1

歌の奥に潜む息

披露宴に失恋の歌?

音楽大学の学生たちは歌のレッスンとして、まずイタリア古典 歌曲を学びます。発声の素直さや明るさを得るのに最適だと考え られているからです。

その中に「Piacer d’amor」という名曲があります。この題名 は「愛のよろこび」と訳されていますが、歌詞の内容は「愛の喜びなんて結局のところ儚いものだ」というため息まじりの失恋を歌ったものです。

私がかつて友人の結婚式の司会をした時のことです。新婦は音楽大学出身のピアニストでしたから、披露宴は音楽で盛り上げようということになりました。 そこで出席する音楽家たちと 予め打合せをしました。その中の一人が「Piacer d’amor」を歌いたいと言ったのです。 私は「えっ、どうして?」と思わず聞き返しました。結婚式 にふさわしい歌とは思えませんから、「この歌は新婦と何か特別の思い出でもあるの?」と尋ねたところ、「いいえ。でも‟ 愛のよろこび″だからいいんじゃないの?」という答え。

彼女はやがて失恋の歌だと知って別の歌を選びましたが、歌詞の内容を考えないでイタリア歌曲を歌っている人は結構多いのです。音楽大学で音楽の内容をとばしてしまって、声がどれだけきれいに響くか、低音から高音まで均質かどうか、発音が明確か、などの発声のみに明け暮れたせいで す。だからイタリア語が意味を伝える言葉にならなくて、単なる発音記号となっているのです。

実は歌のメロディやリズム、歌詞の奥にはその歌の息が潜んでいるのです。その歌とは切っても 切れない息が存在しているのです。否、むしろその息によって歌が成り立っていると言ってもいい。 具体的に説明しましょう。
「♪ぞうさん ぞうさん、 おはなが 長いのね。そうよ、母さんも長いのよ」 この歌は3拍子です。でも素直に「ぞうさん、ぞうさん」と口に出してみると2拍子になるでしょう?

どうして作者が3拍子にしたかと言いますと、この歌のテーマが、ぞうさんのお鼻は「な がーい」と言いたいからです。
両手をゆっくり広げながら「ながーい」と言ってみて下さい。あっさりと言わないで、ねばって言ってみて下さい。暖かい息にするともっといいですね。その息がこの歌の土台となる息です。ですから 「♪ぞーうさん」と歌い出した時から、鼻は「ながーい」という内容を表現しているのです。

そう思って歌うと聞いている子供の心と体に歌がストンと入り込むのです。もうひとつ例を出しましょう。

「♪この道は いつか来た道  ああ、そうだよ アカシヤの花が 咲いてる」 北原白秋と山田耕作の名コンビによる日本人の愛唱歌ですね。「この道」の土台になる息は何ですか?

この歌はいくつの息から出来ていますか? 答えは3つです。

歌の裏にある息を次のように探ってみるとわかります。
一行目は「この道は、いつか来た道?」(じゃないか なぁ)という疑問です。この風景はどこか見覚えがあるぞ、 ということですね。だから息としては「アレッ?」というよ うにまとめることができるでしょう。

二行目はハッと思い当たって深い納得、「ああ、そうだ よ」です。息はそのまま「アア」とまとめましょう。

三行目 はかつて「この道」に来た情景を思い描いて懐かしんでいるところです。だから息としては「フンフン」と楽しくうなづ いて下さい。

このように「この道」をとらえると、この歌は「アレッ?」 「アア」 「フンフン」という息で成立していると説明できるでしょう。そうすると自ずと表現はしばられてきます。 「この道はいつか来た道?」のあとの息の、疑問形からくる緊張感、突如ひらめいて、深く、大きく溜め息をつく「ああ、そうだよ」そして懐かしく軽やかな息の「アカシヤの花が咲いてる」

みなさんも是非、最初に息を練習して、それから歌ってみて下さい。ただきれいな声で同じよう に歌っているのでは「この道」の歌の素晴らしさは味わえないものですから。