嬉しい涙には魔法の力?
悲しみの涙くん サヨナラ
♪ 涙くん サヨナラ サヨナラ涙くん また逢う日まで
君は僕の友達さ この世は悲しいことだらけ
君なしではとても 生きていけそうもない ♪
これはずいぶん昔のフォークソングですが、人は誰しも人生の中で幾度かは、この歌のように “悲しみの涙くん” と過ごさなければならない時もあるようです。でも一度っきりの人生、出来ることなら嬉しい涙にあふれて人生を歩きたいものです。今回は、悲しいことや辛いことがあっても、決してあたたかい心を失うことなく、夢に向かって歩いていこうと教えて下さった、二人の恩師についてのお話しです。
* あたたかい心が蘇る作品
故、佐野至先生は、教育者でもあり、また朝倉が誇る素晴らしい版画家でもありました。ふるさとを愛された先生の作品は、今も地域の至る所に残されています。甘木川の橋の欄干の飾り模様、旧跡、秋月の観光案内としての石版画、いくつものお寺の天井画や壁画、また朝倉の山田インターチェンジ、サービスエリアにある大きな大きな石版画<三連水車と子どもたち>などなど….。
それらどれにも描かれているのは、懐かしいふるさとの情景と、ほのぼのとしたあたたかい人の姿。ジッーと作品を見つめていると、戦前戦後の時代にはあった自然や生活の音や、人の声がどこからともなく聞こえてきます。赤ちゃんの時に抱かれた母のぬくもりまで蘇ってくるようです。
* 歩く道を照らしてくれる
至先生は、、広瀬淡窓(江戸後期の教育者)の流れをくむ教育を受けてこられた方で、ご自身も日本文化に誇りを持つ子どもを育てたい、という夢をかけて、佐野塾を開かれました。そして、私も中学一年生の時、門下生として入門を許され、単に学問だけでなく、人としての生き方を先生の後ろ姿から学ばせていただきました。社会人になってからも、自分の道が見えにくくなった時は、まず先生にお会いすることにしていました。
「あ~、アッコちゃん、よく来たね、元気やったね?」と、あたたかい声の独特の甘木弁でいつも迎えて下さるのでした。版画がかけてある部屋に入られると、ゆったりとソファーに腰を下ろされ、さりげなく先生の世間話しが始まるのです。
お話しを聞いているうちに、自分の心の中にあった悩みやわだかまりが、いつのまにか霧が晴れたように、スッーと消え、自分の歩く道が、おのずと明るく見えてくる、そんな先生でした。
私が33才のころ、アキコダンスファミリーを立ち上げることになったのも「アッコちゃん、やってみてごらん」の先生の励ましの言葉があったからこそ。それからは、いつもニコニコと、舞台作りのひとつひとつを、手取り足取り教え、支え続けて下さったのです。
* 二人の師に見守られて
その舞台が11年目を迎えようとした頃に、もう一人の師、増田明先生に出会えることが出来ました。ボディートークをベースとした、教育的にも芸術的にも高い内容の明先生のミュージカルが、甘木、朝倉で上演することが出来ました。誰よりも喜んで下さったのも至先生でした。
二人の師に見守られながら、私は自分の生まれ育ったふるさとで、夢のような幸せな舞台活動を続けることが出来ました。❝ふしぎの国のアリス❞に出てくる大イモ虫、手押しオルガン、ピーターパンのインディアンの盾などは至先生の舞台芸術としての作品です。
* 作品の奥に流れている熱い熱い想い
明先生と出会ってからは、私の舞台にはバレエ作品とともに、毎年ミュージカルもプログラムに加わることになりました。そして気づいたのです。至先生と明先生の作品の奥には、熱い熱い人間愛、しいては生命愛が山ほど内臓されていることを。だから両先生の作品に触れると、誰もの心があたたかくなり、自分も自分の周りの人も、みんな大好きになり、元気いっぱいになるのだと。
数年前の福岡でのミュージカルは「オズの魔法使い」でした。今まで以上に、とびっきり楽しく、喜びにあふれる演出の作品でした。「嬉しい涙には、魔法の力があるって、おばさんが言ってたわ」これはドロシーのセリフです。この言葉通りに喜びの涙によって魔女のイヴリーンの悪い心が洗い流され、青い鳥へと変身していきます。そして、美しい虹のかかった大空へ青い鳥は飛び立っていくというストーリーです。「いいねぇ みんな仲良しで! いいねえ いっぱいの喜びで!」至先生の優しい声が聞こえてきそうです。
数年前に九州北部を襲った豪雨の被災地、朝倉が嬉しい感動の涙に包まれ復興していきますようにとの願いを込めて上演させて頂きました。