け 合い、いつも間にか二人の口と口をつなぐ「声のかけ橋」が出来上がっていくのです。心と体がふんわり暖かくなって、目には見えないのですが声と声がひとつにつながっているという不思議な感覚です。

●赤ちゃんとお話しをする時には…..

ボディートークマタニティや子育ての教室で、私は妊婦さんや赤ちゃんとお話する時には、この「虹のかけ橋」でお話するよう心掛けています。赤ちゃんの小さな口の中に、自分の言葉をそっとやわらかく入れていく。また赤ちゃんの発している音を「この口の中にどうぞ!」とやさしく誘うように自分の口の中に入れ、 それをまた赤ちゃんの口の中に返していくのです。

こうしてお話していると、とても楽しくなっていつまでもお話したり、歌い続けたくなってしまいます。そして気づくと《《声のかけ橋》が《夢のかけ橋》になっていくのです。

●美味しい言葉の交換は赤ちゃんの栄養

ところで「赤ちゃんが育っていくのには、何が必要でしょうか」と問われたら、 誰もが「おっぱい」と答えますね。それから暖かいスキンシップも、もちろん大切なものです。そして《美味しい言葉の交換》は心や体、そして脳の発育の為には欠かすことの出来ないものなのです。

ここでちょっと《交換》というところに注目してみましょう。赤ちゃんは食べ物を自分ひとりで探して食べることが出来ないのですから、与えられるばかりになります。『声』は自分の意思を伝えるものとして、生まれた時から相手に投げ掛けているのです。ですから赤ちゃんは、《言葉》を一方的にあげるばかりでなく、赤ちゃんからのメッセージを喜んでもらってあげる、という姿勢がお母さんや周囲の人達にあると、赤ちゃんは次から次へと自分から相手にメ ッセージを送り続けていくことが喜びになっていくのです。

そしてその喜びが赤ち ゃんの心の栄養にとなっていくのです。このことは赤ちゃんだけでなく、もちろん私達が幸せに生きていくには、一生必要なものなのです。《《声のかけ橋》は、 バイオリンが私にくれた素晴らしいプレゼントでした。

増田先生は、「声は心と体を結ぶかけ橋ですよ」と、ボディートークで教えて下さいましたが、バイオリンの四つの弦が互いに美しく響き合う《虹のかけ橋》のように、人と人のやわらかい声が響き合い、暖かい心がつながっていく、そんな「声のかけ橋」を一度、あなたもかけてみられてはいかがでしょう?きっと、また新しい発見があるかも知れませんよ。




タコ踊りで人に任せよう

手を下から差し出す人は、相手に対して優位に立とうとしている。あなたの面倒は私が見ましょう、という意味だ。リードは任せなさい、 という無言のメッセージでもある。

人に対してよく気のまわる世話役タイプの人は必ず下 から手を差し出す。世話をする習性が身に付いているの だ。
こういう人は何かの集まりがあっても、すぐ机やいすを準備したり、お茶を入れたりする。有り難い存在だが、時には面倒の見過ぎでわずらわしいこともある。

手を上から差し出す人は、あなたに従いましょう、という意思表示である。リードはあなたに委せましたよ、という意味である。
何でも人にやってもらって、それでいて憎めない人がいる。甘え上手で、かつて述べ た<ウムネ>の柔らかい人である。こういう人は必ず手を上から差し出す。
会合であっても、人が準備するのをニコニコして見ている。お茶を出されたら「あり がとう」とすかさず感謝の言葉が出る。それでついつい人は世話をしてしまう。

二人で手を差し出した時に、同時に下、あるいは同時に上ということもある。この場 合は差し手争いがある。勝負は一瞬にして決まるが、自分の差し手を取った方が、我欲が強かった人である。
勝負がつかなかった時はどうなるか。互いに右手が上、左手が下のように、チグハグ に握り合う。でも、このケースはめったにお目にかからない。

「タコ踊り」は手を下から取っている人が相手の両腕を振ってあげる。振ってもらう人は「アー」と柔らかく、小さな声を出し続ける。肩や肘が脱力していると、両腕は自由自在に動かせるので、まるでタコの足のように柔らかくしなやかだ。そして振ってあげている人が手を離すと、相手の両腕は重くス トンと落下する。

腕に力の入る人は、持ってあげると軽く感じる。本人が自分で腕を持ち上げているからだ。こういう人は手を離しても、腕はそのまま持ち上がっている。気遣いの激しい人は肩に力が入っている。そういう人の両腕を振ってあげると、自分で腕を動かしてしまう。本人はそんなつもりはないのに、無意識の中で、相手に悪いと思って自分で動かしてしまうのだ。

一事が万事、その調子だから、人の中で緊張し続け、 家に帰るとドッと疲労感が押し寄せてくる。「タコ踊 り」で自分の習性に気付き、脱力ができるようになる と、人に気持ちよく身を委ねることができるようになる。

一人に仕事を頼んでおきながら、任せきることができなくて、始終イライラとその進行状況を気にしている人がいる。そういう人も肩に力が入っている。

ところが「タコ踊り」で脱力の感覚がわかってくると、人に仕事を任せられる心境が生まれてくる。体の感覚は精神構造でもあるのだ。
さらに肘に力の入る人は意地っ張りである。頑固一徹、自分の主張を曲げない人は 腕を振ってあげようにも、固くて動かしようが ない。そういう人は両手をダランと降ろしてもも らって、片手ずつ、下からブラブラと振ってい く。力が抜けるほどに次第に上へ持ち上げて動かすといい。肩肘張っては、とかくこの世は住みにくい。




「好きよ」の声に外息と内息がある

人間の社会には本音と建前がある。人は言葉で意志を伝達するから、会話は言語によって成立すると思 われがちだ。しかし実際には言語的要素もさることなが ら、非言語部分のコミュニケーションの要素の方がむし ろ大きいと言っていいだろう。

そして言葉は建前を表現
本音はその言葉を発した息に表れる。言葉という建前と息、すなわち声という本音と言葉が一致がしていれば素直な表現であるし、 建前と本音とが別々の時には、色々な問題が生じる。

例えば「ありがとうご ざいます」と言ったとし よう。立て前は感謝の意であるから、本当に感謝していれば息は暖かくなる。 すなわち暖息でこの言葉が発せられたら、本人は 心から有り難く思っているのだ。 ところがこの言葉が冷たい息で言われたとしよう。 すると本音としては相手を拒否しているのだから、建 前でお礼を言っても本心はちっとも感謝していない。

よくある例だが、お店を入る時などに「いらっしゃいませ」と丁寧にあいさつでされる。暖息で言われると客としては嬉しく感じるが、冷息だと、なんだ歓迎され ていないな、と直感して嫌な感じになる。いんぎん無礼とは、言葉遣いは丁寧だが声が冷たいことを言うのである。

接客マナーを徹底させようとして、「ハイ、かしこまりました」とか「まことに申し訳ございません」とか朝礼などで大声で練習いる会社をよく見かけるが、本音の息に留意しないと言葉だけがツルツルと出て、 声は誠意のない単なる掛け声となりがちだ。

そんな声で、実際に客とのやり取りで店員はマニュアル通りに行っているの に「態度が悪い」と客に納得してもらえない。本音の息は無意識のうちに相手に伝 わるから、トラブルの原因は声の冷たさにある。
正に本音の息によってその本意を判断しなければならない。こういう作業を我々は 無意識の中で何となく行っているが、息の見方をマスターすれば相手の本心をさら によく理解することができる。

「あなたが好きよ!」と告白されたとしよう。この場合は本音の息が外息 であるか内息であるのかを注意しなければいけない。外息とは前回述べたように、声が「オーイ」と外へ向かって出ていく時の呼吸の 仕方であり、内息とは自分に向かって「オイ」と呼びかける時の息のあり方である。 内息の場合はミゾオチを中心に呼吸筋が縮むから、逆にミゾオチを指で押さえて、 その位置に息が集まるように発声すれば内息となる。そして「好き!」という声が外息であれば、ほんの軽い好意の表明であるし、内 息で告白されれば、深く心に感じて言っているのであるから、愛が芽生えているの′である。

「好き!」という言葉はもちろん暖息であること が前提であって、その内息が熱ければ熱いほど愛す る気持ちは深い。もしもこの言葉が冷息で発せられたら、「あなたのこと大嫌い!」という憎しみ の表現である、と悟らなければならない。

もう一例述べよう。妙に声が高い調子でペラペラ しゃべる場面に出会ったら、それは本当のことを必死になって押さえ込もうとする息である。心の奥に
湧き起こる感情が本音なのであるが、それを隠そう とすると、息を押し殺すのにエネルギーが要る。そのエネルギーが声を高くするの である。

猫なで声もその典型である。本当は別の強 い欲求があるのに、それを覚られないように 相手のご機嫌をとる時の声である。上品ぶった女性達の会話が妙に高くなるのは、その辺の事情もあるのだ。




心の天気図で 危険を回避!?

●お元気ですか?

「お元気ですか?」と尋ねられると、たいていの人は「ハイ!元気です」と 答えてしまいます。英語でも「How are you?」と聞かれると、すぐに「Im fine!」と言ってしまいます。でも私はボディートークをするようになって答え方が変りました。体調の悪い時は「うーん、ちょっと今日は元気じゃないの」とか、「ちょっと辛いの」とか言えるようになったのです。
ボディートークが身につくと、「あー」と声を出してもらえば相手の体や心 の状態が分かるようになってきますが、ボディートークを知らない人には、こ れは無理なことです。

●今日の元気は?

おおまかには、自分の体調がとても快調・普通・不調ぐらいだったら、誰でも 分かるはずです。そこで私は幼稚園や子育てのセミナーなどで、先生方に次のような提案をよくします。、

朝の子どもの健康のチェック
「おはようございます! みんな元気? 『今から自分の心の天気を言ってね』と
一人ずつ名前を呼びながら尋ねてみてくださいねと。 でもまずは、今日の先生の天気を子ども達に伝えるのが先ですよ。」
「今日はちょっとイヤなことがあったから、心の天気は曇りで~す」とか。
しばらく続けていると、最初は戸惑っていた子どもも、「雨で~す」とか 「カミナリ注意で~す」とか、少しずつ言えるようになっていきます。

●天気予報は役に立つ

実はこの方法は、ボディートークを知ってから、私が短大の授業の時によく
使っていたやり方なのです。自分が不調だと、普段気にならない学生の行動が
やけに腹立たしく感じることがあったからです。ですからそんな時は前もって、
「今日の私の心は大嵐です。皆さんも怒られないよう注意していて下さいね」 と、予報を出すようにしていました。だって、普段と同じ行動をしているのに、 その日に限って、突然怒られたなんて学生が可哀想ですから・・・。

保育園や幼稚園でも、朝からお母さんの虫の居所が悪くて、叱られて悲しい 思いをしてきている子どもは、ちょっとした事に傷つきやすくなっています。
もしその子の心の状態が分かっていれば、心掛けてやさしくもしてあげられま す。お友達もその日は自分の大好きなおもちゃでも、優先的にゆずってあげようと優しい気持ちになれる子もいるはずです。

自分の体調や感情を、素直に、客観的に言葉にして相手に伝えれることは、 自分の身を自分で守っていく力や相手とのコミュニケーションを豊かにしていく力のベースを育てていくことに通じると思うのです。

お母さんの心の天気は? 子育てでも心の天気予報は役に立ちます。「お母さん、今日はちょっと朝から頭が痛いの。お母さんの心の天気はうす曇」と聞いておけば、子どもも 「あ。欲しいものをおねだりするのは別の日にしよう」とか、自分の感情のコ ントロールするのにも役立つはずですし、お母さんを思いやる心も生まれてくるはずです。

天気予報は災害などを防ぐためにも大切なもので、前もって分かっていれば、避難もできる訳ですからね。
ちなみに増田先生の心の天気は、一年中ほとんど変わることなく、毎朝、日本晴れ!! 明るい声で「おっはよう! Good morning!」。子どもの頃か らず~っと「いつもごきげんアキちゃん」だったそうです。元々、体が元気で あったこともあるでしょうが、晴れの方が気持ちいいから自分でも努力してあったのでしょうね。自然で清々しい声です。

●心の天気図って知ってる?

ところでお天気といえば、子ども達は今でも遠足の前の日になると、♪てるてる坊主てる坊主 、あ~した天気になぁ~れ♪ と歌いながら、窓際にてるてる坊主を下げています。残念ながら、天候を願い通りに変えることは誰もできませんが、心の天気を見事に変えていく方法はあるのです。ボディートーク のプログラム《心の天気図》を体験されると、「本当だ!!」って納得できますよ。




もちつ もたれつの 背中ほぐし

疲労したりすると硬くウソの健康体となる。体が硬いか柔らかいか、どうやって判断するか。それは お餅の柔らかさを調べるのと同じこと、さわってみればわかる。さわって固ければ硬い体。さわって柔らかければ柔らかい体である。

人間でもっとも軟らかい体は生まれたば かりの赤ん坊だ。つきたてのお餅みたいにホカホカとあったかい。反対に、もっとも硬いのは死後、数時間たっ て硬直した体である。ゾッとするほど冷たくて、まるで永の塊のようだ。

本来、人間の体は生きている限り、他の哺乳動物と同様 にしなやかで軟らかいものである。その体が緊張したり、疲労したりすると硬くなる。心の悩みや苦労あるいはショックを受けて背中がたちまちしこったり、ゆがんだりした経験は誰もが持っているはずだ。

たしかに犬や猫も緊張や疲労から体を硬くするが、彼らはその度にノビをしたり胴ぶるいをする。自らこわばりをほぐし、ちょっと休んですぐに元 通りの元気な体に戻してしまうのだ。

このように、疲れてもすぐに元の軟らかい体に戻るのが「自然体」である。コンニャクのように柔らかくしかも弾力があるから、別名「コンニャク体」ともいう。ちなみに、体は軟らかければそれだけで良いというものではない。張りもなくてはならない。 気力が充実していれば張りがあるものだが、気力が萎えるとフニャフニャになる。私は このような体を「トウフ体」と呼んでいる。

さて、忙しい日々を自然体で過ごすことができれば理想的だが、現代の文明社会では 過度の緊張を連続して強いられるために、体が自然体に戻らなくなってしまう人が増えてきた。このような人は慢性的な筋肉の収縮状態にあって、私はこの体を「疲労体」と名付けている。

「おれは肩こりなどしたことがない」と威張っている人がいるが、そういう人の肩をさわってみると意外にカチカチであることが多い。実はしっかりと肩が凝っているのだ。
肩こりを痛いと感じる段階をとっくに越してしまって、もう鈍感になっているだけなのだ。

子供は痛みに対して敏感である。体が軟らかいからだ。子供より少々硬くなった我々大人の体でも疲労体の初期には、肩こりや頭痛などの痛みの自覚症状はちゃんとある。 ところが体がさらに硬くなると痛みも感じなくなり、風邪などの軽い症状も出なくなるために、自分は健康だと錯覚してしまう。風邪もひかない体というのは実は鈍い体なのだ。

疲労体でありながら、一見元気そうに見えるこのタイプの人は、責任感が人一倍強 かったり、自ら叱咤激励して気力だけで身を保っていたりする人だ。過度の疲労から体がコチコチになっているにもかかわらず、自らのガンバリだけで押し通しているので、 「ガンバリ体」と名付けた。そしてこのガンバリ体こそ「ウソの健康体」なのである。

働き盛りの企業戦士や責任の重い中間管理職、経営トップを不意に襲う、いわゆる突然死はガンバリ体から起こる。突然死が就寝中や入浴 中、あるいは食事中に多く発生するのは何故か。極度のガンバリ体で体の硬直も生命の限界点に達しているのに、かろうじて気力で保っている。その体が、自宅 に帰ってホッとした時に気持ちが緩んで体を保たせることができなくなるからだ。

ガンバリ体の人はさわればわかる。石頭や石体は突然死の可能性がある。そういう人はまず背中をほぐすことから始めよう。職場でもできる簡単な背中ほぐしは、二人で行う「背中たたき」だ。

一人が両手をダランと降ろして「アー」と低く長く発声する。もう一方の人が、その人の背骨の両側を、肩から腰へ向かって軽くトントンと叩いてあげる。声が固く響く個所がしこりの ある位置。そういう場所を念入りにたたく。た たいてもらって気持ちよくなった人は交代して お返しをしよう。持ちつ持たれつでこの世はうま くいっているのだから。




星の時間

●夏の夜空を見つめながら

ふと見上げた真夏の夜空。そこに輝く満天の星たち。両手を大きく広げて、 息を胸いっぱいに吸って・・・しばらくじっと見つめていました。懐かしい思い 出がいくつも蘇ってきます。

三才頃の思い出です。夕暮れの明かりの中で、丸い飯台を囲み汗をブルブ ルかきながら夕食を済ませ、おフロからあがると、大きな縁台に寝ゴザを敷い て浴衣で寝そべります。その頃にはもう空には星が瞬いています。蚊取り 線香と夏草のかすかな匂い。リーン、リーンと風鈴の音。添い寝をしてくれて いる祖母が、ウチワでゆったりと扇ぎ続けてくれる心地よい風に当たりながら 星空を眺めているうちに、いつの間にか夢の中。

ぐっすり眠ってから、抱っこして運んでくれたのでしょう。朝、目を覚ますとカヤの中のおフトンにいるのです。毎日こうして大事に育ててもらったのだなと、今は亡き祖父と祖母に感謝しています。
冷蔵庫のなかった頃ですから、食べ物一つ一つを慎重に嗅ぎ分けて口に入れないことには、子ども達はあっという間に赤痢や食中毒になってしまうという 時代でした。一人の赤ちゃんが元気に育ちあがるまでには、今と比べると比較にならないほどの《山ほどの手間ひま》が必要だったと思われます。

●今日も一日よく頑張ったね!

《忙しい》という文字は《心を亡くす》と書きますが「昔のようにのんびりとまではいかなくても、せめて一日の終わりに『今日も一日よく頑張ったね え~』と自分を褒めてあげて下さいね」と、ボディートーク・子育てマタニテ ィセミナーでお勧めしているのは、少しでも自分の心や体を見つめなおす時間を持って頂きたいからなのです。「だって、そんなに頑張っていないもの」という方には、「オシッコ出ているでしょ?食事もできているでしょ? 歩けているでしょ?あなたは、そんなこと当たり前で何も頑張っていないと思っていらっしゃるかも知れませんが、体は懸命に働いてくれていますよ。だから 褒めてあげて下さいね」と言うことにしています。自分の生命の営みに、一日 一回「ありがとう!」って感謝する時間にして欲しいと思うからです。これが Body-Talk time です。

●モモと時間どろぼう

さて、今年の福岡のミュージカルは、”モモと時間どろぼう”です。ミヒャ エル・エンデ『モモ』の原作を分かりやすく子供向けに、増田先生が脚色されたものです。生命を大切にする感性を磨くボディートークのミュージカル作 品として、是非、赤ちゃん役を登場させて欲しいという私の夢が今回叶いました。

ゆったりとした時間をたっぷり持っている女の子モモと、ベッポじいさん。 そして時間どろぼうから時間を盗まれ、心を失っていく町の人たちとのストーリーが展開されていくミュージカルです。ラストシーンは、モモとカメの力で町の人の心が戻り、喜びの中に赤ちゃんの産声が聞こえてきます。そして 町の人たちの暖かい歌声が、子守唄のようにやさしく夜空に響き渡るのです。
Schu
♪空いっぱいの星たち 光ときめき響きあい 生命ひとつ生まれるそれが星の時間さ
「わかったわ 生命のすべてが」 星から生まれて 心はひとつにつながる~♪
keshte
これとい
♪生命ひとつ 生まれる~♪

と歌っていると、何故か 私は、そこで一緒に歌っている仲間たちの一人一人の 生まれた時のことが、次から次へと想像されていくのです。
何もなかったところに一つの生命が奇跡のように誕生し、 やがていつの日か、その一つの生命は必ず消えていく生命の神秘。神秘だからこそ、一つ一つが星のように輝けるのかもしれませんね。私の星の時間、大切に生きていこうと思います。




おにぎり型よりもおむすび型人生を

おにぎりとおむすびの違いを知っていますか? 当た り前のことだが、まず呼び方が違う。でも呼び方が違う ということは、中身について重大な意味があるのだ。す なわち、そのことに対するイメージが異なるのである。

おにぎりとおむすびで言えば、実は作り方のイメージが まったく別なのである。おにぎりの作り方は「握る」。おむすびの作り方は 「結ぶ」。したがっておにぎりはギュッと握るし、おむすびはキュッと結ぶ。中身はどう違うか。おにぎりは中までギュッと押さえるか ら、全体的に固い。それ に反して、おむすびは温 かいご飯を手早くキュッと外側だけ固めるから、 中身は柔らかいご飯のままである。

どちらがおいしいか。それは好みの問題であるから、 どちらとも言えないが、人間の体のあり方については、 おにぎりのイメージで生きるか、おむすびのイメージ で生きるかは大きな開きがある。結論を先に言うと、おにぎり型人生はガンバリ体 であり、おむすび型人生はスッキリ体である。そして、地球に生きる生物としての 人間のあり方は後者なのである。

おむすびの元は温かいご飯であるが、人間の体で言えば温かさとは血液の循環で あり、それ故の息の温かさである。そして心が弾むと息は温かくなるし、心が冷めると息の温度も下がってくる。

息にまつわる昔話がある。ある冬の夜、一人の旅人が雪の野原の一軒家にたどり ついた。ホッとした旅人は両手を口へ当てハァ~と一息、息を吹きかけた。家人がいぶかしげに「何をしてなさる?」と問うと、旅人は手を温めたのだと答えた。や がて食膳が運ばれる。すると旅人は汁のおワンを両手に持ち、フーと一息、やはり息を吹きかけた。家人が「何をしてなさる?」と問うと、汁が熱いので冷ましたの だ、との答え。はて同じ息で暖めたり冷ましたりとは? これは鬼に違いない。と家人は早々に旅人を追い出してしまった。 

これは笑い話であるが、では何故、温かい息と冷たい息が同じ呼吸器官で可能な のか。その秘密は「ハァ~」と「フー」にある。「ハァ~」という温かい息は、気 官をリラックスさせている。そして、息はゆるやかで太い。気管の持つ体温を逃が さず、そっくり口元へ集める方法である。それに対して「フー」という冷たい息は、 気管を緊張させ、素早く、細く吐く息である。体温をできるだけ口元へ運ばないよ うにしているのだ。 

人間は一息々々で生きているのであるから、どちらの息が体にいいかは自明の理 である。温かい息こそ元気の源である。日々の喜びが息を温かくさせ、温かい息が 生きる活力を産み出しているのである。反対に恨み、辛さ、苦悩の心が息を冷たくし、冷たい息が生きる意欲を削いでいくのである。 

ボディートークのプログラムでは温かい息を体感することができる。

一重の円を作り、真ん中に一人が立つ。みんなは円の中央に向 かって「ワァ~ッ」と感嘆の声をあげながら駆け寄り、 中央の人を指さして一斉に「あんたは偉い!」と叫 ぶ。言葉は「いい男!」でも「おめでとう!」でも、 とにかくほめるセリフであればよい。温かい息が ドッと集中するから、ほめられた人は顔が上気して 体がポーッと温かくなる。そして大事なことは、褒めた人も自らの息によって体が温かくなることである。 

内側から温かくなった体を最後に表面でキュッと引き締める。その方法は二人で 向かい合って「同時発声」を行う。一方が何の合図もなしに突然両手を開いて 「バッ!」と叫ぶ。相手は同時に両手を開い て「パッ!」と言えるかどうか。声がピタッ と合うと周りの空気が一瞬シンと静まるよう な爽快感がある。こうして体表を引き締めて おくと、体の温かさが持続し、元気が保たれ る。まさに人間の「おむすび」である。 




対人緊張が強い人の体はどんな体?

腕の付け根と胸の間をウムネという
夜道を歩いていて、向こうから怪しげな人がやって来る。このとき、体のどの部分が固くなるか ? また、人 前で話をするとき、体のなかで緊張する部分はどこか?
答えは、腕の付け根と胸の間の一点である。私が師事 していた野口体操の野口三千三氏は、このポイントを 「ウムネ」と呼んでいる。ウデとムネの中間という意味 だ。

あなたのウムネは固いか柔らかいか、調べてみよう。 まず軽く握りコブシを作って、ウムネに当てる。次に「アー」と言いながら強めにコリコリとこすってみる。痛みを感じる人は対人緊張の強い人、柔らかくてよく揺れる人は、 甘え上手な 人。ウムネは人に対する関係を如実に表す所である。

典型的な例を述べよう。プラットホームなどで中 学生や高校生の女の子が、友達と別れる場面。「バイバ イ」と言って手を振るその振り方に特徴がある。腕を脇に固くくっつけて、胸の前 で手の平を小きざみに振っている。あの仕草はウムネしこりから来る。

思春期の少女は、自分が他人からどう見られるかということに特別に敏感である。 自我に目覚める時期で、自分という存在が気になって仕方がない。それで人なかで 何か行動を起こすとなると、とたんにウムネが固くなる。プラットホームでサヨナ ラの動作をしようとすると、ウムネが固くなるから腕が上がらない。それで胸元で 手を振ることになる。

そんな少女も年を経てくると、人前でも腕を上げて堂々と手を振るようになる。脇の緊張などふっ飛んでいる。ただし中年といえども不倫の相手など に手を振る場合は、人目を気にしてウムネしこりのサヨナラをしているが・・・。

ツッパリ少年も実はウムネしこりなのである。これらの少年は、自分はこうした いという強い欲求を持っている。しかし、その欲求を言葉でうまく表現できない。

どうせ大人は反対するだろう。こういうときにウムネが固くなる。
ツッパリ少年は、ウムネをギュッと固くしているから、腕の付け根が動きにくい。 それでポケットに手をつっこむ。ポケットに手を入れ、頭を垂れて歩けば「落ち 込みスタイル」なのだが、どっこいツッパリ少年はエネルギーを内在させている。そこ でアゴをしゃくって強気なところを表現してみせる。

アゴを張るのは我を張ることだ。ツッパリ姿勢の仕上げは、膝の関節を硬直させること。つまり、膝に棒を入れた ように固く立つ。膝につっかい棒を入れることを私は「ヒザッパリ」と名づけてい るが、「ヒザッパリ」は「意地っぱり」なのだ。

あなたも、ツッパリスタイルを体感してみよう。

①ウムネを固くする ②ポケットに手をつっこむ ③アグをしゃくる ④膝にツッパリを入れる
これで完成だ。ちょっと歩いてみよう。出会った 人に思わず挑戦的になる自分に気づくはずだ。

「フ ン!」と言ってソッポを向いたり、「おう、ナン ダ? 文句あっか?」と、肩でつっかかる雰囲気に なってしまう。もう、おわかりのように、この姿勢 は息苦しい。すなわち、ツッパリ少年は息を詰めて 生活している。息が苦しいから暴走して、一時の解放感を得ようとするのだ。

ではツッパリ少年と、どのように接すれば良いか。 頭ごなしに怒鳴ってもダメである。ツッパリがますます強くなるだけだ。ボディートークの原則は、心をほぐすことからコミュニケーションの道をつけることにある。

ツッパリをほぐすには、その心が作っている体のしこりをほぐすことが大切だ。ツッパリ少年は ウムネほぐしから始める。互いにウムネがほぐれれば、話しやすくなる。問題解決の糸口は体ほぐしにあるのだ。私がかつて高校の教 師であった頃、ボディートークの体ほぐしで ツッパリ生徒の本音をずい分聞き出したものだ。




ひとり ひとりの 手にふれ 息にふれ

●出逢った時は
ボディートークに出会ったのは30年ほど前。毎月、福岡から広島へ新幹線に乗って月例会へ出かけていました。その頃の私は、頚椎のヘルニアで視力もかなり低下し首の痛みがあり、授業で板書の為に手を動かすのがやっとという状態 でした。

日本ダンスセラピーの発会式で増田先生に会い、おむすび“パッ”の全身を通り抜けていく不思議な声に「これは何か違う!ここに何かがある」と直感し、広 島へ通い始めた私でした。

月一度の月例会の内容は、いつも目からウロコ、ウロコ…こんな考え方、 感じ方があったのかと毎回ショック続きでした。生卵が立つのも、四つん這い 姿勢で背中が波のようにしなやかに揺れるのも、鉛筆倒しで魔法がかかったように相手の手に背中が引き付けられていくのも、何もかもが今まで生きてきた世界とはかけ離れた、生命をとても大切にする繊細な感覚の世界でした。

●夢をもってリーダーを養成
出会いから、ひたすら魅力あるボディートークの世界で生きてきました。 福岡から熊本への航路が開かれ、その飛行機の中から天草を見下ろしながら、 この屋根の下に住むどの人も、温かいぬくもりの中に生まれ、包ま れて、一生を終える人生を送っていける日が来ると良いな、と夢一杯に2年間、リーダー養成に毎月通ったのも懐かしい思い出です。

また5月15日は私の誕生日ですが、沖縄本土返還の日も 1972 年5月 15 日。何かの縁を強く感じ、この沖縄で私は何をお返しすれば良いのだろう? 今の平和のために沢山の沖縄の方達が生命を捧げて下さった沖縄に。感謝とともに、この想いが沖縄の空を飛ぶ度に心に響いてきます。

●エンゼルハンズをベースに
《よりよく生きるための知恵≫としてのボディートークの内容は、広く、深く、どこまでいっても深い森のように果てしないものです。それでも初めてボディートークに出会う人に分かりやすく、しかも最も生命が繊細になっている時の生命の捉え方をベースに、伝えていきたいそれがエンゼルハンズのスタートです。生命の触れ方≪ふんわりと繊細に ≫は、とても深い内容です。感覚の世界は個人差も大きく、数値化できないだけに、伝え方も簡単ではありません。

●プロフェッショナルな人は、どこで学ぶの?
「医師・看護師・助産師・保健師など、人の体に直接触れる人達はどこで、そのタッチの仕方を学ぶのかしら?」尋ねてみても、時間をかけてその事を学習する場はなく、経験を積みながら各々が自分の感性で身につけていくのがどうも現状のようです。そこまでの繊細さは必要ではないのかな?と、 反対に私が迷うこともあるほどです。

●決してイヤだとは言わない、言えない
私がプライベート・レッスンなどで接していく自殺未遂の子、不登校の子、 ウツで長い間引きこもっている人などは、ほとんどの人が自分の感覚でイヤだと感じていても、外には決してイヤだとは言わない、また言えない人が多いの です。

イヤなことがあっても黙っています。だから外からは分かりにくいし、分かってあげられないのです。そういう人達と接する時には、まず空気のように、傍に漂うようにスタ ートすることにします。私の存在そのものが、その人にとって異和感であれば、 言葉かけも、体ほぐしのタッチも、その人の内に入ることは出来ず、共鳴してくれるはずはないのです。

私が何かしてあげようとか心に思っているだけでも、 相手の重荷になったり、相手の息が苦しくなっていることもあるからです。 「じゃあ、どうすれば良いの? 私にできるのは、「気体になること。そしてその人の傍にいる心地良さを共有する」ということだけです。(※赤ちゃんの、傍って嬉しいでしょ? そんな感じです)

(この続きは来月号に掲載します。便秘の赤ちゃんの体ほぐしなどについてのコメントをします)