青い鳥は表現のベース
病気、未病の前に違和感
ただ単に発熱しているとか、 咳が出る、 痛みを感じるとかの状態を病気とは言いません。 西洋医学の見地では病気とは 「器質的疾患」のことを言 います。 すなわち、 病理学者が解剖をして、はっ きりと異常だと確認できる状態のことです。
直腸にガンが出来ているとか、 脳の血管が詰まってい るとかの例です。
ですが器質的な疾患は、 事故以外では突然やってくるものではありません。 その前に病気以前の病気という状態があります。 腰が痛むとか、 手足がしびれるとかの症状で、 西洋医学では 「機能的疾患」或いは「未完成の病態」と呼んでいます。 世俗的には 「半病人」というところでしょう。
東洋医学には「未病を治す」 という考えが ありますが、東洋医学の「未病」とは西洋医学の 「機能的疾患」 にほぼ一致するでしょう。
ほぼ、 と言いましたのは各々の医学で病気の捉え方が異なるからです。 ひとつには「未病」とは 「役に立つよい病気」と東洋医学では考えていますが、 西洋医学にはそのような発想はありません。
ボディートークは医療とは考えていませんが、 現実にはさまざまな病的症状を解消して元気を回復する健康法でもあります。 「生命の道」 は元気になるように出来ています。 ですから歪んだ心や体の状態を、いつも「あるべきものが、 あるべきところに、 あるべきようにある」 というように戻します。 あとは、自分の内なる自然治癒力の高まりを信頼すればいいのです。
その意味でボディートークは「未病」 「病気」 以前の、 心や体の「違和感」 に焦点を当てます。 例えば寝ていた犬が起き上がると、 犬はお腹に 「違和感」 を覚えます。 横になって眠っている間に内臓が引力によって地面の方へ片寄ってしまうからです。 それで犬は胴ぶるいをします。 ブルブルッとお腹を揺すると、内臓が一瞬にして正しい位置に納まります。
人間はこの 「違和感」 に対して鈍いですね。 頭の働きが発達したために、 つ
いつい思考の方へエネルギーがいってしまって、本能的な感覚が隠れてしまうのでしょう。
ボディートークは心と頭と体の働きをバランス良く高め、「内感能力」によって「違和感」を鋭くキャッチする方法ですから、痛むまでもなく 「アレッ?」と感じたとたんに、内部を適確に揺すって正常な状態に戻します。 このように動物は基本的に 「違和感」 の段階で、 それを解消するための自然 な動きを行って健康を保っています。 この動きを人間に当てはめれば整体運動と呼べるでしょうか。
運動というよりむしろ「うごめき」 すなわち 「蠢動」と 呼ぶ方がふさわしいかもしれません。 その「蠢動」に私は発声を加えました。 「アー」と言いながら体の内部を揺するのです。 あるいは 「ホッホッホッ」と 言いながら軽やかに足踏みをするのです。
どうして 「アー」 なのですか? どうして 「ホッ」 なのですか? 「イー」 ではいけませんか、 「ウッ」ではいけませんか、と尋ねる人が時々あります。 整体運動での 「アー」 や 「ホッ」は言語としての「アー」 や 「ホッ」ではありません。
口をポカーンと開いて、 すなわち呼気を開 いて発声すればおのずと 「アー」という響きになり、 あるいは「ホッ」と聞こえるような声になるのです。 人間は他の動物よりはるかに高度で複雑な生き方 をしていますから、 整体運動もそれなりに工夫しな ければなりません。 整体運動に発声を加えたのは、 特に息をほぐすことが重要と考えたからです。
動物は不快な感情を持ったり、ストレスが大きく かかってくると、 息を詰めます。 まして人間は先々のことまで予測して不安感をつのらせますから、 息の詰まりも複雑です。 息の在り方はそのままその人の 生き方でもあるのです。 だから息をほぐすように発声をして体を揺するという のは、やわらかく、 ゆったりとした、 自然で素直な息を得る方法なのです。 い い息がいい生き方を導いてくれるのです。
この息が表現のベースとなります。 怒りや憎しみを直接ぶつける表現も、世間にはありますが、 ボディートークではこのような毒気のある息は、 先ず体ほぐし や整体運動で抜くことにしています。
毒のある表現は本人には毒出しで快感かもしれませんが、 受ける側を傷つけることになりかねませんから、ボディートークによる自由表現法のプログラムに入る前やボーカルダンスを 練習する前に、必ず整体運動を行い、 体ほぐしをするのは、このようにいい息 から出発したいからです。 そしてこのシステムが同時に健康への道となってい るのです。