♪真綿色したシクラメンほど すがしいものはない
出会いの時の 君のようです~♪
花に囲まれて
シクラメンの花が光の中に美しく咲いています。 今あなたの傍に咲いている花はどんな花でしょう。
茶室に飾られる花は、ほんの一輪です。一輪であっても、静寂の中の花を見ていると、心が清らかに穏やかになっていくのを感じます。
以前にも書きましたが、私の幼い頃、 花の大好きな叔母は、色とりどりの花を庭いっぱいに咲かせてくれました。
その花を、ママゴトにたっぷりの花を使い遊ぶことができました。 手に触れる花びらのやわらかさや花の香りに包まれて育っていきました。
小学生になると、 庭の花を手に、 まだ誰も来ていない教室へいそいそ出かけ、黒板の両はしにかけられた竹の筒に花を飾るのです。一日中その花が私を見守っていてくれていたのが、嬉しい思い出です。
中学校や高校は、教室に花を飾るというような校風はありませんでした。生徒会の役員になったとき「花のある校庭にしませんか?」 と提案したとき「賛成!それはいい!」 となり、 生徒たちの手によって、見るみる花のある校庭に変わっていきました。
大学時代、まわりは汗臭い男子ばかりの体育学部でした。全員男子という運動生理学のゼミ室と研究室に入室すると、どの部屋にもお花がニッコリ。お小遣いで買った花でしたが、 「あ~、気持ちいい~」 と花に囲まれ、毎日毎日明け方まで運動処法作成の実験を楽しむことができました。
● パリの夕食会
明先生も、お花が大好きです。 ロンドンに毎年ボディートークのセミナーに出かけ ていた頃の、こんなエピソードがあります。
セミナー期間の合間の三日間をとって、 ちょっとフランスまで小旅行をしようと いうことになりました。
急な思いつきでしたので、 準備もそこそこに駅へ向かいま した。 ところがキップを買う時に 「どうしよう?」 という事態発生。 必要経費の計算ミスで、キップ代金を片道分しか考えていなかったのです。 手元にあるのはホテル代と食事代と少しの予備費。 それ以外は全部、 滞在しているロンドンのホテルのフロントに預けてきたのです。
もう予約列車の出発までに時間がありません。 とにかく乗車したものの、それからは電卓片手に「あといくら?」 と、にらめっこです。予定していた食事代を帰りのキップ代に当てると、 残るのはわずかなお金です。レストランの食事はもちろんキャンセルしました。
市場で果物とフランスパンと飲み物を買って、ホテルの部屋のテーブルに、お気に入りの大判の花柄のハンカチを拡 げ、 ピクニック気分です。 「ささやかだけど、こんな旅行も素敵だね」 と、二人でドキドキワクワクの三日間を過ごしました。
でも何より嬉しかったのは、明先生が 「もちろんお花も買おうね」 と、何の躊躇もなく数本のバラの花を買われた事でし た。 花を飾ってのパリの夕食会。 懐かしい思い出 です。
● 花のある女性
花のある生活はいいものです。 でも花が無くても 「花のような人」 がいてくれるだけで、その場の息がふんわり華やぎますね。 私の友人に 「花のある人」 この言葉 が似合う女性がいます。 特別にきらびやかに着飾るわけでもないのですが、彼女の 佇まい、声、 生き方が 「花」 なのです。
若い頃、 結核を患い、 その後しばらくは元気になって一緒に 「光月の舞」 も踊っていた仲間です。 今は肺の病気でほとんど寝たきりの生活です。 身の周りのお世話は優しい御主人と息子さんがなさっています。
「ゴメンネ、手紙を書くのもしんどくて」の状態なので、もっぱらお互いにメール交換です。 「元気ですか?」 ではな くて、「生きていますか?」 「生きていますよ〜」 「よかった、 生きててくれてありがとう」 「生きててね」。 ちっとも深刻ではなく、 いつもさわやか、電話の声もすっきり、元気でユーモアにあふれています。
時々彼女を訪問している友人に、「一日ひとつでもいいから感動することを見つけて生きているのよ」 と笑顔で話してくれたとか、 メールで送られてくる写真に写る彼女の微笑みは 「なんて 明るくて美しいの?」 と魅かれるのは、彼女の内にある心のすこやかさ、 しなやかさから来るのだなと胸が熱くなります。
ふと気付くと、忙しい日々に、ついついドライフラワーのようになっていきそうな自分を感じた時、彼女の姿を思い出します。 彼女は私にとって≪心の花≫のような、かけがえのない友人です。 年ごとに自分も年を重ねていきますが、老いても 「花のある人生」 を、心がけたいなと思うこの頃です。
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