新幹線でうっかりと忘れ物をした。座席の前の荷物棚の上にノー トを入れ忘れて下車してしまったのだ。ホテルに着いてカバンを開いて気が付いた。仕事に関わる大事なノートである。一瞬にし て頭から血の気が引くのを感じた。
血の気が引くというのは、まるで頭のテッペンから水が流れ落ちるかのような感じをいう。ただし、水といってもほんの僅かな量である。私の頭は周囲に髪の毛を残して円く禿げているから、 西洋のお坊さんか河童のお皿をイメージしてもらえばいいが、そのお皿から一瞬にして水がこぼれて干上がったという感じである。
これは本当に頭の血が少な くなったからで、このような 頭を触るとプヨプヨした柔らかさがある。反対に頭に血が上ると、血管には血がいっぱ い詰まっているので、触るとカチカチである。まるで石のように固いので、このような頭を昔から石頭と呼んでいる。
気力を失っている人は、頭の方へ血があまり行かないから、 やはりブヨブヨとしている。これを私はトウフ頭と名付けてい るが、人の頭がトウフ頭か石頭かは触ればわかる。一番いいのは血流が程良くてスッキリした頭である。この場合は触ると柔らかくて弾力があるから、コンニャク頭と呼んでいる。
話を戻そう。忘れ物に気が付いて頭から血の気が引いて、次に私は胃がキュッと縮むのを感じた 肩の上部を片手で握ったという感じである。これは、イライラはしているものの、目を突き上げるような焦りまでには至っていないことを表している。困ってはいるが、たとえノートが出てこなく ても何とかなるだろう、と体は判断しているのだ。
一般的に胃の上部が固くなる時は苛立ちである。反対に胃の下部が固くなればクヨクヨである。 既に望みがないにもかかわらず、あきらめがつかないとクヨクヨのしこりが顕れる。だから人のおなかに手を当てて、肩を揺すってみれば心の状態がわかるのである。
さて、駅に連銘をとって、忘れ物を見つけなければならないのだが、その前に為すべき事がある。 「胴ぷるい」と「首まわし」のボディートークである。何故か。
大事なものを置き忘れたというショックを心も体も受けている。まず、そのユガミやシコリを取り除き、心身のシコりをほぐし、忘れ物をしたという事実を、心にも体にもしっかりと納得させなければならない。
私は、おなかをブルブルッと揺すって胃をリラックスさせ、「アー」と声を出しながら首をグルグルまわして、頭に血を戻した。その間、五秒ほどである。
こうして気が収まると、この忘れ物はきっと神様が必要があってさせたことなのだと思えてきた。 何かいい事があるのかもしれない。例えそうでなくても、起こってしまったことをさっさと認めて、 その解決の方に心を向けると行動は楽になる。
そういう訳で、散歩気分にして駅へ戻り、係の人に終着駅へ問い合わせてもらった。しかし届け出はない、とのこと。ノートには電話番号が記してあるので、後は拾ってくれた人が連絡してく れるのを祈るしかない。
その夜遅く妻からホテルに連絡が入った。ノートを拾ってくれた人から電話があったのだ。早速、 親切な人にお礼の電話をした。M氏という、ある著名な会社の部長さんであった。
電話でしばらくお話をしたが、M氏は私の席より三つ後に座っていた。そして私が時々背中を左.右に振る運動をするのを見て、おもしろい動きをする人だと 興味を覚えたということである。
この運動は「背骨の波送り」といって、背中を海の中のワカメのようにユラユラ揺する方法である。これを行うと背骨がよくほぐれるのである。ご存知のように背骨の一つ一つか ら、胃や腸や心臓などを働かせる自律神経が出ているから、 背骨の可動性をよくすると、自律神経の働きが活発になって 疲労が回復するのである。
人の縁とは不思識である。私の背骨の揺れがもしM氏の目 に入らなければ、ノートは別の運命を辿っただろう。ノートが戻ってくる喜びもさることながら、 私はM氏との出会いをとても楽しみにしている。
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