“身体とおしゃべりする”ためには、「体の声」を聞く能力が必要である。痛みだとか不安感だとか、はたまた喜びの予感だとかの、体の内部から訴えてくる様々な感覚を意識のレベルで捉えるのである。これを私は「内感能力」 と呼んでいる。
内感能力には先天的なものと後天的なものとがある。先天的なものは誰しも持っている能力であって、その最たるものは乳幼児に見られる。
赤ちゃんや子供の体はもともと柔らかいので、ほんの微細な刺激や異常感にも敏感に反応する。彼らの口が辛 い食物や熱い飲み物などを受付けないのは、舌の感覚が鋭いからだ。
大人になると辛子明太子やキムチなども食べ、また飲酒喫煙が できるのも舌が鈍感になっているからである。
鈍くなった分、大人は外界に対して強く逞しくなって いるのだから、必ずしも悲観することはないが、先天的内感能力の衰えについて最近、ショックを受ける出来事を体験した。
小学生八十名ほどを指導している最中だった。突然子供たちが一斉に「耳が痛い!」、 と騒ぎだした。両手で耳を押さえながら口々に「キーンときつい音がする」と言うが、私の耳には何もなかったし、付添いのお母さん達も「別に聞こえませんね」と平気な顔をしている。
「スピーカーの音みたい」と言う子供がいて、念のために電源を切ってみ た。すると、子供たちが一様に「聞こえない、よかった」と言ってホッとしている。
スピーカーから高音の「ピーッ」という電気音が流れ出て、子供たちの耳を突き刺したのだが、大人の耳にはもうその高音をキャッチすることができなくなっているという訳だ。
私は音楽家だから耳をとても大事にしているし、また少なからず自信を持っていたのだが、子供の繊細な感覚にはかなわない。二万ヘルツに近い高音には大人の鼓膜はもう振動しなくなっているのだ。
このように子供の感覚は鋭いが、「背骨の揺れ」となるとちょっと様子が違ってくる。 子供たちに「何番目の背骨が動きにくい?」と聞いても「エエーッ?」と目を丸くして顔を見合わせている。大人にだって「そんなことわかるの?」という世界かもしれない が、訓練によって知覚できるようになる。即ち後天的な内感能力は学習によって可能となる。
背骨はご存知のように首の部分を頸椎と言い、7個の骨で頭を支えている。上から一 番、二番と続き、肩の上端が頸椎7番である。頭をストンと前へ落としてそのあたりを手で触れてみると、大きな骨がボコッと出ている。その骨である。頸椎七番の周辺の筋肉が固くなるのが「借金のしこり」であることは前回の連載で述べた。
胸の部分の背骨は胸椎と言い、上から十二個つながっている。肋骨がくっ付いている骨である。四ツン這いになって猫の喧嘩のように背中をグンと上にあげると、一番高くな るのが胸椎の八番である。胸椎八番から胃を動かす神経が出ているから、この周辺を固くしている人は胃も固くなっている。いわゆる腹が立 つという状態である。
腰の骨は五個である。背骨の中では一番太い部分 だが、動作の要めなので、それだけに重力の負荷も大 きく、ちょっと無理をするとズレる。ズレると腰痛が 起こる。レントゲンでわからないぐらいの微妙なズレ でも、腰痛はキチンと起こる。
体を柔らかくし、背骨の何たるかを体で知れば、ちょっと体を揺すってみることで、何番のどのあたりが動きにくいかを判断することができる。判断ができれば、その個所に意識を集中して背骨をユラユラと揺らしてやれば、しこりはとれる。しこりもこの段階で小マメにほぐせば腰痛にもならないし、肩コリもない。
「内感能力を高めることが、生活の中でどれほ ど大切なことであるか、次回にその実例を述べ よう。
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