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声と響きから伝わる無意識のメッセージ

● 声や響きから伝わる無意識のメッセージ、 菜の花、土筆、蝶々と書けば、日本人の私たちなら自然に春のイメージが湧いてきますね。またその言葉をゆっくりと声に出して繰り返していると、どこからともなく、やわらかな春の花の香りが漂ってくるような気さえしてきます。

イメージを膨らませたり、イメージを言葉にするという営みの中で、 人とのコミュニケーションが成り立っている私たちの社会。でもそれは一日にして出来たものではなく、赤ちゃんの時から毎日毎日、長い時間をかけて言葉を繰り返しながら少しずつ身についたものですね。

生まれたての赤ちゃんを見つめながら、母親がやさしく語りかけるように我が子の名を呼びます。何度も何度も繰り返し、名を呼ばれることによって、 赤ちゃんはその声、その響きが《自分》を表す特別の言葉であることを学習していきます。一方赤ちゃんも、言葉にこそなっていませんが、自分の感覚や感情、表情やしぐさを声にして、母親へ一生懸命伝えようとしていきます。

● 名前の呼び方を変えてみると?
ところで、皆さんは自分の名前にどのような願いが込められてつけられたのかをご存知ですか? また幼い頃から自分の名前をどう呼ばれてきましたか。ちなみに私は家族 から「あっこちゃん」と呼ばれて育ちましたが、もし「あっちゃん」とか「あこ」とか呼ばれていたらどうなったのか な?と。。

「響き占い」について増田先生から教えていただいた時、考えたことがあります。そこで今回は、名前の呼び方を変えてみたら子どもの心や体に変化が表われた、という実例をご紹介したいと思います。

● アトピーが消えてしまった「タァちゃん」の話です。T君は、生後1年半を過ぎた第4子として生まれた男の子です。ボディートークの子育て教室での出来事

「この子はいつも落ち着きがなくて…。それにとても怒りっぽくて、時々、奇声をあげるんです」とお母さん。参加者数組の親子の中で遊んでいるT君の様子をしばらくうかがっていると、いつも周囲が気になるらしく、キョロキョロと見回し、一つの事に集中することが中々出来ません。不機嫌な表情で、ちょっと他の子と体が触れると、乱暴に手で相手を押しのけようとします。

そこに「みんなで食べようね」とお菓子が運ばれてきました。するとT君は両手でお菓子をつかみながら、次から次へと自分の口の中に放り込み始めました。見る見る、ほっぺがフグのように膨らんだかと思うと、突然「オェ!!」と思いっきり吐き出してしまいました。

すると、また目の前のお菓子を両手に取りながら、同じ動作を繰り返そうとしています。驚いたのは、お母さ ん。「タツ!」とあわてて飛んで行き、T君の両手をつかみました。T君は金縛りに合ったように身動きしません。

私は二人に近づき、T君をしっかり抱きとめているお母さんとT君の背中を、両手で包むような姿勢でそっと触れてみました。胸椎3番(切なさのしこり)と8番 (苛立ちのしこり)をキュッと固くしています。

二人とも全く同じ背中の状態です。そのしこりをほぐしながら、 お母さんに尋ねてみました。「普段、T君のことを何と呼んでいるの?」「タツです」「本当の名前は?」「タツヤです」「そうなの。それじゃあ今日から試しにタツヤ君のことを『タァちゃ ん』って呼んでみて下さい。それでいい?タァちゃん?」
T君は黙ったまま、じーっと私の目を覗き込むように見つめたままです。そこでお母さんとタァちゃんに、次のような説明をしました。

1  今までの呼び方「タツ!」は、まるで空気を切るかのように強く、冷たい息
であること。そういう声で呼ばれ続けていると、いつもT君は拒否されているのかな?とか、怒られているのかな?と思うようになっていきます。そうすると、自分の行動に自信が持てなくて、満たされない気もちで悲しくな ったり、苛立ったりと息が落ち着かなくなるのです。

一方、ゆっくり穏やかな息で「タァちゃん」と呼ぶと、名前を呼ぶ息があたたかで、その息にたっぷり包まれ続けると、自分を認めてくれているという安心感が湧いてきます。また母親がたっぷりと、気持ちを注いでくれている喜びで満たされてくることで息が落ち着いてくるのです。
教室の帰りには、すっかり「タァちゃん」もご機嫌になって親子とも笑顔で
“さよなら”ができました。

数日後、タァちゃんのお母さんから電話がありました。「本当に不思議です。 あれだけひどかったタツヤのアトピーが、すっかり消えてしまったんです。それに『タァちゃん』って呼ぶようになってから、とても穏やかで落ち着いた子になりました」との報告でした。

実は、タァちゃんを妊娠した時、第4 子でもう子どもはいらないと思っていた、という事。そして産まれてからもア トピーがひどく悩み続け、毎日イライラした気持ちで育児していたのだ、と話して下さいました。

ところが「『タァちゃん』と呼ぶようになってから、自分の気持ちがとても優しくなって、タツヤを可愛いいと思える余裕が出てきたんです。」と嬉しそうでした。そのタァちゃんも、今は5才くらいになっているはずです。そろそろ「タァちゃん」ではなく、「タツヤ君」が似合う男の子に成長しているかもしれません。

● 今の呼び名でご満足?
子どもに「自分の名前をどんなふうに呼んで欲しい?」という質問をすると、 時には意外な答えが返ってくることがあります。その答えの中には、子ども自身が自分に対して“こうありたい”という願いも含まれています。

「息は生き方」の言葉の通り、声の息と響きのあり方で人の心や生き方までもが異なってくるのですから、子どもの時だけでなく大人になってからでも遅くはありません。家族はもちろん、お友達同士でも、ちょっと楽しみながら呼び名を工夫してみるのもいいかも知れませんね。




一触即発の鋭い反応

バリ島のケチャック・ダンスを御存知だろうか。ヤシ油の燭台を中心に、数百名の男たちが幾重もの円を作って車座となる。「チャック」と短く鋭い叫び声で、男たちが別々に個有のリズムを刻むと、そのリズムが見事にからみ合い、全体として一つの力強いリズムを生み出す。その強烈なリズムの輪の中で、きらびやかな衣装を身にまとったバリの娘たちが「ラーマーヤナ物語」を踊り、演じていく夕闇の中、ヤシの木陰の村の広場で繰り広げられる、

この幻想的な民族芸能は、西洋音楽には見られない特有のアンサンプル原理を持っている。そもそも数百名もの男たちが別々のリズムを刻みながら、どのようにして一つ にまとまることができるのだろうか。西洋のオーケストラでは前に立った一人の指揮者が全体を統一する。

しかしケチャック・ダンスでは、 その時々の動きの合図を送る人はいるものの、指揮者なしで互いに互いの気を寄せ合い、高め合って全員の総力 で一体となるのだ。双方の組織の在り方を一言で述べるならば、西洋のオーケストラはリーダーシップ型、 東洋のケチャック・ダンスはメンバーシップ型、と言えるだろう。

チームをまとめるには統率力のある、有能なリーダーを必要とすることは言うまでもない。ところがリーダーが優秀であっても、チームの気力が今ひとつ燃えない、ということがある。即ちメンバーの側は、リーダーの指示通りに動けばいいという意識がある だけで、メンバー自らの積極的な意思を持っていない場合だ。

人は自発的に行動する時、最も生き生きするものである。とすればチームがすごいパ ワーを発揮するには、メンバーの自発的な、積極的な力を結集する必要がある。この強力なメンバーシップの秘訣がケチャック・ダンスにあるのだ。

十数年前、私はケチャック・ダンスを学ぶためにバリ島を訪れた。日本の劇団でケチャックを取り入れたミュージカルを上演するためである。一カ月間、朝から夕方まで村の指導者から直接、伝授してもらったのだが、宿舎の庭先で「チャック、チャック、 チャック・・・」と叫び声を上げていると、村の人たちが集まってくる。その中にはケチャックの出来る男性もいたから、練習に加わってもらった。

するとその人は、それまではニコニコと笑って見ていたのに、練習に参加したとたん食い入るような眼差しで私の一声に集中をしている。少しでも私が動こうものなら、すぐさま反応してくる。まさに一触即発という気配だ。その迫力に私は声を出せなくてタジタジとなったことを覚えている。

ケチャック・ダンスの見事さは数百名の男たち全員が、互いの動きに対して一触即発の反応の鋭さを発揮していることにある。そして一人でも鈍いリズムを発すると全体のリードが崩れてしまう。リーダーの合図について動くという感覚では、既に遅れている のだ。リーダーとメンバーが同時に動くという感覚があって、初めて成功する。

では、メンバーがリーダーの指示と同時に動くためには何が必要か。「良きメンバーシップの条件」として述べよう。

1. メンバーはリーダーの指示を予感する
メンバーは、この「予感する」という自覚が大切で ある。ボディートークの人間関係法プログラム「飛行機ショー」に於いて、リーダーの声や動きとピッタリ合うには、メンバーはリーダーの一挙手一投足に最大の注意を払い、指示を予測する。そうすれば同時に動くことができる.またその行動の在り方の中にメンバーの自発性が発揮される。こういうメンバーと共に仕事をすれば、リーダーは引っ張っていくしんどさを感じないし、仕事の中身そのものに集中することができる。

2.  メンバーは後走りしない。
リーダーの先走りも困りものだが、メンバー の後走りもチーム力を減退させるものである。 後からついていくのは楽であるが、仕事を共に仕上げる爽快感は味わえない。リーダーの能力を最大に引き出す鍵は、メンバーの、この機敏性にあるのである。




指先の感覚を楽しもう

物事を身につけるには、頭も心も体もひとつとなって、全身でかかわる事が効果的であることは、皆さんもご存知の事と思います。私も幼い子ども達にバレエを長い間教えてきた経験から、動きの形を真似ながら、繰り返し練習するよりも「ホラ、この足の筋肉に触ってごらん、こんなに力を抜いて動 いているのよ」と、直接、私の足に実際に触れさせながら、筋肉を固くした時と緩めた時の両方を比較させながら教えると、すぐにその動きができるよう になっていました。 

ボディートークを学んでからのレッスンでは、それに加えて「体の中をお水のように揺らすのよ」とか「お水が凍ると氷になって固くなるでしょう」とか 「お水を沸かすと湯気になっていくのよ。だから、体の先端が湯気のように空気に溶けるようにファ~ッって跳んでごらん」とか、動きのイメージを声と動きにしながら(内動と声をひとつにして)伝えると、見事に子ども達の体の感性が高くなっていくのが分かりました。

( 1 才のお誕生日が間近なTちゃんは、最近小さなお手てで興味あるものを次から次へと触っていきます。大人では到底入らない、小さな穴の中に指を突っ込んでみたり、つまみをつねったりします。この頃になると、赤ちゃんはお母さんの口の中に指先を入れてきます。

そんな時、お母さんは楽しんでみて下さい。まず赤ちゃんの指先をよ~く きれいに拭いて、そっと口に含んで下の先でチョンチョンしたり、クルクルなめたり、チュチュ吸ってみたりすると…、赤ちゃんはちょっと不思議な表情をします。そしてすぐにニコニコと楽しそうに体をくねらせます。

体の先端にまで神経回路が発達しますと、敏感になり、急速な勢いで脳が発達する大切な時期 です。口の中に含んだ指先に、舌で刺激を与えると同時に、赤ちゃんの舌もよく動き、ヨダレが流れそうになってきます。動物は、自分の生きる為の食べ物を舌で安全をよく確認してから体内へ取り込みます。人間は、舌だけでなく、まず手に取り、指先の感覚を鋭くすることによって、もっと安全 に食べ物を選択できる知恵を得たのかもしれません。 

赤ちゃんが何でも舌でなめて確認していた時期から指先で確認していく時期への移行の時、お母さんも一緒にいろんな物を、目を閉じて触れ、もう一度新鮮な思いで指先の感覚を楽しんでみたらどうでしょう。

そして、この時期に赤ちゃんは自分の足で立ち上がり、歩き始めますが、手の指先と同様に、 足の指先は、今度は自分の体重のバランスを微妙にコントロールするための学習が繰り返されながら、起立筋とその神経支配を身につけていく重要 な役割を担っていくのです。ですから、手や足の指先に、様々な刺激を与えて、 楽しみながら、その発達に磨きをかけてあげてください。 

赤ちゃんの足の裏を手で「グーン」と軽く押して下さい。すると、必ず押し返してきます。それを少しだけ待ちながら、その緊張をほぐすように「ワッ!」 と離すと、とても喜びます。それは自分の足で、一人で立ち上がる時の力の関わり方への刺激へとつながっています。お母さんも自分が赤ちゃんになっ たイメージで、やわらかい声を出しながら、是非赤ちゃんと一緒に遊んでみて 下さい。

 




気が合わない、ということについて

あきらめて我慢をしたり、同じ仕事をするにしても、気の合う人と一緒だと気持ちも楽だ。合わない人と一緒だと、その存在感が重荷となっ て仕事も思うようにはかどらない。「気が合わない」ということは「息が合わない」ということである。

この場合の息とは、無意識下で行われている。 その人本来の息の仕方のことである。だから人は出会って早々に「この人とは気が合わないな」と直感したりする
無意識下で合わないものを、そのままにしておけば、いつまでも合うはずがない。それで不幸にして同じ職場に気が合わない人がいると、 これは宿命なのだ、と半ばあきらめて我慢をしたり、出来るだけ接触しないようにして、やがてはワザと無視したりする。

「それも仕方がない」と溜め息 をついているのは必ずしも自分の側だけではない。こちらが合わなければ向こうも合わないのだ。
ところが気というのは息の問題なのだとわかれば、解決の方法もあろうというものだ。息の問題を意識のレベルで捉え、体ぐるみで学習することで、息を合わせるコツを会得する方法がある。

前回述べた「飛行機ショー」は、積極的に息を合わせる能力を身に付けるためのパ フォーマンスである。即ち全身で相手の息を受け入れ、全く同じタイミングで動くことを可能にする。

社員研修ではまず二人一組で練習をする。一方がリーダー、他方がメンバーとなる。 息合わせは互いに歩み寄って初めて成功するものだが、リーダーの役目とメンバーの役目は、そのポイントが異なる。

パフォーマンスの仕上げは六人一組となる。前列に立て膝になって三人が並び、その後ろに三 人が立って後列を作るのだが、六人のうちの誰がリーダーになってもよい。息がピッタリと合ったチームは全員が自信に満ちてはっきりと動き、しかもタイミングが見事に一致しているので、どの人が合図しているのかが全くわからない。まるで魔法を見ているように感じるので、会場には大きな拍手が起こる。演じたチームは爽快感 で意気揚々としている。

成功するにはいくつかのポイントがある。また、このポイントを体得するのが、「飛 行機ショー」のねらいでもある。そして、一度身に付けば、日頃の仕事でも大きな効力を発揮するし、家庭生活でもこのポイントは大事なことである。
まず「良きリーダーの条件」を簡潔に述べよう。

1. リーダーは明快な指示をする。
リーダーは鮮明に飛行機をイメージし、自らの発声で遠くから飛んでくる音を微かにメンバーに伝え始め、次第に大きくして声のニュアンスで首を振るタイミングを知らさなければならない。

明快な動きをするためには、リーダーは気を静め、イメージをしっかりと整理する必要がある。整理もされていないのに見切り発車をしてはいけない。見切り発車をすると、途中で動きがあいまいになるので、メンバー がうろたえてしまう。

リーダの役目は、この明快な指示にあるのに、それを 怠っている人が案外多い。そういう人は「部下が動かない」と文句を言う前に、自分の指示がスッキリしているかどうかを点検してみる必要がありそうだ。

2. リーダーは先走りをしない。
リーダーの指示を受けてメンバーが動き出すには、それなりの準備の間(マ)が必要である。「指示はしたぞ、すぐについてこい」では強引というもの。
リーダーは全身でメンバーの発声、息遣いを察知しなければならない。「いける」 と感じたら迷わず大胆に行動を起こす。するとメンバーは信頼して同時に動くことができる。

さて、問題はメンバーの側である。世にリー ダーを養成する研修は多いが、指示を受ける側のコツについてはあまり聞かない。
次回は「良きメンバーシップの条件」につい て述べよう。




相撲を見れば息の合わせ方が分かる

「気が合う」とは「息が合う」ことである。二人で机を運ぶ時 も、息が合えば机を通してお互いにスムーズに歩けるし、息が合 わなければ肌が腰にぶつかったりしてギクシャクする。 

息を合わせることは中々に難しい。相撲では互いの息を合 わせるために何度も仕切り直しを行う。観ている方にしてみれば、早く立ち上がってほしいというところだが、力士が全力を出し切 るためには、息がピタッと合った最高のタイミングが必要なのだ。 そして実は仕切り直しの中で、行司も審判員も観客も、 息に向かって息を合わせていくのだ。あるいは一つの息を作って いくと言ってもいい。 

素晴らしい音楽会では、 奏者と聴衆が一体となって自 然に息が合ってくるものだ。 

相撲は更に積極的に全館がひとつになって、一つ一つの勝負毎に息を合わせるので、熱気が増してくる。これほど見事に競技者と観客とが一体となった息のすごさを見せてくれる競技は他にないのではないか。 

これほど凝縮された真剣な息合わせでなくても、私たちは仕事や生活で息を合わせるということを上手に活用したい。そこでボディートークでは、積極的に息を合わせるコツを得るためのプログラムを開発した。その中のひとつ、「飛行機ショー」というの を紹介しよう。 

二人ないしは数人でグループを作り、一人がリーダー、他はメンバーとなる。前列の人は座り、後列の人は立って、共に飛行機ショーを見る、という設定である。 

まず飛行機が、右上前方より飛来して目の前をビューンと通り過ぎ、左方へ去っていくのを見ることにする。初めは全員、右上前方を見ているのだが、リーダーは自分で想定した飛行機の動きに 合わせて「プーウウーン」と声を出し、首を振って左の彼方を見る。この時、他のメンバーはリー ダーの発声と気配だけで動きを察知し、全く同じタイミングでリーダーの動きと声に合わせる。 

成功すると、みんなで本当に飛行機を見ているように感じる。またそのパフォーマンスを見ている人には、誰がリーダーなのか見破ることができない。それほどピッタリと一致することができ る。 

「飛行機ショー」では一応、飛行機の飛ぶ方向をパターン化しておく。飛行機は右から左に左から右へ飛ぶ。リーダーはその都度「ブーウウーン」「ブーウゥーン」と首を振るのだ。 て最後に真正面から頭上を通過していく飛行機を見る。リーダーと共にメンバーは正面に向かい目を見開き、飛行機が頭上を通過する時は、一斉に両手を上げてびっくりポーズで真上を見る。リーダーのこの時の声は「ブーン、ウワァッー!!」もちろんメンバーも同時にこの声を出す。 

リーダがメンバーを無視してさっさと首を振ってしまうと、メンバーはとり残されてポカンとしている。リーダーのワンマンさで、独りよがりの様(さま)がはっきりと演じられるので、会場はドット笑い渦に包まれる。 

他人の都合を考えないで強引に事を進めてしまう人がいるものだが、そういう人は、 自分の強引さに気付いていないことが多い。「飛行機ショー」のパフォーマンスではそれが 端的に顕れる。日頃を隠すことはできない。 

反対にメンバーに気を遣い過ぎるリーダーだと、なかな 動き出せずに、そうこうしているうちにリーダーである事がバレてしまう。 

実際にやってみると、成功するには意外と難しいことが解るが、要は、リーダーにしろメンバーにしろ、体を柔らくして「気」が開いていないと、息の合ったチームワーク」 生まれてこないという事が実感できる。 チーム毎に十五分程練習すると、やがて全員の動きがスカッと合う組が出てくる。このようなチームはリーダーも優秀であるが、それ以上にメンバーが 晴らしい。

「飛行機ショー」は企業研修の中で「リーダーシップとメンバーシップの理想的な在り方」 感じるのに最適である。 




青い鳥は、あなたの中に

●踊ること大好き
   ♪ うさぎ うさぎ  何見てはねる
      十五夜お月さま 見て は〜ねる♪

月の光に照らされ嬉くなってはねる、うさぎさんたち、微笑ましいですねえ。歌の中のうさぎさんのように、私たちも美しい自然を前にすると、思わず歌いたくなったり、踊りたくなってきませんか?

ところで、もし「あなたの寿命があとわずかと分かったら、何をしますか?」と問われたら、私は「朝から晩まで踊り続けたい!」と、迷わず答えることでしょう。そ れほど私にとって「踊ること」は大きな意味を持っています。

●自分の生命を守る内なる体の声
私がバレエを始めたのは3才の時でした。内息だった私は、いつの間にか自分の悲しみや怒りの感情を外に出さず、踊りの中で表現しながら自己解決していくような子どもに成長していました。大学を卒業した当時、色々な悩みが重なり、生きている実感が乏しく、魂が抜けたような姿で教壇に立っていました。

その頃、まだ陽の昇らない明け方に起きて、始発電車で勤務先の福岡女子短大へ行っていました。大宰府の丘の上に立つ短大の坂を登り、誰一人いない薄暗い体育館のサブコートの鏡の前で、レオタード姿でバレエの基礎レッスンを始めたのです。

雪降りつもり凍えるような冬の日も欠かさず、毎日ひたすらにレッスンを続けました。(暖房はありません)手や足の指先まで、全身の隅々まで繊細に神経を行き届かせながら、ゆっくりゆ っくりと自分の体を感じながらのレッスンです。

すると、自分の体が空気のように感じられ周囲との境目がなく、その部屋の空気の一部に自分がなる気体のような感覚で、自然の一部になれた心地よい不思議な体験でした。

太陽が昇ってくると、サブコートの窓から差し込んでくる朝の光が部屋いっぱいに拡がっていきます。その光は生命の全てを受け入れ、母親の胎内の羊水のようにあたたかく、やわらかく、私を包んでくれました。するとどこからか「あきこは今ここに生きているよ」「生きていていいんだよ」という声が聞こえてくるようになりました。涙が溢れてきて「そうだ、 私は生きているんだ」という実感が蘇っていくのです。

そんなレッスンを来る日も来る 日も続けながら、私はこの時期を乗り越えることができました。(私は踊りながらボデ ィートークをしていたのですね)そしてこの声こそ、自分の内にある《自分の生命を守る体の声》だったのです。

●危機を乗り越えていく生命の力
私たちの生命は進化の過程にストレスがあったからこそ、様々な適応力が膨らみ、 これまで生命を繋いで来れたことは皆さんもご存知のところです。これからは災害や事故、また高齢になっていくなど、自分の体や心が大きく変化してくことが増えていく時代です。

でも私たちの生命の奥には、普段はほとんど使わ れていない山ほどの素晴らしい生きる力が内在しているのです。それは生命が非常事態になった時にその力を発揮してくれる生命の力です。

今年は「オリンピックの年でもありました。感動的なシーンがいくつも放映さ れましたが、私の心に最も残ったのは、パラリンピックに出場したある選手の言葉 でした。「足を失ったからこそ、私の隠されていた素晴らしい力を発揮するチャン スを得ることができたのだ」「失ってはいない、得たのだ」と。この選手の目は、 どの金メダルよりもキラキラと輝いているように私は感じられました。

●いつもいつも、あなたの中に青い鳥はいるよ ≪ボディートークとは体のおしゃべり》です。あなたはどんなおしゃべりをしてい ますか? 自分の生命の終わる、その最後の日まで、こよなく自分の生命をあたたかくやさしい息で包み、「よく頑張ったね」「えらかったね」「よく生きてきたね」 と声をかけてあげて下さい、すると、自分の内なる青い鳥の幸せの声が、どこからかきっと聞こえてくる、と思います




氷山に例えれば意識は水面下に

心の働きは必ず体に表れる。どんなに隠そうとしても息の仕方や仕草、何気ない言葉の端々にポロッと出てしまう。 ただ人はそうそう他人の微妙な行動にまで注意を払っていないから、気付かないだけのことである。見る目のある人 が見れば瞬時にバレてしまう。 

先日、私は家族そろって、レストランで食事をして いた。隣の席には就職が最近決まったらしい若者と、その親戚らしい中年の女性が向かい合って座っていた。中年の女性はさかんに若者を激励している。周囲をはばからぬガラガラ声でしゃべりまくっ ているので聞くまいと思っても耳に入ってしまう。

「あんたナァ、会社に入ったら真っ先にぶつかるのが 人間関係や。そやけど絶対、ガァ(我)張ったらアカン で。どないに気ィ合わん奴でもニコニコしとくのがコツや。ウチら会社におった時は、嫌いなんてこと煙にも出さんかったでぇ。」 

その言葉を聞くや否や、それまで澄まして食事をしていた私の娘二人は、口に手を当てて必死に笑いをこらえている。私も思わず顔を見合わせてつい笑ってしまった。 

その女性には失礼になって申し訳けないが敢えて述べよう。「おくびにも出さん」と いうところを「煙にも・・・」という言葉になっているのが何とも新鮮であったが、それにも増して面白かったのは、その女性が嫌いな感情を隠し通したつもりになっていることである。これだけ開けっ広げで豪快な人間が、ありとあらゆる場面で気遣いをして自分の内面を出さないようにする、などと言うことは出来っこないのである。 

ご存知のように人間の脳の働きは氷山に例えられる。意識というのは、水面上に顔を出した氷山の一角みたいなものである。大部分を占める無意識の働きは水面下にある。 人間の行動も同様である。意識的に動いている部分はほんの僅かで、大部分の行動は 無意識下に行われる。そして無意識の行動に本心が表れてしまうのである。 

私が高校を退職して、初めて企業の社員研修で講演した時のことである。当時はボディートークという名前すら付けていなかったので、企業の担当者も受講生たちも私がどんなことをするのか知らなかった。 

会場に入ると全員がノートを机の上に広げ椅子に整然と座っている。「人間関係をス ムーズにするには?」という演題だったので、すっかり心理学の講座と間違われたようだ。 

私のやり方は、体を使い声を出して、全身表現の中で人間関係を解明していく、体ぐるみの思考方法なのだ。従って会場には黒板一つあればいい。あとは何もないフロアーで 自由に体を動かすことができればいい。 

早速みんなに机と椅子を片付けてもらった。すると床に細かいゴミが目立つ。掃除機をかける時間が惜しいので、全員で一分間、ゴミを拾うことにした。 一斉に始めて、三十秒ほどたった時、私は笛を吹いて拾うのをストップしてもらった。 そして「突然止めて申し訳けないが、ここで自分の手の中にあるゴミの数を数えてほしい」と指示した。 

最高は十二個であった。この人は本気で拾おうとし た人であり、他を抜きんでていた。数個拾ったという人も多かったが、まず良心的と言えるだろう。ところ が一個だけという人がなんと全体の三分の一もいたのである。 

こういう人は形だけのゴミ拾いである。とにかく一 つ拾ったのだから、これで名目は立つだろう。あとは 掃除をやりたい者だけがやればいい、という考えである。 

そこで私は本音とは、無意識の行動にそのまま表れること、そして自分自身も気づかない本心が相手の無意識に働きかけて、それが人 間関係を作っていくのだという話をした。 

残りの三十秒はゴミ拾いで会場がスッキリと美 しくなったのは言うまでもない。 

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赤ちゃんとお母さんは一心同体

ボディートークバイオリンのレッスンが始まり「人生で初めてバイオリンを手にした」と言う人が増えてきました。何だかドキドキして、大切にソッと自分の左肩にバイオリンを乗せ、弓を持って、ソッと動かすのですが…、生まれて初めての体験きわめてぎこちない手つきです。それでも美しい音が鳴り出し、体中の細胞にその音色が伝わっていきだすと、「ワァ~!」と叫びたくなるほどの感動が湧き起こります。

その大切にしているバイオリンを、自分以外の人が「私も弾いてみたい。ちょっと弾かせて!」とヒョイと取り上げ、乱暴に弓を動かされると、もう自分の身を切られるようで「そんなに乱暴にしないで!」と、とても悲しくなってしまいます。 私は運転をしないので分からないのですが、きっと車に乗る人も自分の車を勝手に運転されて、同じような思いをされた方もいらっしゃることでしょう。

楽器や車でもそうなのですから、まして 10 ヶ月もお腹の中にいた赤ちゃんとお母さんの絆は、どれほど強く深いものなのかは、今さら言うまでもありません。

R子さんは、妊婦の時からボディートークマタニティ教室に通われ、とても楽な 自然なお産ができたと喜んでいらっしゃいました。先月、生後2ヶ月のA子ちゃんとボディートークマタニティ・子育て教室に一緒に参加されました。「よかったねぇ、 元気な赤ちゃんで。よく頑張ったねぇ」と挨拶しながらR子さんと赤ちゃんの体にさり気なく触れると、「エッ?」と驚くほど体が固いのです。出産前は自分でせっせと楽しみながら自然体運動や体ほぐしをされて、妊婦さんとしては理想的なやわらかな心と体だったR子さんです。でも一応外から見ると、母乳もよく出て、母子ともに元気そうなのですが….。

講座の中で、赤ちゃんがおっぱいを飲んでスヤスヤと眠ってしまったので、今が チャンスとR子さんの体ほぐしを始めました。背中は切なさのしこりの胸椎3.4 番、気遣いの7番、苛立ち、悔しさの8・9番、叱咤激励の10.11.12番と 見事な固めぶりです。どうも満点ママを目指している様子。出産後は実家で過ごしているのですが、産後、充分に眠った日はほとんど無いとのことです。「赤ちゃんが心配で、わずかな気配でも気になって眠れないのです」と。

こういう時は、私は お母さんを赤ちゃんのように抱くイメージで体ほぐしをしていきます。背中のしこりを手のひらで溶かすように揺すりながら「よく頑張ったねえ」「でも、ずいぶん辛かったみたいよ」「ひょっとしたら、他の人がいつも赤ちゃんを抱っこしてい て、あなたが充分抱っこできていないんじゃないかな?」 黙って頷いたR子さんの 目に涙が浮かんできました。

R子さんのお母さんは子育てのベテランなので、ぎこちないR子さんの様子を見 てじれったくて、赤ちゃんの世話に手を出しすぎていらっしゃるのかも知れません。R子さんは、思いは山ほどあるのに赤ちゃんをうまくお世話できない自分へ の怒りや、悔しさもいっぱいあるようです。「赤ちゃんも他の人に抱っこされる度に緊張していて、体が固くなっているみたいよ」「あなたの赤ちゃんなんだから、 あなたがしっかり抱いていいのよ」心や体がほぐれていったのでしょう、R子さんの目から涙が溢れ出てきました。

赤ちゃんが可愛いので、親戚や友人達が「かわいい赤ちゃんねぇ」と次 から次へ抱っこしてまわり、それをイヤと言えずガマンしながら、複雑な気持ちで 黙ってみているしかなかったそうです。特に内息気味の性格だったので、余計に自分の気持ちを誰にも言えずに悲しい思いで2ヶ月間過ごしていたのですね。

この講 座に一緒に参加していた子育てベテランの50 代のボディートーク指導者たちも 「そうねぇ。私もきっと同じような目に合わせていたような気がする…」と肩をすくめ、反省しきりでした。

たとえぎこちない新米ママでも、赤ちゃんにとって、お母さんの胸のあたたかさ、やわらかさ、おっぱいの匂い、息づかいなどは、かけがえのないものなのです。 それは、ずっと 10ヶ月一緒に慣れ親しんできた世界なんですもの。また生後1、2 ヶ月の赤ちゃんの視覚はまだ充分でなく、人の顔の形などもぼんやりとしか感じられていません。だからこそ余計に、匂い(嗅覚)や音(聴覚)、タッチの仕方(触覚)に敏感なのです。 (次号につづく)




あったかいお正月を迎えましょう! ≪かさこじぞう≫

●シーッ しずかに
赤ちゃんが眠っている時、よく言う言葉「シーッ、しずかに」このシーッ という言い方で『しんしんしんしんしんしんしんしん ゆきふりつもる』を 読んでみましょう。目を閉じてこの詩を繰り返し聞いていると、まるで自分が 降り積もる雪の中に包まれていくような、そんな感覚になっていきます。
この感性で「かさこじぞう」を読んでみたい。そして話の中にネズミさんも登場させて欲しいという願いが叶って、増田 明先生脚色の『かさこじぞう』 が出来上がりました。その一節をご紹介いたしましょう。

●せめてお正月のお供えのもちこだけでも買えんかの~
‟すげで作ったカサを5つ持って売りに行けばもちこ買えんかの”

●物売りの声が響く歳の瀬
「ええ、まつはいらんか。 おかさざりのまつはいらんか」 「つきたてのオモチだよ~。モチモチやわらかくておいしいよ」 「タコ、タコ、よくあがるタコ~!天まで届くタコ、タコ、タコ~!」 大晦日の町は、門松やお餅や凧を売り歩く声が重なり、にぎやかでお正月を迎える喜びがあふれています。でも物売りに慣れないじいさまの声では、カサは売れそうにありません。

●雪の中をとぼとぼ歩くじいさま
「しん しん しん しん  ・・・」日が暮れ始め、雪も降ってきました。売れなかったカサを背負って、とぼとぼ歩くじいさまの姿がいっそう淋く映ります。

●冷たいおじぞうさまにカサをかぶせるじいさま
ヒューヒューと吹雪の中で冷たくなってしまったおじぞうさま。その六人のじぞうさま一人一人に、ふり積もった雪をかき落とし、頭や背中をなでながら 「お~お~さぞ冷たかったろうのう」と、赤子を腕に抱くような思いで声をかけ、どうにかして暖かさをあげたいとひたすら願うじいさま。その息の暖かさと手のぬくもりが、冷たい石のおじぞうさまの心と体に染み渡っていきます。

●何もないけれど、あったかい囲炉裏の火と

あったかいばあさまの言葉

もちっこ無しの正月だけれども、良い事をさせていただいたと、共に喜びを分かち合う暖かい心たっぷりのじいさまとばあさまの夫婦の姿。
ほんのり嬉しい餅つきの真似ごと。

♪こめのもちっこ♪ こめのもちっこ♪こめのもちっこ♪
ひとうすばったら♪ ひとうすばったら♪ ひとうす ばったら ♪あわのもちっこ♪あわのもちっこ ♪あわのもちっこ ♪ひとうすばったら♪ひとうす ばったら♪ひとうすばったら♪ ネズミも一緒に歌います。(増田先生が子どもでもすぐに歌えるメロディー に作曲されています)

●真夜中に聞こえてきたのは?

真夜中に、「じょいやさ じょいやさ じょいやさ じょいやさ」と、遠~く に聞こえる声。
かさこかぶせた かさこかぶせた かさこかぶせた じさまのうちはどこだ♪ するとネズミさんがいち早くその声を聞きつけて、
ココダ ココダ ココダっちゅうの♪ 大喜びでおじぞうさまを迎えに行きます。

●いっぱいの贈り物を積んだソリは重いよ、降ろしたソリは軽いよ。
「ズッサン ズッサン ズッサン・・・」と、おじぞうさまからの贈り物。米の俵、ゴンボや門松など、いっぱいの荷物を降ろし、おじぞうさまのソリは軽くなって、じょいやさ じょいやさと、かけ声軽く、遠くへ 消えていきます。

●じいさまもばあさまも、ねずみさんも
よいお正月を迎えることができました、とみんなでおじぞうさまに心から感謝しながら、おじぞうさまの歌、もちつきの歌を歌いながら、お正月さまを祝いました。

●貧しい時代にあった心の豊かさ
この『かさこじぞう』は、数年前の8月、熊本のボディートークマタニティ・子 育て全国大会、10 月の神戸光月の舞の会、そして 11 月の大阪の特別セミナー で、衣装をつけ、即興で参加者のみなさんが演じられました。短時間での作品作りで完成された形ではありませんでしたが、それでも40年も50年も前、 日本中の人が食べる物も充分なく、貧しくてひとつの物を分け合って暮らしていた頃にあった、心の暖かさと豊かさを思い出すことができました。

●おじぞうさま役になってみると・・・
この『かさこじぞう』の良さを知るには、一度おじぞうさま役になってみら れることをオススメします。私もヒューヒューと吹き叫ぶ吹雪の中で冷たくなって、じっと吹きっさらしの野原に立っているおじぞうさま役で立たせてもらいました。

そして、じいさまの暖かい息のセリフで声をかけてもらい、暖かくやわらかい手のぬくもりで体を触れてもらうと、「エ~ッ?この感覚は何?」 と不思議なほどに体中がホカホカになっていったのです。本物の暖かい息に包まれると、冷たく、固く、石のようになった心も体も解け、動かぬ心も体も動き出すんだなぁという実感が全身から湧いてきたのです。

そして更に感じたこ とは、外からは見えないけれど石の心、体にも、必ず内には暖かく感じるものを誰もが持っているにちがいないと言うことでした。
この『かさこじぞう』は、年老いていくことの美学や本当の心の豊かさとは何か。また、自然の中に生きる人のあり方や生命を見守り続けていてくれるものへの感謝などを教えてくれる、ステキなお話ですね。

子ども達に是非、語り伝えていけるといいなぁと思います。ちょっと今年は悲しかったこと、苦しか ったことが多かったなと思う人は、このお話を声に出して読んでみて下さい。 きっとおじぞうさまが、あったかいお正月さんをあなたに運んで来て下さると思いますよ。




体の内なる声を聞く

*食卓椅子を選ぶ時も

我が家の食卓を買い換えた時の話である。妻と共に家具 店をまわったのだが、幸いテーブルはすぐに気に入りのが見つかった。しかし椅子がなかなかにむずかしい。それというのも、どれもこれも座り心地がもうひとつシックリこないのだ。

椅子を選ぶのに最優先すべきは外観のデザインや価格で はない。なによりも大切なことは、長時間座っていても腰 を痛めないということである。更に理想を言うなら、椅子に座っていることによって姿勢が思わず正しくなる、 というのがベストである。家具は一度買えば十年や二十年は使うものだし、まして椅子は直接、体に影響を与えるものである。決定 には慎重にならざるを得ない。

座り心地がいいか悪いかを、私と妻とはボディートー クで確かめた。即ち、ともかく座ってみて自分の仙腸関節に具合はどうかと尋ねてみるのである。仙腸関節にピリッと痛みが走れば、その椅子はよくない。座り続けると腰骨を歪めるからである。
この際の痛みとは、本当に微細な感覚である。体の内に神経を集中しなければ、普通には全く気付かないような微細なサインである。そしてこれを確かめるには椅子に二十秒も座れば充分に判断できる。
因みに仙腸関節とは、骨盤にある左右一対の関節である。骨盤はご存知の ように背骨からの続きである仙骨と、下腹部をとり囲むような一対の腸骨とから成っているこの仙骨と腸骨とを結ぶのが仙腸関節である。

仙腸関節は微妙に開いたり閉じたりして自律神経を調整している。例えば極度の精神 的緊張が続いて夜も眠れないような人は、交感神経が強く働いていて仙腸関節がカッチリと締まっている。締まっている限り神経は休まらないから、まずこの部分をほぐす必要がある。
反対に、仙腸関節の開きっぱなしの人は副交感神経の方が強く働いているので体が緩んでいる。だから眠気がとれなかったり、体がまとまらなくてダラーッとしている。こ のような場合は、仙腸関節を引き締める自然体運動をすれば体もシャキッとしてくる。

食卓のいす選ぶときもこのような内感は、訓練によって得る後天的な能力 である。即ち「後天的内感能力」とは、このように 「体の内なる声を聴く」能力である。自分の行動の仕方や在り方が、それでいいのか悪いのか、自らの体に問うのである。そして体の声に従って動けば体を歪めるようなことはない。

車を運転する人がたいてい経験することだが、狭い車内で上着を脱いだために肩の筋を痛めた、ということはないだろうか。或いはバックしようとして無理に顔だけ振り返ったために首筋 を痛めた、ということはないだろうか。そういう場合も本当は「内感」によって体の内側の体勢にふさわしい状態になるように、 ゆっくりとタイミングよく動くべきだったのだ。そうすれば筋違いになったりはしないものだ。

話を椅子に戻そう。その日には良いものが見つからなかったので、妻と私とで 別々に、外出した折りに捜すことにした。
その後一ヶ月余り、試した椅子の数は百近くになったのではないだろうか。私は遂に決定版を見つけた。お尻の当たり具合も背のもたれ具合もスッキリしていて、デザインも美しく、座ると思わず背が伸びる、という素晴らしい椅子である。それだけに値段も立派であったが・・・。

喜び勇んで家へ帰ると、妻もまたすごい椅子を発見したと言う。ではまずそちらを先にと言う訳で、妻の進める椅子を見に行ってびっくりした。店は別であったが、椅子はまぎれもなく私の見つけたものと同じである。やはり妻も座ってみて、これしかない と思ったそうである。私たちの仙腸関節に対する「内感」が同じ椅子へと導いたのである。私と妻の「内感」は同じだった

の体勢にふさわしい状態になるように、 がゆっくりとタイミングよく動くべきだったのだ。
そうすれば筋違いになったりはしないものだ。
腰、